アニメーター志望だった母子家庭の高校生に対して、画材を購入する余裕があるから貧困ではないという保守速報は、今の日本の象徴なのだろう - 法華狼の日記
上記エントリでは画材の話題にしぼったが、他に高校生がランチをしているという情報にもとづき、まとめブログなどで豪遊していることにされている。
はてなブックマーク - 痛いニュース(ノ∀`) : NHK出演の超貧困女子高生、Twitter垢が発見され豪遊人生を満喫してる事が発覚 - ライブドアブログ
ユーチューバーとして書籍を出しているKAZUYA氏や、自民党議員の片山さつき氏も「痛いニュース(ノ∀`)」を引いて評価を追認している。
両者の社会的立場からすると、貧困な者が自分より安楽な立場を批判しているわけではない。どちらかといえば富裕層による貧困の否認といえる。
しかし普段の昼食ではなく特別な外食で、それを2000円足らずのランチにおさめていて、どこが「豪遊人生を満喫」なのだろう。イベントとして支払う値段と考えれば、むしろ若者の行動としてひかえめなくらいと感じる。節約したとして、入学金を工面するにも足りるまい。
それが貧困という報道の反証になるとか、不都合だからNHKが隠したと憶測することこそ、想像力が貧しいとはいえないか。いったいどこまで家計を細かく提示すれば納得するのだろう。税務署でもないだろうに。
しかもNHKの元記事を見れば、この高校生は生徒会長だという。あえて経済的合理性だけで考えても、将来に向けた人脈作りや、学校の評価の助けになると想像できる。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160818/k10010641551000.html
うららさんは塾にも行けませんでしたが、公立の高校に進学し、現在は、生徒会長を務めています。
一般的に、生徒会長という立場は同世代との交友が必要なことも多いだろう。文化的な話題をもたなければならない場面もあるだろう。逸脱者に対する世間の視線がいかなるものか、インターネットの現状が雄弁に物語っている。
それでも専門学校へ進学する費用を捻出するために、学生の立場からも高額とはいえない文化的な支出をあきらめなければならないなら、それはまさに選択肢をせばめる貧困そのものだ。
また、アニメーターを目指している若者がアニメ映画を数回しか見ていないことをもって豪遊と評価されることも、首をかしげてしまう。
たとえば山賀博之監督の、同じ映画を何度も見ることで映画のつくりかたを理解していったエピソードは有名だろう。
山賀 博之インタビュー | Visionary Story | 自分にとってアニメは手段
淀川長治さんのコラムがあって何となく読んでみたら、「最近、映画監督ってどうやったらなれるんですか?と聞かれるけど、そんなものあるわけない。強いて言うなら、1本の映画を10回観なさい。」というような事が書いてあったんです。この「10回観る」というフレーズが面白いなと思って、近所の映画館に観に行ったんです。「がんばれ!ベアーズ特訓中」。今思うともっとカッコがつく映画にすれば良かったと思うんですけどね(笑)。2回目位までは興味をもって観れるんですが、3回目には飽きてしまうんです。でも10回観るのが目的なんで観続けていると、6回目くらいからセリフや曲のタイミングなど映画の仕掛けを観れるようになって、10回観たときには「この仕事できる」と思いました。
ユーリ・ノルシュテイン監督に意見をうかがえば、むしろ文化の摂取が不足していると批判されるかもしれない*1。
ロシアの映像詩人 ノルシュテイン(上) : 無用独語
「今やってるピカソ展を観たのは何人か」と問い、たった一人しか行ってないのを知ると、「そんなことだろう、と思いました」とため息をついた。
「応募アニメーションには、教養がまったく感じられません。ピカソの絵画を見るべきなのは、そこに学ぶべきものがたくさん詰まっているからです。あなた方は、もっともっといろいろな物事を貪欲に勉強しなければなりません。」「映画『タイタニック』は観ましたか?そう、皆さん観ましたか。ブラボー!でも、そんなことをしていたら、あなた方も一緒に沈んでしまいますよ。」
本職から見れば努力が不足していたり、見当違いだったりする可能性もあるだろう。それゆえに、高校生の努力そのものが批判にあたいするとは思えない。そもそも、努力の方向性をさだめられる専門学校に行きたいと願って、貧困で断念したというのだから。