法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

自身のアダルトビデオが「ドキュメント・フェイク」だというなら、それがフェイクであることを示す方法もあるのでは?という思いつき

毎日新聞が取材をつづけているAV問題において、現役監督の興味深いインタビューがあった。
AV問題:語り始めた業界人(2)「清く正しくは間違い」 - 毎日新聞

女優によっては「事前に言われない方がいい」という人もいる。撮影の朝に会って「これからセックスするけど、こうやってこうやるからな」って言います? 幼稚園の運動会じゃないんだから。多少分からなかった方がいい。

僕が監督している「中出しシリーズ」もムチャクチャやっているけど、台本があって、テストにテストを重ねて、そういうドキュメントに見えるようにやるわけです。ただ、事務所的に「現場で女優がいいと言えばOK」という話はあるかもしれない。これは(女優の言動の)解釈の仕方になるので、結構難しい。

作為を感じさせず、かつ作りこむ映像をねらっていうとの自認が語られつつも、そうではない表現がつづけられる余地を残したいという意図がはしばしから語られる。
きちんとしたコミュニケーションと契約によって撮影をコントロールしているならば、その証拠を残しておくことはできないだろうか。撮影時にフィルムを消費せずにすむデジタル化と、映像メディアの大容量化にともなって、NG撮影や本読みの風景を収録することは過去よりも難しくなくなったはず。


また、元業界人による被害者支援団体には賛成する立場をとりつつ、第三者の要求や法整備については頭から否定する。

人権団体の要請書など読む気もないし、討論しようとも思わない。「よその焼き肉屋で食中毒を出して、うちの店でなんか考えなあかんのか」とも思うし、現時点では自分の問題として考えられない。そもそもAVは「国に守ってもらおう」なんて考えるようなものじゃない。

業界団体にのみ賛成しつつ業界の問題として考えられないということは、複数の問題が明らかになっている現状に対して危うい。
たとえば、現時点でもアダルトビデオに登場する体液のたぐいは、大半がフェイクのはず。それを本当の体液であるかのように観客に錯覚させていることができている。性行為についても、それが将来にわたって実際におこなわれつづけるというのは、想像力の欠落ではないだろうか。そして劇中の性暴力のたぐいがフェイクであることを多くの観客には感じさせず、かつ実際には被害者を出していないという信用を確保するなら、公的機関や第三者による監視と保証が重要ではないだろうか。
逆に、実際の性行為をおこなっていないようなアダルトビデオを選択肢として提示することはできないだろうか? さまざまな商品にフェアトレードという選択肢があるように。映像作品でも、たとえば動物映画においては虐待のたぐいをおこなっていないとクレジットする慣習が生まれている。それで動物が登場する映画が作られなくなったわけではないし、逆に『子猫物語』のような過去の映画に対して虐待疑惑を揶揄する動きは昔からある。