「あいちトリエンナーレ2019」の一展示としておこなわれた「表現の不自由展・その後」が、暴力を予期させる抗議によって中止に追いこまれたという。
「撤去しなければガソリンの脅迫も」企画展中止に知事 [表現の不自由展・その後]:朝日新聞デジタル
大村知事は会見で、「これ以上エスカレートすると、安心して楽しくご覧になることが難しいと危惧している。テロ予告や脅迫の電話等もあり、総合的に判断した。撤去をしなければガソリン携行缶を持ってお邪魔するというファクスもあった」と説明した。
そもそも「表現の不自由展・その後」そのものが、さまざまな理由で抑圧されたことのある表現を集めた展示であり、日本社会における表現の抑圧を記憶するものであった。
表現の不自由展・その後
近年公共の文化施設で「タブー」とされがちなテーマの作品が、当時いかにして「排除」されたのか、実際に展示不許可になった理由とともに展示した。
この展示への反応として、抗議への正面からの同調を避けつつ、「黙殺」や「無視」を呼びかける意見が散見された。反発したいが批判すれば価値を認めてしまうという心象からきているようだ。
津田大介氏については、自由にやったらというのが私の意見。社会的に攻撃はあるだろうが、彼を止めるのは言論の自由を擁護する立場上賛成できない。ただ、後援する愛知県は思想の偏りを知りつつスルーした点で責任は免れない。一番良いのは騒がず、誰も観に行かず、黙殺することだったと思う。
— そせじ番長@言論の自由を守ろう。安易なヘイト認定に反対 (@jnakata2014) 2019年8月3日
せやから( ´・ω・)批判であれ侮蔑であれ嘲笑であれ唾棄であれ何であれ、津田大介如きの名前を出すだけでヤツのチョロこい手口に乗せられてると気付いてくれ。話題にする値打ちもないんやから、ただ黙殺するのが一番。オレなら津田大介が道端で死にかけてても一瞥もくれてやらんぞ。
— 昼間に出てもバンデル☆人 (@hirumanidetemo) 2019年8月3日
しかし現実には、黙殺できず無視されなかった作品を集めた展示だ*1。反発する価値もないと主張したがる人々は、根本的にコンセプトを理解できていない。
また、 ライターの林智裕氏のように、「主催者側の政治的志向や好み」で排除された作品も入れるべきだという理由で、「ダブルスタンダード」という主張もある。
だから今回の「表現の不自由展」でも主催者側の政治的志向や好みに合わない、かつて潰された、例えば右派の『表現の自由』は扱われていましたか?
— 林 智裕 (@NonbeeKaerucci) 2019年8月2日
彼らが護りたいのは表現の自由ではなく「自分達好みに秩序や権威を再構築できる自由」ですよ。
「表現の自由」は、それを正当化させ支持を集める口実。
いったん展示を認めながら公権力の圧力や脅迫に屈して撤去されることと、主催者側の政治的志向や好みで最初から展示されないことが、 林智裕氏にとっては同じスタンダードらしい。
結局、古今東西権力を持った人達によって「芸術」は容易に私物化される。
— 林 智裕 (@NonbeeKaerucci) 2019年8月2日
今の日本では、「左派・リベラル」もまた、巨大な権力の1つではあるよ。掲げる看板の色やデザインが違うだけ。
そして彼らもまた他の権力同様に、自分達好みに自由や「正義」を恣意的に選り好みしてきた。
津田氏自身もね。
もちろん、左派に位置づけられる立場でも、局面によっては権力を行使できる立場にふくまれるだろう。しかし、それにより弾圧された表現をコンセプトにそって集められるほど、日本で左派が政治的に優位な局面は多くない。
なお、林智裕氏は「表現の自由」に優先順位をつける下記ツイートをリツイートしている。京都アニメーションへの放火事件の、最悪の政治利用のひとつと思わざるをえない。
たぶん津田氏の狙いが、私にはとても古臭く感じるのだと思う。明治昭和かよ、と。限られた自分の人生のリソースを費やすなら、どこかの誰かのいつかの政治主張の自由なんてのは、どうでもいいです。時間のムダ。その時間があったら、自分が見てない京アニ作品を見てみたい、もっと知りたい。
— Crocan (@crocan96) 2019年8月3日
また、帝国主義の犠牲者の記念碑や国家最高権威者への批判表現と、ホロコースト否認論のような偽史や人種差別表現を、同列にあつかうツイートもリツイートしていた。
ホントにやるなら、入場口に反天連のプラカ人形とチョンキールシールべたべた貼りまくった慰安婦少女像並べて、マルコポーロの廃刊号と悪魔の詩ぐらいは誰でも読めるように置いておきたいけど、殺されるかな。89%ぐらいの確率で殺されそうだな。 https://t.co/TLDFVh88nD
— とりぱん総理は中性脂肪がすごい (@toripan2) 2019年8月3日
これでは人権や科学についての見識を林智裕氏に期待することは難しい。
前後して、林智裕氏は弾圧被害者を日本社会が守れなかったことをもって、日本社会が海外から批判される原因になるだろうと予測し、それを理由に弾圧被害者を批判している。
こうなるのは目に見えていたからこそ、公共の芸術祭を一部の人達の自己満足と私物化によってぶち壊した関係者の責任は問いたい。
— 林 智裕 (@NonbeeKaerucci) 2019年8月3日
今後、また海外から「日本は」というデカい主語で我々もろともあらぬ批判や言いがかりみたいなものを受ける破目にもなるのでしょうね。ああ、やだやだ。 https://t.co/jd6A2RaNMw
弾圧を呼びこんだことをもって、弾圧被害者を批判する。非常にねじまがった論理ではあるが、同じような意見は少なくない。
しかし上述のように、そもそも弾圧された表現を集めた展示である。今回の展示さえなければ弾圧された事実が消えるわけではない。
何より、報道等で焦点となった従軍慰安婦問題の記念碑について、爆破テロを呼びかけた人物を、日本社会は再び国会に送りこんだ。
杉田水脈(日本のこころを大切にする党・落選議員)、慰安婦像爆破テロを推奨? - Togetter
産経記事はFeNDサイトに「杉田氏を『慰安婦否定論者』と表現し、杉田氏がテロを容認していると思わせるような記述もある」と書いている。いやいや爆破テロを容認どころか推奨してるじゃん著書で。もし他国の政治家が「靖国神社は爆破すべき」と著書に書いたら、産経は「テロ容認」って書くでしょ? pic.twitter.com/pKQjg2u9S0
— エミコヤマ (@emigrl) 2017年6月12日
あるいはそれよりちょっと残念な反応として、「それが冗談だということくらいわかるだろう、いちいち文句言うな」あたり。でも実際の返事は、「読者の判断に任せます」というもの。杉田さんの提案を本気にして行動に移す読者がいたら大変だと言っているのに「読者の判断に任せる」というのはどうかと。
— エミコヤマ (@emigrl) 2017年6月16日
それも泡沫議員ではなく、現首相に重用された与党の一員として。これは林智裕氏の否認するような意味で「我々」の、日本社会の問題だ。
ちなみに杉田水脈氏のツイッターを見ると、脅迫こそ「あってはならない」と表面では否定しつつ、展示を中止させたいかのようなツイートをしていた。
【脅迫はあってはならないことですが】
— 杉田 水脈 (@miosugita) 2019年8月3日
苦情や批判が殺到しなければ、観覧者の安全が守られれば、あのまま、あの酷い展示を続行したのですか?https://t.co/XBfhRrRoJd.. https://t.co/jIRDuqguQp
さすがに政府与党の一員である自覚はあるだろうし、政治家が展示の抑圧に動いていたことも認識しているだろう。つまりこのツイートは公権力による表現の抑圧をおこないたいという宣言だ。
もちろん一議員の発言にとどまらず、ウィーン条約を口実とした在外公館近辺にとどまらず、日本の政府や各地方は世界各国において従軍慰安婦問題の記念碑へ圧力をかけつづけている。
- 作者: 山口智美,能川元一,テッサ・モーリス‐スズキ,小山エミ
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2016/06/24
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログ (3件) を見る
上記書籍で説明されているように、像を支持する日系人団体への補助金打ち切りなど、批判や抗議にとどまらない公権力による抑圧が続いている。その意味でも、今回が初めてではないのだ。
*1:ちなみに「表現の不自由展」そのものは2015年におこなわれ、2019年の今回はそれを踏まえたもの。なおかつ作品選択は実行委員会がおこなっているようだ。津田氏は企画した主催者として責任を負うべき立場だが、あたかも作品選定を津田氏個人がおこなったかのような認識は正しくない。表現の不自由展、中止に実行委が抗議「戦後最大の検閲」 [表現の不自由展・その後]:朝日新聞デジタル