法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』第49話 マクギリス・ファリド

三日月の演説によって、鉄華団は団長の敵討ちよりも、団長の遺言に従った脱出作戦を目指すことに。
一方、マクギリスはガンダムバエル単機で敵艦隊への攻撃をしかけ、目標にたどりつこうとする。


今回に描かれた決着そのものは嫌いではない。有名なピカレスク物の少年漫画でたとえると、いわばマクギリスは『DEATH NOTE』の夜神月で、ガエリオ松田桃太鉄華団魅上照といったところか。悪漢主人公の成功を信じて協力する三下を主人公に位置づけた物語は新鮮ではある*1
子供のままだったマクギリスの、真意こそが夢物語で、虚像こそが実生活だったという構図も悪くない。個人の奮闘が大局に押しつぶされていく展開も、ガンダムシリーズ作品らしさがある。さらに好みをいえば、ラスタルは本当は最初から戦艦に乗っていなかった、くらいのオチをつけても不満はおぼえない。
しかし、この決着にいたるまでの物語構成については、やはり厳しいものがある。信じて全てを賭けた手札がスカだったという虚しさを見せたいなら、登場人物が騙されるなりの見せかけの説得力は描いてほしい。余裕を見せていたマクギリスが実際はガンダムバエルしか手札に持っていなかったのは良いとして、その手札そのものが初登場した時点で時代遅れの象徴でしかなかった。
『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』第43話 たどりついた真意 - 法華狼の日記

目的をかなえる手段が象徴を入手するだけという肩透かしも嫌いではないが、これならばガンダムバエルをモビルアーマーを超える強大な存在とにおわせてきて、落差を描いてほしかった。

これがガンダムという名前にもっと神秘性がまとわりついている作品なら、同じ初登場でも印象は違っていたかもしれない。しかし鉄華団だけで複数のガンダムを保持しており、作品のメインとなるガンダムバルバトスすらほとんど象徴としてあつかわれてこなかった。
複数のガンダムからガンダムバエルだけ差別化されるような要素は、かつての戦争で活躍して巨大組織ギャラルホルンを作ったことが台詞で説明されただけ。デザインすら目を引くような特色がない。
せめて、いかにも大局を左右するような存在としてガンダムバエルをマクギリスの部下に語らせつづけたり、その隠し場所を探りだすエピソードを念入りに描いておけば、劇中人物と同じように視聴者もマクギリスを信じやすかっただろう。何話もかけて整備中の姿をさらしただけのガンダムヴィダールに使った時間が惜しい。


時系列が何度となく飛んだため、マクギリスの革命に鉄華団が乗っかる展開そのものも唐突さがあった。たとえば、地球支部の壊滅やタービンズの庇護消滅で、もっと鉄華団が追いつめられたような描写を入れて、マクギリスの口車に乗らざるをえないと感じさせてほしかった。
もちろん選択が愚かだったと後から明かす展開が悪いわけでもないが、後から視聴者の印象をくつがえす情報を出すならば、納得しやすい伏線は入れてほしいもの。わりと素直に主人公を信じた視聴者も少なくないようだが、私としては主人公がなぜマクギリスを信じたのかという経緯そのものが見えなくて、むしろ愚かな選択だったと確定するまで物語に乗ることができなかった。

*1:ひとつ近いものをあげると、復讐譚の主人公に騙された子供を主人公に位置づけたGONZO制作のTVアニメ『岩窟王』か。