東京新聞労組の懸念に対して、医師で小説家の知念実希人氏が、ワクチンが充足しているという根拠にもとづいて否定していた。
それはワクチンが足りなかったときの理論です。
— 知念実希人 小説家・医師 (@MIKITO_777) 2021年6月5日
ワクチンが週に1000 万回分入って来ているときにそんなこと言っていたら、
ワクチンの有効期限切れになっちゃいますよ。
そうなったらあなた達、全力で政権を叩くでしょ。
情報をアップデートしましょうよ。
ジャーナリズムとは? https://t.co/9oAvfd2hqt
それを法哲学者の大屋雄裕氏が引用して、例によって*1いい加減な見識でジャーナリストを攻撃していた。
東京新聞とジャーナリズムに何の関係があるんですか? https://t.co/pcRxsxz8Ub
— Takehiro OHYA (@takehiroohya) 2021年6月5日
しかし接種を広範囲にひろげても東京五輪にまにあわないどころか、それ以前からワクチンの供給不足におちいっている。
www.tokyo-np.co.jp
そもそもワクチン接種の順番が重要なことは、日本政府や分科会、その政策支持者とって前提のはずだった。それはリスクにさらされる医療従事者やエッセンシャルワーカーをとおした蔓延をふせぐためだけではない。
防疫と対立するように経済を動かしつづけることが重視され、経済停滞による犠牲がくりかえし叫ばれていたはずだ。事実として日本政府はパンデミックのさなかに消費振興政策を強行し、分科会も追認した。
つまり制約と補償をくみあわせた防疫を選べないほど、一ヶ月の活動中断もこばむほど経済が重要とされてきた。ならば数ヶ月以上も先んじて自由に安心して経済活動をおこなう優位性ははかりしれまい。
もし日本がワクチンがいきわたるまでロックダウンをつづけていたなら、多少は接種の順番が遅れても、さほど不公平ではなかったろう。接種が早くても遅くても、ワクチンがいきわたるまで経済活動がおこなえないことは同じだからだ。
逆に日本が新型コロナを充分に制圧してほとんど新規の感染者を出していないなら、接種以前から同じように経済活動をおこなえたろう。ニュージーランドなどの実例がある。
そうした場合なら優先接種者にとっては、コロナの免疫をもつリターンより、副反応などのリスクが大きく感じられるかもしれない。あえて机上の空論をいえば、新規感染者が永遠にゼロになる場合、たとえ副反応がゼロであっても、注射そのもののリスクやコストを考慮すればワクチンを接種するべきではあるまい。
しかし日本はそうではない。現実に東京五輪という巨大イベントを動かすため関係者に優先接種が予定され、それでもまにあわない可能性がきわめて高い。
www.tokyo-np.co.jp
接種の順番が本当に不公平ではないと主張するなら、活動の有無による不公平が起きないような社会でなければならない。
日本政府はそうしてこなかったし、むしろ活動の有無で不公平が起きることを利権分配の根拠にもちいてきた。
*1:もっとも、かつて批判に対してひらきなおりを重ねた態度を思い出すと、大屋氏のSNS上の発言はそれこそ著名な法哲学者としての専門知や責任を期待するべきではないのだろうが。 hokke-ookami.hatenablog.com