法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

「LGBTPZN」と「相対化」にまつわるrag_en氏の不思議なコメント

「LGBT」に「PZN」を付属させようとする人々が、欲求と実行を混乱させようとしたり、先行する言葉を隠している謎について - 法華狼の日記

仮に、LGBTがPZNより権利が認められているとして、前者と後者を結合するよううながすことは、「PZNの権利向上」や「LGBTをおとしめること」をねらったものといえるだろう。

つまるところokimochi-philia氏のエントリは、他者の権利を侵犯しうる行為を止められないことと、他者の権利を侵犯しうる欲求をもつことを混同させることで成立している。

それも前者と後者の線引きの難しさを主張するためというには、あまりに文章が混乱している。このような書き手しかいないのであれば、「LGBTPZN」が日本語圏のWEBでしか流通しないのも当然だろう。

id:okimochi-philia氏のエントリが混同によって成立していることを指摘した上記エントリに、はてなブックマークid:rag_en氏がコメントをつけていた。
はてなブックマーク - 「LGBT」に「PZN」を付属させようとする人々が、欲求と実行を混乱させようとしたり、先行する言葉を隠している謎について - 法華狼の日記

相変わらずのアクロバティック読解。/まぁコレ、C.R.A.C.の『「オタク差別」なんて無い!』論と同根だよね、と。「Social Justice」界隈によくある『「相対化」からの逃走(しかしまわりこまれてしまった!)』ってやつ。

しかし上記エントリを読み返しても、私が相対化から逃走しているかのような記述が見当たらない。
むしろ私は「異性愛者でも合意なく他者を巻き込むならば罪になるべきだろうし、小児性愛者でも虚構に耽溺するだけならば罪になるべきではあるまい」と主張した。ある意味ではokimochi-philia氏の相対化が不徹底と指摘した立場ともいえる。
それどころか、実際に相対化へ否定的な表現があるのは、私が言及したokimochi-philia氏のエントリだ。
LGBTPZNは何を破壊しているのか、あるいは「やってしまわないための連帯」の(不)可能性 - 自然法被害者の会

ここで安易に極端な相対主義を持ち出すつもりはありません。多くの"穏健な"人々と同様、私はこの時代のこの社会が決めた規則に従うことの価値を知っています。

rag_en氏の読解が正しいならば、むしろokimochi-philia氏の文章に混乱があるという私の指摘を裏づける。


また、メタブックマークにおいて、rag_en氏は下記のようにコメントしていた。
はてなブックマーク - はてなブックマーク - 「LGBT」に「PZN」を付属させようとする人々が、欲求と実行を混乱させようとしたり、先行する言葉を隠している謎について - 法華狼の日記

ただサンプルとしては面白い。つまり、「Social Justice」界隈は『Aの「絶対化」を解呪するための、AとBの「相対化」』を、「Bの権利向上」、もしくは「Aをおとしめること」として捉えている…という例。

冒頭で転載したように、私自身は「LGBTがPZNより権利が認められているとして」という仮定をもとに論を敷衍した。Bより権利を認められているAとの区切りが壊されるならば、「Bの権利向上」もしくは「Aをおとしめること」になるのは論理的な帰結どころか逐語的な読解に近い。
むしろそうでないととらえるrag_en氏の界隈*1がどのような辞書を使っているのか知りたいくらいだ。

*1:はてなスターが複数つけられていることから、コメントに一定の支持があることは推察できるが、その動機はわからない。