法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『スーサイド・スクワッド』

刑務所にとらわれている怪人達。スーパーマンのような超人が敵になることを恐れた米国政府は、怪人達にタスク・フォースXというチームをつくらせて対抗させようとする。そのタスク・フォースXこそが決死部隊、スーサイド・スクワッドとなる計画だった。しかし怪人のなかでも強力な魔女エンチャントレスが、ひそかにコントロールをはなれていく……


DCエクステンデッド・ユニバースの3作目として、2016年に公開されたアメコミ映画。ヒーローの対となるヴィランたちをメインにした企画として期待を集めた。

世界全体を危機に追いやるクライマックスをはじめ、多種多様なアクションのシチュエーションと、それを支えるVFXやセットはそつのない大作。ヴィラン部隊が初出撃する物語なら、もっと低予算にしてスケールを小さくしても良かったとも思ったが。
また、実写映画初登場というハーレイ・クインのビジュアルデザインは良かったし、天然は他人がいる時に演じているだけと感じさせる端々の描写も良かったし、湿っぽい場面で仲間に追い打ちをかける性格も良かった。
ジョーカーが過去の映画にないキザったらしさで、カリスマ性を感じさせない普通のヴィランらしいところも逆にいい。あくまでサブキャラクターのひとりかつハーレイの対としてならば適度な存在感。バットマンも登場時間が少ないからこそ、ティム・バートン以降の迷いを珍しく感じさせない覆面ヒーローらしさがあって良かった。


しかし悪党が好き放題するブラックでカタルシスたっぷりな映画かと思いきや、敵も味方も家族や身内のために守りに入るキャラクターばかりで、全体が湿っぽい。そもそも悪党が普通の人間に逮捕され刑務所に入っている導入からして、あまりヴィランを強そうに感じさせない。
敵味方の構図にしても、存在しない強敵を恐れて戦力を確保したら強敵になってしまったという愚かしさで、そのような事態をまねいた黒人女性リーダーのアマンダも設定ほどの狡猾さを感じない*1。そんなアマンダにコントロールされる多くのヴィランは、さらに愚かに見える。


もっとDCらしく単独作品としての完成度をまず目指してほしかったし、登場したヴィランの強さを段取りをふんで明確化していってほしかった。そのためには全体の構成をもっと練るべきだろう。
たとえば、エンチャントレスがジューン・ムーン博士に憑依している二重人格的な設定を活用して、スーサイド・スクワッドはジューンが発案したという導入はどうだろう。

著名な考古学者にして軍人リック・フラッグの恋人でもあり、ジューンは米国政府にタスク・フォースX設置を提案できた。ヴィランの危険性をとなえて反対したアマンダは冷や飯を食わされる。そして数々のヴィランをエンチャントレスの超常能力でコントロールする。
しかし魔女の心臓をリックにあずけてコントロールしているつもりのジューンの精神は、徐々にエンチャントレスにむしばまれていく。それどころかタスク・フォースX自体が、世界を破滅させようとエンチャントレスが無意識にはたらきかけてジューンに思いつかせたものだった。
やがて弟を復活させたエンチャントレスはヴィランを踏み台にして、独自行動をはじめる。そうして危機的状況にとりのこされたヴィランたちの前にアマンダが登場。エンチャントレスを倒せる情報とひきかえに、ヴィランへ指示を出すことに。社会と組織、それぞれのはみ出し者として呉越同舟的にスーサイド・スクワッドを組む……

……みたいな展開なら、スーサイド・スクワッドを結成する理由に物語の必然性が生まれるだろうし、エンチャントレスの狡猾さがきわだったろうし、アマンダが愚かに見えることもないだろう。
上記は映画に登場した要素のみを再構成したが、他にもオリジナルキャラクターを出していいなら、たとえば世界的な危機において犯罪者しかいないアサイラムの救出が後回しにされたところ、善良で無垢で病弱で自己犠牲的な天才少年もしくは少女が、多くの犯罪者を救うため強力なヴィランの力を借りると同時に贖罪の機会を与える……みたいな展開でも面白いかもしれない。もっとも、これはさすがにメアリー・スーじみているし、日本のアニメや漫画の雰囲気が強すぎるかな。

*1:想像以上の利己主義者と判明する中盤の展開は意外で良かったが、最終的にきちんと落とし前をつけずに終わったので首をかしげた。この利己主義ぶりなら、むしろ超常能力をもたない一般人でもラスボスに設定しても良いと思ったのだが。