ここ最近の過去作品リバイバルで、同じようなパターンが新たな邦題に使われているのを見る。
1988年の『バニシング消失』や1983年の『アングスト/不安』*1といった作品が具体例だ。
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このパターンで私が知るかぎり*2で最も古いのは、1982年に公開された『エンティティー 霊体』。
しかし現在の潮流は、おそらく2010年の侵略SF『スカイライン-征服-』から始まっていると思う*3。
きちんと物語が完結していない低予算作品だがスマッシュヒットし、続編も作られるくらい注目された。
これ以前に同種のタイトルを見たおぼえがなく、それゆえ印象に残っている。
そこからSFやホラーのジャンルを中心に、B級映画でもマイナーな系統で目にするようになった。
マイナーなりに一部で注目される作品に使われることもある。
最近の中国カンフー映画も、おそらく近い意図で邦題がつけられたシリーズがある。
さすがにシリーズでひとつだけ「序章」をつかったのは違うか。
他にどのような邦題の映画がこのパターンに入るだろうか。
しかし考えてみると、カタカナ語で外国作品と示しつつ、二字熟語で内容をあらわすのは、邦題をつくる手法としてよくできている。
それっぽいカタカナ語だけでは内容の見当がつけづらいし、二字熟語だけだと一般的な単語と区別しづらい。
三文字以上の熟語では説明的すぎるし、作りこめるがゆえに滑ったと批判されやすい。
手法として明確すぎて、映画史に残る名邦題はつくりづらいとも思うが、そこそこ悪くない邦題を決めていくには良いのだろう。
そのため手軽に量産されて現在につづいているのではないか。