地方紙ボストングローブの新しい編集局長として、ユダヤ系のマーティ・バロンという男がやってきた。スポットライトという名物コラムの題材として、教会の不祥事をとりあげるようマーティはうながす……
2015年の米国映画。カソリック教会が組織的に矮小化していた不祥事を、ていねいな取材であばいた地方新聞の実話にもとづく。
- 出版社/メーカー: VAP,INC(VAP)(D)
- 発売日: 2016/09/07
- メディア: Blu-ray
- この商品を含むブログ (8件) を見る
児童に対する性的虐待をスクープした映画ということは知っていたが、その先入観からすると意外な構成の映画だった。
まず、序盤でいきなり神父の性的虐待があばかれているが、それはボストングローブがスクープしたためではない。マーティが性的虐待を題材にするよう部下に指示した時点で、そのような事件があったこと自体は公開されていた。
この映画は、韓国映画『トガニ 幼き瞳の告発』*1のような完全に隠蔽されていた事件を告発する物語ではない。すでに一部で表面化しながらも個別の小さな事件として処理されていた犯罪を、組織による社会問題として把握しなおそうとする物語だ。
被害者のひとりは担当記者に膨大な資料を示すが、それはかつてボストングローブ社に送ったものだった。ボストングローブ社内の資料庫で、ひとつひとつは地味な公開記事を読み返していくと、同種の事件が膨大かつ連続して存在していたこともわかっていく。
虐待された児童が映されるのは序盤くらい。基本的には、虐待された過去に苦しみながら成人した被害者ばかりが登場する。成人男性が子供時代の苦痛にさいなまれる姿を通して、虐待が尾を引く長さと、成長した体という器に心が満たされていない悲しみを印象づける。
スポットライト担当記者の取材は地味な裏取りがつづく。平和な街を歩きまわって証人を探して証言を集めていく情景が、オーソドックスなカメラワークで映されて、まるでTVドラマのよう。実際、地方紙コラムを主軸とした連続ドラマの劇場版がこの映画だと聞かされても信じてしまいそうだ。
そして淡々と積みかさなっていく情報に、担当記者は事件の全体像の修正をせまられていく。
スクープというものが、必ずしも誰も知らない秘密の発見ばかりではなく、しばしば公然の秘密の事実確定や一般周知もふくまれることを思い出させる*2。
淡々とした撮影を基本としているからこそ、担当記者の身近に問題がせまっていたことがわかり、走りだす場面のカメラワークがきわだつ。もっと深く掘りさげられる題材と考えていたくらいのマーティの思惑を超えて、担当記者ひとりひとりが全体像の解明にのめりこんでいく。
事件そのものは個別に発生したのだとしても*3、波及を恐れて矮小化と隠蔽にはしったことで、組織全体の責任が浮かびあがっていく。隠蔽を優先したために、事件の不可視化と長期化をまねいたこともわかっていく。
くりかえしになるが、スクープされた情報はほとんど公然のものだった*4。だからこそ記者たちは秘密をあばいた興奮より、情報に注目できなかった悔恨をおぼえる。
もちろん記者たちの行動に価値がなくなったわけではない。暗闇に何かが隠れていることは誰もが知っていても、その姿を照らす小さなスポットライトに、輝きつづける意味はある。
*2:たとえば朝日新聞の代表的なスクープにも、その側面がある。森友学園売却の公文書改竄のスクープから、慰安所制度の軍関与資料のスクープを連想した - 法華狼の日記
*3:ただし劇中でも指摘されているように、性的虐待の多くが権力関係を背景にして、しばしば性的欲望ではなく支配欲によって行われることから、神父のもつ権力関係にも注意する必要がある。複数の神父が同様の事件を起こしていたことが、同一の原因があることをうかがわせる。性的虐待が同性に向かうことも、異常性愛という観点で考えるべきでないことが、同性愛者の被害者をとおして注意される。
*4:ひとつだけ、ボストングローブ以前から事件にたずさわっていた弁護士が、ちょっとした法廷戦術で秘密情報を開示してみせた局面がある。この映画では数少ない痛快な場面であるし、開示にいたる理屈の迂遠さが面白い。