法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

首相をやめた安倍晋三氏が、産業遺産情報センターの用意したブーメランを脳天に刺していた件

明治日本の産業革命遺産」が世界遺産に選ばれた時、強制労働などの問題も紹介する条件がつけられていた。
しかし日本側はきちんと約束を守るどころか、むしろ歴史的な問題を否認する方向へ力を入れている。
www.kinyobi.co.jp
同時代の日本国内でも問題になった炭鉱労働の過酷さについても、韓国からのいわれなき中傷であるかのように反発している。


世界遺産への選出を推進した安倍晋三氏も、当然のように問題性を否認する方向に動いている。
一例として、体調不良を理由に首相を辞めた直後の2020年10月、軍艦島と呼ばれた端島炭鉱の生活についてツイートしていた。

産業遺産情報センターの説明は歴史を知るには不足があることを、はからずも証明しているツイートだ。
驚くべきことにツイートには賛同するリプライばかりならんでいるが、はてなブックマーク等では造船所の給料ときちんと批判されている。
[B! ウヨ稚化] 安倍晋三 on Twitter: "鄭新発さんに感謝したいとおもいます。当時の彼らの労働に対する待遇が本当はどう であったかを物語る貴重な資料です。 いわれなき中傷への反撃はファクトを示す事が一番でしょう。 コロナ禍の中、入場者数が制限されていますが、是非多くの方に… https://t.co/Ogo1HUkUiR"
安倍氏や支持者はツイートの写真すら見えていないのだ。さすがに文章が読めないわけではなく、否認したい欲望が目をくもらせているのだろう。
この問題は雑誌『週刊金曜日』2020年12月18号の特集でも、哲学者の能川元一氏が端的に批判していた*1

週刊金曜日 2020年12/18号 [雑誌]

週刊金曜日 2020年12/18号 [雑誌]

たしかに長崎造船所も明治日本の産業革命遺産に入っている。しかし給料袋ひとつが徴用工全体の、それも「端島での生活」の証明になるはずがない。


強制連行された朝鮮人の証言でも、炭鉱と造船所の生活は違っていたというものがある。
2010年出版の林えいだい*2『〈写真記録〉筑豊軍艦島 朝鮮人強制連行、その後』を読むと、被爆者でもある徐正雨*3証言で状況の一端がうかがえる。

〈写真記録〉筑豊・軍艦島―朝鮮人強制連行、その後

〈写真記録〉筑豊・軍艦島―朝鮮人強制連行、その後

  • 作者:林 えいだい
  • 発売日: 2010/04/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

坑内事故の増加や外勤労務係の暴力に対して、労働者はサボタージュなどの反抗をはじめた。朝鮮人坑夫は船をのっとって朝鮮に帰ることまで考えた*4
労務係は造船所への配置転換をつげた。徐証言では島からの脱走者が多かったためと推測されている。そして軍艦を建造していた三菱造船所へうつった*5

 徐が幸町寮に収容されて驚いたのは、白米の飯が出され、夕食には鯨肉とか鶏が付くことだった。野菜も結構あって、味噌汁は海水ではなくて、野菜入りの普通の味噌汁だった。
 端島炭鉱の朝鮮人寮の食事は粗末で、栄養失調で廃人のような姿になっていたが、造船所は待遇がよくて、日に日に体力が回復してきた。同じ三菱の会社でありながら炭鉱と造船所ではこんなに差があるのかと驚いたという。海軍の軍需工場のせいではないか、と徐は説明する。

もちろん軍需工場であるため監視はきびしく、朝鮮人ふたりの立ち話や、休日の外出も禁じられていたという。体罰もきびしく、労働もやはりつらいところはあったという。しかし事故の危険はなくなり、食事が満たされたという大きな違いはあった。
この徐証言は、意に反する強制であれば反抗したはずという主張へのひとつの反証でもある。圧力のなかで抵抗した人々もいたし、それで改善を勝ちとった場合もあったが、状況すべてをくつがえせない力関係があった、というわけだ。
また、ひとくちに労働を強制されたといっても、たとえ同一人物であっても、現場によって状況のきびしさに違いがあった証言でもある。比較的に穏健な現場でのみ労働した徴用工がいた可能性はあり、ただしそれはより過酷な現場があったことの反証にはならない。


もっとも、ここまでは用意された別環境の資料を、安倍氏が過酷さの反証につかおうとした問題でしかない。
この出来事がいわゆる「ブーメラン」*6になるのは、半裸での過酷な採掘作業を産業遺産情報センターが否認する理屈と衝突するためだ。
hokke-ookami.hatenablog.com
たとえば狭い場所にフンドシ姿で寝そべり採掘する写真は、朝鮮人徴用工でこそなかったが、同じ九州にある筑豊の炭鉱で撮影された写真だった。

1960年ごろの日本人の写真が朝鮮人の強制労働イメージとしてつかわれていた逸話も指摘されている。しかし炭鉱の現場写真だったことは事実だった。

もともと韓国では「炭鉱の中を上半身裸で寝そべって作業させられる徴用工」という有名な写真があり、日本の韓国人徴用工に対する非人道的な扱いを象徴するものとして広く知られていた。
ところが産業遺産国民会議の調査で、この写真は昭和30年代に筑豊で撮られたもので、韓国人徴用工とは全く無関係であると判明している。

十年以上前、植民地出身で差別されていた作業員が、写真よりも安全な労働環境にあったとは一般的に考えにくい。軍艦島筑豊の労働環境が異なる可能性を考慮しても、そもそも朝鮮人徴用工は筑豊炭鉱にもいた。

時代と場所が近い炭鉱の過酷な状況をしめす写真をつかってはならないなら、炭鉱ですらない造船所の給料袋ひとつが軍艦島の弁護につかえるはずもない。
半世紀以上前のNHK短編ドキュメンタリ『緑なき島』にも、軍艦島の坑内ではいずり移動する映像がある。
b.hatena.ne.jp
それを産業遺産情報センターは再現映像もしくは別の炭鉱と主張しているが、ならばなぜ誤解をまねくように造船所の給料袋を展示していたのか。


そもそも前掲書によれば、同じ軍艦島内でも採掘現場によって過酷さに違いがあったと証言されている。その劉喜亘証言を引用しよう*7

最初の日は坑内見学ということだった。採炭現場の切羽では、朝鮮人坑夫たちがコマねずみのように働いていた。炭塵で真っ黒に汚れた体に汗が流れて縞模様ができていた。炭層に沿ってカッターで切った後を、ピックで削り落としていた。
 ところがその翌日、吉田飯場が請負った切羽に行って劉は驚いた。二尺層といわれる炭層は約六〇センチ、短い柄の鶴嘴で寝掘りする場所だった。キャップランプのコードが首と足に巻きつき、頭が天井の岩盤に当たった。一〇分採炭しただけで、下半身がしびれた。
 端島炭鉱は海底炭坑で、上層の上に上八尺がある。そこは海面に一番近く水の層とも呼んだ。炭層が薄い上に、海水が雨だれのように落ちてきた。日本人坑夫が最も嫌う切羽で、そこを吉田飯場が請負っていた。

ちなみに証言者は、三一独立運動の学習会に参加したり、京都大学を出ている被差別部落出身の日本人から講義を受けていた。軍艦島には朝鮮人労働者を解放する意図で、「英雄気取り」で乗りこんだという*8
しかし釣り人に偽装した監視などがきびしくて、結局は仲間の朝鮮人三人だけで逃げることになった。途中参加した日本人坑夫二人をくわえて近くの中ノ島へ泳ぎ、そこでイカダをつくって長崎半島へたどりついたという*9
これもまた、強制労働への抵抗があったことや、その限界をあらわす証言といえるだろう。くわえて過酷さを感じる日本人もいたこと、抵抗に協力する日本人もいた歴史がつたわってくる。

*1:23頁。

*2:親戚が朝鮮半島の植民地統治をになっていたノンフィクション作家。強制労働の証言などを集めていたため、世界遺産化にともない徴用工の美化がつづく近年になって攻撃を受けるようになった。日本語版Wikipediaでは、2020年11月18日にIPアドレス編集者「42.124.253.62」が「窃盗容疑者。」という記述をいきなり追加し、すぐに自身で削除。同日にIPアドレス編集者「180.15.1.101」が「軍医が撮影した写真を明確な許可無く持ち出し利用した過去をもつ。これは現在も未解決。」という記述を、やはりノートの議論や出典もなく追加。その後にふたりほど細部を編集しているが、出典のない記述は現在も残されている。 「林えいだい」の変更履歴 - Wikipedia

*3:この書籍では「ソジヨウ」とフリガナがふられているが、現在は「ソジョンウ」の表記が一般か。 www.asahi.com

*4:196頁

*5:199頁。

*6:エントリタイトルの表現は、安倍氏自身が国会でもちいた言葉を意識している。 b.hatena.ne.jp

*7:185頁

*8:184頁。

*9:188頁。