法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『トガニ 幼き瞳の告発』

画家の道を挫折して妻も亡くしたカン・イノは、光州の聾学校に美術教師として赴任する。
賄賂を要求されて得られた教職を捨ててまで、カンは施設の虐待を告発しようと動くが……


主演のコン・ユが製作もおこなった、2011年の韓国映画。原作小説は、2005年に発覚しながら追求しきれなかった虐待事件にもとづく。

主演のコン・ユが異常な事態において保護者として成長していく物語として、後の列車ゾンビ映画『新感染 ファイナル・エクスプレス』*1を連想させるところがある。冒頭で野生動物を轢き殺して不安感をさそう演出や、線路が重要な舞台のひとつになるところも通じる。
さまざまな家族のかたちが描かれて、その美しさや醜さをむきだしにしていく群像劇という共通項もある。全体として陰惨で後味の悪い作品ではあるが、きちんと最後まで人を信じようとする物語として完成していた。


物語の本筋だが、虐待事件の発覚は序章で終わり、全体としては法廷映画の色が濃い。
さまざまな法廷内外の攻防が主軸となり、被害者の告発は一進一退しつつ、少しずつ無力化されていく。ここで映画の批判対象はひとつの施設にとどまらず、韓国の司法と、それを看過してきた社会もふくめていく。
地位の高い判事が弁護士に転職した最初の裁判は、被告に有利という慣例があったり。その慣例を逮捕した警察官が施設側へ教えたり。聾唖者への手話通訳が開廷当初はおこなわれなかったり、そこで騒いだからといって退廷させられたり。
なかでも驚かされたのは、性的虐待の被害者が13歳以上であれば、保護者が示談すれば罪に問われないという法制度。

「性的関係は合意さえあれば問題にならないよね」
「そうだね」
「第三者が性暴力と感じても被害者が否定すれば性犯罪にはならない」
「そこで被害者がおどされたら?」
「13歳以下の子供は立場が弱いから、本人の意思と関係なく立件できる」
「うん、年齢は違うけど日本も理念は同じだよね」
「13歳以上は示談にできるけど、保護者の承認が必要」
「うん」
「保護者が承認すれば被害者本人が納得してなくても示談にできる」
「うん?」

保護者が示談に応じざるをえなかったことも、韓国社会の問題を背景にしている。カンが子供に告げる言葉の優しさが、あまりにもつらい。
なお、映画公開後の世論を受けて、こうした司法制度も改革されたという。観客もまた、映画で描かれた問題を他人事ではないと感じたということなのだろう。


また、意外なところで特撮映画としての面白味もあった。校長と行政室長は双生児という設定で、チャン・グァンが二役を演じているのだが、それを合成で表現している。
カメラ移動などはしないので、さほど複雑な技術ではないものの、質感や演技に違和感がない。まったく同じ顔が画面にならび、その背後に校長の肖像画がかかげられる校長室のブラックコメディな情景も凄かった。
校長兄弟がよく似ているという設定から、西村京太郎の初期傑作『殺しの双曲線』を思わせる展開が始まったのもおもしろい。そこで被害者が見事に区別するのだが、その手法によって、校長兄弟が教育者ではなかったこともあらわになった。