法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

右翼活動家が行きついた孤独な死を思う

川崎市でよく差別扇動デモをおこなっていた津崎尚道*1という人物が、孤独死していたという。
現場で対立的に顔をあわせていたジャーナリストの清義明氏が言及していた。

近しい周囲の発言として、ともに川崎市への訴訟もおこなっている右翼活動家の瀬戸弘幸氏がエントリにあげていた。
せと弘幸BLOG『日本よ何処へ』:訃報・津崎尚道さん逝去

民亊訴訟の期日は16日でした。私は3月4日にに鎌倉の徳洲会病院に意識不明で運ばれ、緊急手術の結果命が助かった。16日の裁判に出ることが難しいと思い延期を申し出たが、その時に津崎さんにも了解を得るべく連絡したのが3月7日頃でした。

 しかし、留守電でつながらない。その後かかってもこないので心配していました。その後、佐久間さんも連絡が取れず、裁判所の書記官も連絡が取れず、津崎さんの弁護士である江頭節子弁護士も連絡がつかないと尋ねられました。

瀬戸氏が記憶している最後に電話で聞いた発言は、津崎氏もまた余命三年時事日記*2と連絡がつかないというものだったらしい。

 心配して郵便受けの窓から匂いを嗅ぎましたが、死臭の匂いはありません。中で亡くなっていることは考えられないので、どこかの病院に入院しているかも知れないと思い安心しました。本人は「余命さんとも連絡が着かずもうどうすることも出来ない」・・・が私との最後の電話でした。

訴状を証拠に仲間と説明するつもりだったようだが、弁護士もつかっていたのに、他に親しい存在と証明する方法はなかったのか。

午前中は鎌倉の徳洲会病院に行き、午後からまた捜索を開始しました。裁判を一緒に戦っている佐久間さんと私がその訴状をもって不動産屋に出向いて、連絡がつかないので一緒に戦っている仲間だと説明するつもりでした。

 そうしたところ、津崎さんは病院で3月上旬に亡くなられ、身元不明ということで役所が引き取ったと聞かされました。そこで役所に行ったが<個人情報>で身内でなければ教えられないという。身内がないから引き取ったと聞いているのに、身内でなければ教えられないとは本当に驚くべきことでした。

この個人情報をめぐる体験談はたしかに理不尽に感じられるし、いくばくか怒りと悲しみに共感できなくもない。
願わくば、かつて瀬戸氏が否定した同性婚やパートナーシップなども、より近しい関係性で同じ理不尽を味わわせない意義があることを考えてほしい。
せと弘幸BLOG『日本よ何処へ』:日本の少子化の根本要因は「少母化」

【A】同性でも婚姻制度を適用できるようにすべきだ:社民党

【B】現在の結婚に変わる制度、異性同性を問わず利用できるパートナー制度が出来るべきだ:日本共産党

【C】こうした制度は異性間のものであるべきで特に必要ない:自由民主党

 この問題では自由民主党だけがマトモなことを言っているが、他の政党の主張は理解できない。


エントリの後半は瀬戸氏が経営している果樹園の商品紹介についやされている。
仲間を追悼するべき場所で宣伝することを疑問視するコメントも九番目についているが、右翼活動の宣伝よりは良いのかもしれない。

訃報でも自分の商品のの宣伝は忘れないんですね…
Posted by 部活 at 2021年03月22日 21:16

>訃報でも自分の商品のの宣伝は忘れないんですね…
 それが何か?
Posted by jun556 at 2021年03月22日 21:28

>>9
訃報でもクソコメントするんですね…
Posted by →9 at 2021年03月22日 21:37

他に目を引いたのが三番目のコメントで、川崎市のデモにおいて在日コリアン側から和解を提案された逸話が語られている。

津崎亡くなりましたか・・・。
川崎ヘイトデモにおいてのやり取りの中で、チェカンイジャさんの「もう一度出会いなおしませんか」の手紙の件が印象に残っています。その約束を果たせぬまま亡くなってしまったことは残念です。

在日の方々との和解・・・津崎の果たせなかった約束をあなた達が受け継いで実現させてみませんか?。無理に仲良くしろとはいいません。しかし、差別や排外主義を進むのはやめにして、少なくとも多様性を認め合い在日の方々と共に生きましょうよ。
Posted by 一人の市民 at 2021年03月22日 18:55

同意するコメントは他になく、尊皇斬奸というハンドルネームが暴力的な表現で何度も反発コメントしているが*3、逸話として興味深い。

少し検索すると、神奈川新聞のヘイトスピーチ報道で、川崎市中原区の道路使用許可をめぐる記事が出てきた。
道路使用許可を中原署に申請 ヘイト問題で公園不許可の男性 | 社会 | カナロコ by 神奈川新聞

 津崎尚道氏がデモ申請の手続きを終えるのを、崔(チェ)江以子(カンイヂャ)さん(42)は中原署内で待った。デモ申請があった際は受け付けないでほしいという思いを署に伝えるため、足を運んでいた。

 津崎氏はわが街、川崎市川崎区桜本を標的にヘイトデモを繰り返してきた。小声で「怖い」。でも、覚悟を決めた。

 姿が見えた。歩み寄る。在日コリアンであることを告げ、名を名乗った。

 「津崎さん、デモをやめていただけませんか。差別をやめていただけませんか。誰も幸せになりませんよ」

 それには答えず津崎氏は外へ。崔さんは報道陣より先に後を追った。

追いすがって言葉をつなげても津崎氏はつっぱねるような態度をとり、チェカンイヂャ氏の言葉を「感情論」と切って捨てた。
選挙権もないくらい社会から排外されている在日コリアンが、社会の隣人として津崎氏に手をのばし、しかし津崎氏がふりはらった……言葉にできないくらい痛ましい情景だ。
マイノリティは本来そのようなことをしなくてもいい。マジョリティがそうさせてはいけない。しかしチェカンイヂャ氏はひとりの人間として行動した。

〈津崎さん。私は、できなくなってやれないのではなく、あなた方の良心でもって、あのヘイトデモをやめてほしかったですし、今でもそう願っています。

 津崎さん。私たちの出会いは悲しい出会いでした。

 津崎さん。私たち出会い直しませんか。加害、被害の関係から、今この時を共に生きる一人の人間同士として出会い直しませんか。

 加害、被害のステージから共に降りませんか〉

 津崎氏は手紙を受け取ることなく、立ち去った。その背中に崔さんは振り絞るように言葉を掛けた。

 「幸せに生きてください、津崎さん」

津崎氏はこの五年後に孤独死した。

*1:ツイッターを見ると、アイコンにもつかっている愛犬は少し前に亡くなったようだ。twitter.com

*2:懲戒請求扇動の責任を問われて大変なはずだが、移転して現在も新たな場所でブログが更新されている。yomeireturns.wixsite.com

*3:訃報エントリとして限度を超えていると感じたので、はてな記法下書き記法で見えないように保存している。