NHKが1955年に放映した短編ドキュメンタリ『緑なき島』*1が、産業遺産情報センター所長の加藤康子氏や、自民党衆院議員の高木啓氏に非難されている*2。
60年も前の、ほとんど誰も見ていない番組にケチをつける粘着ぶり! これが歴史修正主義者の「一点突破全面展開」戦術です。 https://t.co/dlk5gM2DUn
— 能川元一 (@nogawam) 2021年1月23日
端島炭鉱が軍艦島として廃墟化する前の資料映像として『緑なき島』がつかわれていることは、後述のように事実ではあるようだ。
しかし『緑なき島』が軍艦島の過酷さを印象づけるように「間違ったイメージを刷り込んだ」「罪は極めて重い」かというと、かなり疑わしい。
たとえば2016年、「軍艦島デジタルミュージアム」が公式ツイッターで特に強く否定もせず紹介したことがある。
【今日は何の日?】
— 軍艦島デジタルミュージアム (@gunkanjima_gdm) 2016年11月17日
<11月17日の出来事>元島民スタッフ木下より
昭和30年の今日、NHKが「軍艦島」を描写した短編映画『緑なき島』を放映。私はまだ2才の頃で、電波のない軍艦島では見ることはできませんでしたが、最近運良くこの「緑なき島」を見て、昔の軍艦島を見ることができました。 pic.twitter.com/qeGr5v5LDr
公式HPにてスタッフブログを更新しました‼️
— 軍艦島デジタルミュージアム (@gunkanjima_gdm) 2016年11月17日
「今日は何の日」でもご紹介した「緑なき島」をスタッフ桑が
さらに詳しくご紹介😊https://t.co/qcdjXbFHmb#軍艦島 #端島 #長崎 #廃墟 pic.twitter.com/sBpDeGz6rr
サイトリニューアルでブログエントリが消されて、残念ながらアーカイブも見つけられず、どのように紹介されたかはわからない。
しかし、はっきり軍艦島への偏見を強める内容と考えたなら、ツイッターの紹介でも注意書きしただろう*3。
軍艦島などの炭鉱作業の過酷さを否認する動きは以前からあったが、『緑なき島』が特筆された記憶はない。インターネットで簡単に検索しただけでは2019年以前の批判は見つけられなかった。そもそも軍艦島のドキュメンタリは複数あり、視聴困難作品でこそなくても、わざわざ半世紀前の短編への言及そのものが日韓ともに少ない。
次にデイリー新潮のインタビューを読めば、加藤氏が主張する「重大な疑惑」が、首をかしげるものでしかないことがわかる。
www.dailyshincho.jp
まず元島民が疑問を指摘したのはいい。念のため専門家に質問したのもいいが、NHKが捏造をしないという全否定には逆に調査能力を疑う。
彼女は元島民より「NHKの『緑なき島』というドキュメンタリーで、坑内作業の映像は間違いだらけだ」という指摘を何回か耳にした。
「ところがテレビ業界に詳しい専門家に話を訊くと、『天下のNHKドキュメンタリーで、やらせや捏造など虚偽映像を作るなど考えられない』と全否定されました。私もNHKには取材力があり、国民の受信料で制作をしているので、厳しい倫理規定の元に作成しているはず。島民の言葉だけで捏造とは断定できないと思いました。そこで、本格的な調査を保留にしていたのです」
もちろんNHKも過去にさまざまな捏造が疑われ、批判もされてきた。『NHKスペシャル』の「奥ヒマラヤ禁断の王国・ムスタン」が過剰演出で批判されたことが有名だ。
- 作者:小松 健一
- メディア: 単行本
同時期に『NHKスペシャル』の「チベット死者の書」を作っていた別スタッフが、論争になったことを「演出」する側として「技法」と評した文章もある。
www.ghibli.jp
いろんな準備も、演出も必要です。ただ、「奥ヒマラヤ禁断の王国・ムスタン」についていえば、手法上、誇張したり、あまりうまくない再現を使ったりしたところもあると思います。でもそれは技法の問題で、「嘘をついた」と、倫理的に、あたかも犯罪者のように糾弾する話ではないと思います。
ここでNHKへの過剰な信用を語っていることが、逆に加藤氏の意図と演出を感じさせる。
加藤氏は2020年にようやく「映像の矛盾点」を見つけたという。それは作業員が作業服でエレベーターを降りながら、坑内作業をおこなっている作業員は上半身裸という違いだった。
「NHKの取材班は、島内では実際にカメラを回しています。坑内に入る作業員の映像も本物で、作業服に身を包んだ男性たちが階段を降り、エレベーターで海底の炭鉱に降りていく様子が記録されています。ところが坑内に入ると、いきなり作業員は上半身裸になってしまうのです。『わざわざ作業服を着て坑内に向かったのに、坑内で服を脱ぐというのはおかしくないか?』と疑問が浮かびました」
一般的なドキュメンタリの手法として、資料映像をイメージ的に利用することはあるし*4、同じ現場でも違う日時や異なる作業の映像を組みあわせることはよくある。そうしたドキュメンタリのモンタージュ演出には古くから批判もあるし、現在では資料映像などの断りを入れる慣例につながっている。
しかしそれゆえに『緑なき島』が特筆して批判されるべきかは疑わしい。降りる時は作業服を着ていて、作業中に湿度や高温などで衣服が不快になればぬいでいるのをつないだだけかもしれない。先述の「軍艦島デジタルミュージアム」では、炭車を押す作業員が上半身裸になっている写真が掲載されている。
gunkanjima-nagasaki.jp
加藤氏が他に指摘している坑外と坑内の服装の違いも、同じ軍艦島の違う作業をモンタージュした可能性を排除できない。
「まず坑外と坑内ではヘルメットの形が違っていることが分かりました。また坑外ではヘルメットにキャップランプが装着されていたのに、坑内ではそのランプをはずしています。坑内は真っ暗でキャップランプなしに安全に作業はできません。更にガスが出る端島炭鉱では使用を禁止されていた裸電球が坑内にぶら下がっていました。NHKの映像では平らな坑道になっていますが、端島炭鉱の炭層は45度から60度の急傾斜なのでこんな坑道はないはず、と様々な疑問点が判明したのです」
そしてNHKが坑内作業を撮影しなかった理由の推測を読むと、何のために「捏造」と批判されているのかわからなくなっていく。
「端島炭鉱の総務課に勤務していた男性が、『坑内の撮影を許可した記憶がない』と証言してくれたことが謎に迫る鍵になったと思っています。端島炭鉱はガスが多く、ガス爆発や炭塵爆発の危険もあり、撮影の許可が下りなかった可能性があるのです」
「端島炭鉱の記録を見ると、採炭現場から帰ってきた作業員は粉塵で真っ黒です。ところがNHKの『緑なき島』では、坑内の場面で登場する作業員は、裸の上半身も褌も真っ白です。この人々は一種の“エキストラ”だった疑惑も出てきました」
敗戦の十年後も撮影許可がおりない可能性があるくらい危険な坑内。作業員は必ず粉塵で真っ黒くなっている*5。それを映さず、安全な情景のように軍艦島を美化したのだとすれば、当時のNHKの罪はそこにあるのではないだろうか。
軍艦島の坑内は水平ではなかったという主張も*6、そもそも軍艦島は傾斜がきつい炭鉱ゆえ作業に熟練が求められ、まともな訓練もなく集められた朝鮮人の負担が相対的に大きかったという問題がある。
hokke-ookami.hatenablog.com
急傾斜の炭層ゆえに機械化が困難で、だからこそ職人の技術が重用されたこと*1。海中炭鉱ゆえ安全な採掘深度に限界があり、結果として労働者が別炭鉱に再就職できる余裕がある時代に閉鎖されたこと*2。
労働力や資材の不足をおぎなうため、職人として熟練していない朝鮮人や中国人、さらに外国軍捕虜も動員された。そうしてかき集められた労働者と、それ以前からの勤続者には距離が生まれたという*3。
そうした乖離が端島でさらに拡大しても不思議ではない。端島で発見された1925年から1945年の死亡者の記録から、朝鮮人の死亡率が日本人よりはるかに高く、その内容も病死や事故死だったことが明らかになっている*4。
韓国の国立日帝強制動員歴史館*7の展示解説で『緑なき島』がつかわれているそうだが、ひるがえって日本の博物館の受容を見ても、どこまでイメージ形成に寄与しているかは疑わしいところ。韓国映画『軍艦島』の情景参考になったことも記事のキャプションで「可能性がある」というくらい。
『緑なき島』とは別に、1960年ごろの日本人の写真が朝鮮人の強制労働イメージとしてつかわれていた逸話も指摘されている。しかし炭鉱の現場写真だったことは事実だった。
もともと韓国では「炭鉱の中を上半身裸で寝そべって作業させられる徴用工」という有名な写真があり、日本の韓国人徴用工に対する非人道的な扱いを象徴するものとして広く知られていた。
ところが産業遺産国民会議の調査で、この写真は昭和30年代に筑豊で撮られたもので、韓国人徴用工とは全く無関係であると判明している。
日本人炭鉱夫の写真が朝鮮人徴用工として報道で誤用されたという指摘は、2019年に撮影者が判明したことを産経新聞が報じている*8。
www.sankei.com
ちなみに同じ写真の誤用を以前に報じた2017年の産経記事では「明治中期の筑豊の炭坑の様子を写したものだという」*9と「誤報」している。この間違いは2019年の産経記事でも末尾で言及され、郷土出版社の『目で見る筑豊の100年』にもとづくと釈明しつつ、はっきりした謝罪は見つからなかった。
明治から三十年以上たったのならば、労働環境は改善されたかもしれない。しかし十年以上前、植民地出身で差別されていた作業員が、写真よりも安全な労働環境にあったとは一般的に考えにくい。軍艦島と筑豊の労働環境が異なる可能性を考慮しても、そもそも朝鮮人徴用工は筑豊炭鉱にもいた。
映画『仁義なき闘い』冒頭の広島原爆は、長崎のキノコ雲で「代用」されている*10。ヒロシマとナガサキのキノコ雲の写真がとりちがえられることは問題かもしれないが、それをもって原爆投下がなかったことにはならないし、被爆者証言を疑う根拠になるわけもない。
もちろん、軍艦島における朝鮮人作業者の現場撮影があるなら、それをもちいることが望ましいだろう。しかし韓国で朝鮮人徴用工のイメージにつかわれた似た写真があったのなら、『緑なき島』がイメージをつくりだした根拠は弱まる。同じイメージが多く流れているのであれば、ひとつのイメージが源流とは特定できない。
さて、こうして加藤氏は『緑なき島』を非難しているわけだが、それは先述したとおり最近に急にはじめられたこと。
加藤氏からNHKが敵視されたことに、ひとつの指摘がある。2020年10月に別のNHK番組『実感ドドド!』で、軍艦島の記憶から負の側面が隠されている問題が報じられたのだ*11。
ちなみに、いま歴史修正主義者たちがもう一つNHK攻撃の口実にしているのがこの件。https://t.co/WvZUYkhZXU
— 能川元一 (@nogawam) 2021年1月23日
『週刊金曜日』2020年12月18号の拙稿でも言及した動画。「NHKに発言を切り取られた〜!」という定番のクレームなのだが、この動画を見ても加藤康子の歴史修正主義的欲望は明白。
デイリー新潮のインタビューでも、『緑なき島』非難の後に、加藤氏が取材された体験を語っている。これが事実なら取材後ではなく取材以前からもっていた疑問をぶつけたようだ。
NHKのディレクターは端島炭鉱における“負の歴史”も、産業遺産情報センターで展示すべきではないかと質問した。
加藤氏は“負の歴史”という概念に疑問を示す一方、“負の歴史”というイメージが広がっていった責任の一端はNHKの「緑なき島」における坑内の映像にあるのではないかと指摘したという。
「私たちが問題だと考える『緑なき島』の場面を見てもらい、検証の結果も説明したのですが、議論は平行線でうやむやに終わってしまいました」
たまたま同年に取材される前に疑問点を加藤氏が見つけたのだとしよう。しかし、その疑問をまとめてNHK全体へ非難の矛先を向けたことに、関連性がなかっただろうか。
加藤氏らの団体サイト「軍艦島の真実」で『緑なき島』の「検証」を紹介するページを見ても、わざわざ『実感ドドド!』が言及され、その筆致から反撃という動機を感じさせる。
www.gunkanjima-truth.com
端島炭坑(軍艦島)を“負の遺産”と一方的に決めつけたドキュメンタリー番組『実感ドドド!追憶の島~ゆれる“歴史継承”~』で偏向報道を行ったNHKが、端島炭坑(軍艦島)の“負の遺産”というイメージそのものを、自ら捏造していたとしたら許せるでしょうか。まさかそのような事実と直面するとは、私たちも全く考えていませんでした。
念のため、『実感ドドド!』に批判されたことが加藤氏が『緑なき島』を攻撃する動機とまでは断言しない。
ただ「偏向報道」された経験を主張しながら、捏造しないと考えていたという自己申告を素直に信じることは難しい。
そして「検証」の映像を見ると、終盤に朝鮮人炭鉱夫の証言が紹介され、『緑なき島』と一致しているように主張されていた。
つまり加藤氏らの意図に反して、『緑なき島』の映像を裏づける複数の証言が存在するのだ*12。
何もかも逆さまだ。『緑なき島』に影響されて強制労働のイメージがかたちづくられた順序を、いっさい加藤氏は示せていない。歴史研究で被害証言が集められた後、参考映像として『緑なき島』がつかわれている例があるだけ。
加藤氏の「検証」は、過去の環境が悪かったことを否認する立場の証言ばかり採用し、より過酷な状況からの証言を排除することで成立している。
問題は『緑なき島』への非難にとどまらない。産業遺構センター本体においても、負の側面の証言を除外するような展示がされている。『週刊金曜日』の植松青児氏による記事がくわしい。
www.kinyobi.co.jp
当時子どもだった人の証言がほとんどだ。在日2世の鈴木文雄さん(33年生まれ)の証言も大きなパネルで展示されていたが、鈴木さんも8歳か9歳の時に端島を離れている(注11)。このように、日々の労働現場で強制労働動員された朝鮮人と密な接点があった人の証言は、一切展示されていないのだ(注12)。
金順吉さんは92年に三菱重工を相手に損害賠償請求訴訟を起こし、97年に出された長崎地裁の判決では、45年1〜2月合計の額面上の支給額約116円に対し控除額約86円で手取額はわずか30円、7月分は不支給という事実が認定されている。
見学者一人ひとりに判断を委ねたいのなら、なおさら先行研究や先行調査で採取された証言を展示すべきだろう。なぜ、日本の学術研究者が採取した日本人島民の証言(注4、注8の高比良氏の証言など)すらも展示しないのか。
注4 高島炭坑での過酷な労働者支配は1888年に雑誌『日本人』で告発ルポが発表され、社会問題となった。また三菱が経営を引き継いだ後の97年には労働者のストライキがあり、他にも多くの暴動が発生している。
端島炭坑についても「納屋には全体をとりしきる勘番がいて、巧妙な前貸制度と暴力によって『圧制』をしいていた。職種別の差別意識がもちこまれ、とくに坑内夫(採炭夫)は坑外夫(保安仮設)より一段低い存在として差別された」(端島炭坑で働いた高比良勝義氏の証言。NPO西山夘三記念すまい・まちづくり文庫編『軍艦島の生活』123頁)など多くの証言がある。
過酷な状況をしいられた外国人の被害を否認するために、近しい立場におかれていた弱き日本人の被害も否認される。
それは軍艦島にかぎらない、今もつづく問題だ。
*1:1948年に同名のセミドキュメンタリー映画もつくられているように、題名は一般的な軍艦島のイメージだった。www.kinenote.com そのためバケツリレーで土を運びあげ、屋上庭園もつくられている。www.gunkanjima-museum.jp
*2:ツイートしている哲学者の「能川元一@nogawam」氏は、軍艦島をめぐる「歴史戦」について『週刊金曜日』2020年12月18日号に寄稿している。www.kinyobi.co.jp
*3:ついでに当時の軍艦島ではテレビが視聴できなかったこともわかる。1966年に島内のテレビ普及率が高かったことは、やはり戦前戦中の強制性を否定する根拠として足りない。hokke-ookami.hatenablog.com
*4:バラエティ番組的な歴史ドキュメンタリを見れば、違う時代の鎧兜を着た武者の戦いがイメージ的に入ったりする。
*5:ただしモノクロ撮影では、粉塵で黒くなっていても白く映ることはある。かつての感度の低いモノクロ撮影は、男女の別なく濃い化粧をほどこしていた。引用されている『緑なき島』の作業員も、肌は汚れているようにも見える。
*6:ただし傾斜した炭層を掘りすすめたことと、作業員が採掘する現場が水平なことは、厳密には矛盾しない。
*7:公式サイトを簡単に見たかぎりでは、『緑なき島』らしいイメージは確認できなかった。museum.ilje.or.kr そもそもサイトの日本語版は情報量が少なく、「常設展示室2」で「炭鉱」は入口の再現が確認できるだけ。museum.ilje.or.kr ちなみに「常設展示室2」の「強制動員の過程」の絵に「いい所に就職させてやると言われて行った道」とキャプションされ、韓国語版(google翻訳)でも「좋은데 취직시켜 준다고 나선 그 길(良い就職させてくれる螺旋道)」と書かれていることから、暴力的な奴隷狩りという固定観念にとらわれていないことがわかる。
*8:記事写真から炭鉱写真部分のみトリミングした。
*10:紅野謙介氏による『「キノコ雲」と隔たりのある眼差し──戦後日本映画史における〈原爆〉の利用法』がくわしい。こちらPDFファイルのノンブル101~103頁。http://www.genbunken.net/kenkyu/15pdf/1509kouno.pdf
*11:『実感ドドド!』の内容は、「Dark Knight@DarkKnight_jp」氏のツイートがくわしい。 NHKの矜持を感じたドキュメンタリーが、先週金曜日10/16九州圏の番組「実感ドドド!」で放映された。徴用工問題で揺れる世界遺産のひとつ軍艦島の抱える問題を描いた「追憶の島〜ゆれる“歴史継承”〜」だ。日韓の「負の歴史」をどう継承するのか。今年観たドキュメンタリーではNo.1の渾身の傑作! pic.twitter.com/EelfOYctmV
*12:17分28秒以降。キャプチャ画像は17分40秒。