法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

アニメーター志望だった母子家庭の高校生に対して、画材を購入する余裕があるから貧困ではないという保守速報は、今の日本の象徴なのだろう

さすがに、はてなブックマーク*1等では反論する意見も少なくないが、ツイッターでは経済評論家の渡邉哲也氏や石井孝明氏が肯定的に保守速報を紹介していた。

虚偽情報ばかり流布して*2、排外主義や差別主義を利用し、社会の分断をもたらして金銭をかすめとる、そのようなブログの経済における意味とは何だろう。
そしてその保守速報を肯定的にとりあげる経済評論家*3は、いったい貧困を自身の本業でどのように位置づけているのだろうか。


本題にもどってNHKの元記事を見れば、生活環境からして充分に健康的といえないことがわかる。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160818/k10010641551000.html

小学5年生のときに両親が離婚し、現在は一緒に暮らす母親が働きながら家計を支えていますが、経済的に厳しい状況です。自宅のアパートには冷房はなく、夏の時期はタオルに包んだ保冷剤を首に巻き、暑さをしのぐ毎日です。自分の家が経済的に厳しいことについて実感させられたのは、中学時代の授業だったといいます。パソコンを持っていなかったうららさんは、授業で先生に「ダブルクリックして」とか「画面をスクロールさせて」などと言われても、ついていくことができませんでした。母親からは千円ほどのキーボードだけを買ってもらい、一生懸命練習したことは忘れることができない出来事でした。

あらゆる物を持たないのではなく、必要に応じた物が持てない貧困ということもわかる。
さらに貧困によって将来の選択肢がせばまる問題が指摘されており、そこで将来の夢を断念しつつある現状が語られている。

進路を選ぶ3年生の夏を迎えたうららさん。絵が好きで、アニメのキャラクターデザインの仕事に就きたいと、専門学校への進学を希望していましたが、入学金の50万円を工面することが難しく、進学は諦めました。
うららさんは「私はいちばん不幸だなと思った。夢を持っているのになんで目指せないんだろう」と話し、経済的な理由で将来の選択肢が狭まっていくのを感じています。学校の担任から、夢を諦めずにさまざまな技術を学ぶことができる公的な職業技術校への進路を提案され、家計を助けるためには就職か技術校に進むのか今も迷い続けています。

ここで自分の立場と意見をつたえる活動に参加した学生が、貧困を否認する人々に比べて社会の貢献度で劣っているとは思わない。
もちろん、学生に社会に貢献する義務などは本来ない*4。本来ならば、社会こそが学生を支えなければならないはずだ。


そして、このような学生の部屋に物品があふれているといっても、いわゆる高級品は画面に見当たらない。ざっと見るかぎり、処分や整理をするにも費用や労力がかかりそうだ。
高級とされている画材もアナログなペンタイプ。2万円のセットを一度に買ったと確定する情報はなく、少しずつ買いそろえて消耗するたびに補充している可能性もある。むしろ初期費用がかかるデジタル画材ではなく、最終的に高額になっても少しずつ買えるアナログ画材をつかうことこそ貧困の象徴に感じてしまう。
ツイッターを検索してみると、すでに漫画家による同様の指摘があった。

私は知らなかったが、画面に映っているのは有名なコピックよりも廉価なブランドだという。色数も画業を目指すには足りないくらいだという。

もちろん、情報が閉ざされていること自体の貧困といった指摘もされている。


NHKにとりあげられた高校生は、なるほど今日明日に餓死するという貧困ではないだろう。そのような主張はNHKの元記事にもない。
しかし、文化的な貧困ではあり、選択肢をせばめる貧困であり、社会の格差を固定する貧困であるという主張に対して、具体的な批判は見うけられない。
夢を追うため投資していることをもって貧困の訴えを否認し、経済的に豊かとはいえない学生に緊縮をせまるべきだというなら、そのような社会こそが貧しい。
保守速報の経済活動へ加担するごとに、社会の貧しさがあらわになっていく。そうではないと誰がいえるか。