法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『サイレント・ランニング』

地球から飢餓や不平等とともに植物が失われた未来。宇宙空間で植物を育てる実験をおこなっていた4人の乗組員に、計画中止の命がくだる。地球へ帰れることに喜ぶ乗組員だが、ひとりだけ緑化計画に執着していた……


2月7日に死去*1したダグラス・トランブルの、本編初監督作品。特撮を担当した『2001年宇宙の旅』では未使用だった技術をふんだんにもりこみ、1971年に公開された。

正直な感想をいえば、残念ながら安っぽいカルト作としか思えなかった。
一応、安っぽいSF描写と対比される冒頭の自然描写は悪くなかったのと、畑仕事で薄汚れたりカートでの暴走行為を楽しむ乗組員の等身大ぶりが1979年の『エイリアン』に先行する。
しかしSF描写で良かったのは、宇宙船と植物ドームを切り離す爆砕ボルトの表現と、無機質なデザインに特殊な体型の俳優が入って生々しく動くロボットくらいだ。
特撮にかける費用や時間のリソース差を考慮しても映像が古く、宇宙船はプラモデルにしか見えない。空の星は強く光りすぎてイルミネーションのよう。宇宙空間の重力もまったく地球と変わりなく、そのことに設定的な説明もつけられない。


ドラマにしても、自然回復にすべてをささげる主人公の狂気を描きたいのか、その狂気にふりまわされる主人公をふくめた人々を描きたいのか、どっちつかずな印象だった。
主人公の執着は、ほぼ説明的な言動だけですまされる。他の乗組員と衝突をかさねて心情をうきぼりにするかと思いきや、主人公に同情的だった乗組員と言い争って殺してしまい、その勢いで残りの乗組員も爆破予定のドームに閉じこめて殺してしまう。ここまで映画がはじまって30分もたっておらず、残り1時間は主人公がだらだらと緑化実験をつづける描写についやされる。
せめて仲間ひとり手にかけてしまった主人公が、外部からの通信をごまかしながら残りふたりも排除しようとするサスペンスを展開すれば、閉鎖環境サスペンスとして成立したと思うのだが……そういう意味では珍作SFとされる『スペース・サタン』が娯楽としてはまだ良かった記もする。

ただ8年間も実験をつづけながら日光不足で植物を枯らしてしまって、すべてをロボットに任せるしかなくなる主人公の愚かさが、自然のすばらしさを語りつづけても実態が忘れられるほどの未来なのだと実感できたし、それが独特の虚しさを生みだしていた。
そもそも前のめりな自然賛歌と、それに殉じながら挫折する主人公の姿は、SF版ニューシネマと思えば理解できなくもない。当時のエコロジームーブメントなどを考慮しながら観るべき作品なのだろう。
残念ながら主人公の人物造形があまり深掘りされないまま物語が始まり終わるので、そういう当時の心情を感じとって共感や反発すること自体が単独では難しい映画なのだが……