法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』第36話 穢れた翼

起動したモビルアーマーは圧倒的な戦闘力でギャラルホルンモビルスーツ部隊を壊滅させ、サブユニットのプルーマを広域に展開して殺戮と補給をおこなう。
人口密集地に向かうモビルアーマーに対して、鉄華団とマクギリスは共同で待ちぶせ作戦を準備するが……


脚本に吉野弘幸が初参加。前回につづいて、コンテに赤根和樹が斉藤哲人と連名で入っている。やはりクレジット順から採掘場での戦闘を担当したのだろうか、対比物の少ない舞台でも位置関係がわかりやすく、モビルアーマーの巨大感もよく表現され、後半の戦闘ともどもメカアクション回として充実していた。
物語としても、前回に初登場したメカをどのように見せるかというコンセプトが明快で、見ていて疑問をおぼえる場面がない。モビルアーマーの圧倒的な強さを前半戦で描きつつ、プルーマの動きから推進剤やオイルの補給が必要なことを見抜き、準備していた後半戦が予定外の方向に転がっていく。
ただ、いくら前半戦が伏線になっているとはいえ、待ちぶせ作戦の失敗として愚かな個人の自己満足をもってくるのは好みではない。これまでも戦闘で自己満足したがる大人を批判的に描いてきた作品ではあるが、鉄華団の一員の自己犠牲もまた自己満足という場面がよくできている*1ために、愚かさの戯画化がアンバランスに強すぎると感じてしまった。たとえば、人口密集地よりは農業プラントの人的被害が少ないと考えて意図的に誘導したが、ギャラルホルン内の対立で連絡がいきとどかず裏目に出てしまった、といった展開が私個人としては好みだ。


他に少し残念だったのは、前回の感想*2で予想したモビルスーツが人型をしている理由が、あっさり違うとわかったこと。むしろ自動的ゆえに殺戮にためらわない、これまで冷酷に戦ってきた三日月の鏡像のような存在として描かれる*3
マクギリスの説明をそのまま受けとるなら、モビルスーツが人型をしているのは、神経を接続する阿頼耶識システムモビルアーマーという強敵を倒すために必要とされたためで、その技術が阿頼耶識システムが不要になっても踏襲されている……と解釈するべきか。
あと、旧時代のビーム兵器がモビルスーツの装甲には無効で、だから打撃武器を多用する世界観なのかという納得感もあった。こうなると徹甲弾を使わないことの説明もほしいところだが、人工重力がある世界観なので、距離があると弾道を曲げられてしまうといった設定なのかな。

*1:ビームが拡散する作画の滑らかさや、犠牲者の詳細なディテールなども良さがあった。

*2:『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』第35話 目覚めし厄祭 - 法華狼の日記

*3:「すごく綺麗」と評価する三日月の台詞まである。