法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』第46話 誰が為

最後に賭けた一撃が通用せず、鉄華団は撤退をはじめる。三日月は邪魔な敵を感情的に倒していくが、戦況を変えることはできない。
しかし甚大な被害を出しながら、マクギリスは余裕の態度を崩さず、火星に戻っての決戦を鉄華団にもちかける……


まったく状況をコントロールできず、自由を求めているはずなのにマクギリスに唯々諾々としたがう鉄華団の立場は、この作品が始まった初期に見たいと思っていた展開のひとつではある。周囲に𠮟咤されて御輿から降りられない団長の姿が、よく象徴している。三日月も、戦闘力こそ高いが戦場におけるふるまいは陳腐なチンピラと変わりない。鉄華団をやめたがる新入りの視点も、いいアクセントになっている。
ただ、そんな状況におかれているはずなのに、終盤で団長が戦いぬく決心を固める場面が、素直な演出でもりあげたことには違和感がある。もっと団長の表情を、視野がせばまって不都合から目をそらしているだけと示しても良かったのでは。きちんと劇中に批判的な意見を入れているのに、素直に演出でもりあげたため、ベタな人気と反発を集めてしまった『機動戦士ガンダム0083』のデラーズフリートのようだ。
他方、敵味方を傷つけながら余裕を崩さないマクギリスの薄っぺらさは、ここまで極まると嫌いではない。アンチヒーローというか、破滅的なピカレスクロマンを見ているような気分になる。カリスマとして描写しようとして失敗したわけはないことはヴィダールの台詞からはっきりしている。そんな薄っぺらい虚像にすがろうとした部下の心情も、階級社会設定を反映していて意外と納得感があった。