法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『人間』

石材を積むため、真夏に出港した海神丸。船長と男女と少年の4人だけで、短い距離をすぐ行って帰る予定だった。
しかし嵐に遭遇した海神丸は5日間も流されてしまう。燃料も底をつき、食料は残り少なく、水平線には何もない……


戦前の漂流事件を元ネタにした、1962年公開のモノクロシネマスコープ作品。新藤兼人監督の初ATG作品で、脚本と美術を兼任している。

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漂流劇といっても、『ポセイドン・アドベンチャー*1のように知恵と勇気で困難を乗りこえるタイプではなく、『蝿の王*2のように閉鎖環境で人間の獣性を浮きぼりにするタイプ。人生観の違いで争う社会の寓話だ。
そのため漂流劇としては余裕がある段階から争いが始まる。たとえば、漂流5日目でいきなり、米を粥にしてかさを増やそうとする船長と少年に対して、歯ごたえあるものを食べたいと男女が文句をいい、強引に御飯を炊いたりする。細く長く生きるか短く太く生きるかという争いは以降も描かれつづける。
やがて人肉食が主題となってくるが*3、これも肉体的に追いつめられてというより、精神的に追いつめられてのもの。顛末を見ても、生存のためのやむをえない選択ではなかったことは明らかだ。
魚や海鳥をとろうと試行錯誤する描写がないことは、この物語では瑕疵にならない。絶望して視野がせまくなった男女と、神頼みしかできない船長たちが別れて、違う選択をしようとして果たせないドラマだからだ。


おそらくATG作品らしく低予算な作品で、主な舞台となるのは小さな荷役船だけだが、映像の見どころは意外と多い。
何度か描かれる嵐の描写は充分な水量で迫力あるし、水平線が広がる船上の光景と暗室のような船倉の対比もいい。船の大きさも適度で、密閉感と虚無感が両立している。
特に印象的なのは隙間だらけな船倉の天井で、映画の舞台装置としてよくできていた。船倉から見あげる景色を鉄格子のようにさえぎり、光り輝いて見える少年を男女が理不尽にうらやむ心情を支える。天井をとおした上下の移動が舞台の単調さを防ぐし、ちょっとした殺陣においても効果をあげる。
俳優は毛がのびて汚れていくだけで体形は肉感的なままだが、これも問題ではない。むしろ相手が食糧を隠しているかもと疑心暗鬼になり、やがてその肉体を食べたいと思うことに説得力をもたらしている。


この作品は漂流劇としては余裕がありながら視野をせばめて争ってしまう。漂流先が楽園だったからこそ対立する無意味さを描けた『蝿の王』のように。
そして結末も、同じように夢をさますような幕切れに見せて、物語はその先までつづく。過ちを忘れることが許される子供と違って、どこまでも愚かな大人の物語だからだ。

*1:『ポセイドン・アドベンチャー』 - 法華狼の日記

*2:『蝿の王』 - 法華狼の日記

*3:戦地で目撃した人肉食を船長が回想する場面がある。それが信仰心の背景にあるという設定かもしれない。