法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

NaokiTakahashi氏に勝利宣言されたが、書いていないことを読みとりつつ具体的な反論すらしないんじゃ無敵だよね

sakuga_thread氏にからまれたこと*1には同情というか、まあ大変だったねとは思うのだが。


その投稿は下記のとおり、そもそも私の文章と正確な対応をしていない。
題名未設定 — 悪意的な改変であったということでいいの?
たとえば下記の主張。終わっているどころか、具体的な議論にふみこんでいない。

指摘されていたのは、ただ粥を描くことが難しいという話ではなく、出汁で炊くという珍しい粥を表現することが難しいという話だ。

「ただのおかゆではない! 出汁で炊くという珍しい粥だから描くのが難しかったのだ! そしてサムゲタンは簡単なのだ!」 ええと、これ真面目に取り合う必要あるの?w

NaokiTakahashi氏の文章はこれだけ。引用されていない範囲でも、私は「簡単」という意味の表現を用いていない。
『さくら荘のペットな彼女』について批判者が気づかない、原作者脚本との関連性 - 法華狼の日記

文章と映像の媒体のちがいを重視したエントリでも書いたが、変更理由の推測として不合理とは思えない。
『さくら荘のペットな彼女』異なる媒体を駆け抜けろ - 法華狼の日記

指摘されていたのは、ただ粥を描くことが難しいという話ではなく、出汁で炊くという珍しい粥を表現することが難しいという話だ。ただの粥を出せばいいというのではなく、調理した少年仁の能力を見せる場面である。つまり粥からサムゲタンへの改変は、嗅覚を説明できる媒体から嗅覚を表現しにくい媒体への変化にあわせ、適合する料理へ変更したともいえるだろう。

媒体に適した小道具に改変する類例をあげると、OVAジョジョの奇妙な冒険』で、北久保弘之監督が原作のロードローラータンクローリーに変更した事例がある*4。たとえサムゲタンに改変しなくても、地の文で書かれた香りを映像に移すには、何らかの変更が必要なところだろう。原作では一般的な粥と外見が同じ「シンプルなお粥」だったのだから。

 *4:ジョジョのOVAではロードローラーがタンクローリーに変更された事が語り草になってますけど。あれはおそらく「原作はあのままでいいけど映像としては承太郎が時を止め返した状況を視覚的に解らせ尚且つカッコいい画面を作るほうがいいな、例えば燃え盛る炎の中でDIOと共に炎の揺らめきも一緒に止まり、その中から現れる承太郎・・・おおイイぞこれでいこう。となるとロードローラーだと辺り一面炎になるような爆発は幾ら何でもしないだろう。承太郎を押し潰せて尚且つ大爆発もしてくれる物と言えば・・・」タンクローリーだッッッ!・・・とこんな感じで変更となったのではないでしょうか? | ask.fm/LawofGreen「普通に考えて「動いているものを配置した方が、承太郎が時間を止めた時に見た目に解り易い」というのと、むしろこの後の方が重要なんですけど「バトルシーンのクライマックスの画面の色味を赤系統に振る為」というのが一番大きな理由です。」

ここで私は媒体にあわせた改変が必ず効果をあげるとは主張していない。たとえ効果をあげたとしても、原作から改変しただけで嫌悪する感想も否定しない。
私が主張したのは、ただ粥が難しいとだけNaokiTakahashi氏が要約したことの誤りと、理由の推測として不合理ではないということ。そこで具体例も紹介した。


そして、より媒体に適した表現に変えることは「簡単」ではけしてない。むしろ手間そのものは増えることがままある。紹介したタンクローリーへの改変もそのひとつだ。
そのことをNaokiTakahashi氏と、やりとりしていたgigir氏は、気づく機会はあったはずだ。

爆発シーンを作画することと、場面のもりあげのため色味を変えること、それらは明確に制作の手間が増えること。原作そのままのロードローラー攻撃であったほうが、それこそ「お粥」の臭いを表現するよりも「簡単」だったに違いない。
そしてgigir氏が過去の改変事例として引いている『アイドルマスター XENOGLOSSIA』は、アイドル成長ゲームを原作にしたロボットアニメ。一般的に、ロボットアニメはそうでないアニメよりも制作の手間がかかるものだ*2。それでも、ロボット玩具を売るという理由でもないのに、わざわざロボットアニメとしてつくった*3
念のため、媒体にあわせた改変が必ず成功するとか、必ず許容しなければならないというわけではない。媒体にあわせた改変という主張を読んで、「簡単」にすることとしか読みとれずに反論できたつもりになっていることが問題なのだ。


媒体にあわせた改変だけではない。NaokiTakahashi氏が「アニメ批評の議論としてはこの投稿でほぼ終わっちゃってて」とツイートした投稿は、具体的な表現についてまったくふみこんでいない。

やつあたりっていっても流れがあるんだとか、なんかいろいろアニメ取り込み画像使って批評くさい文章盛って ごまかしてっけどさ (そういう体裁だけはほんとうまいな……)。それらを表現するのにサムゲタンがどう役に立ったわけ?w いらねえだろあの改変。

「やつあたり」については、「法華狼氏はあの一連の描写が、天才による自覚のない無神経、あるいは秀才(仁が秀才であるかは疑問だが)による自覚的な八つ当たりである、としているのだ」というNaokiTakahashi氏の読解が誤りであると示すために、実際に作品でつかわれた文脈を説明したものだ。それに対して反論するでもなければ誤読を撤回するでもなく、「批評くさい」とか「ごまかし」だとかいう。


逆にいわせてもらうならば、具体性のない主張に「反論」しなかっただけで、なぜNaokiTakahashi氏は勝利宣言できるのかと首をかしげる

*1:作画を語るスレ公認巡回委員長 on Twitter: ".@NaokiTakahashi 法華狼氏は「作画を語るスレ」の保護対象者です。その法華狼氏を攻撃するということは「作画を語るスレ」に戦争を仕掛ける事と同義なのですが宜しいでしょうか?"

*2:ロボットアニメ:作品続々 復興の兆し - MANTANWEB(まんたんウェブ)「莫大(ばくだい)な作画カロリーを必要とするロボットアニメには、それを支える人材と環境の整備がなくてはならない。近年は3DCGを得意とする制作スタジオの成長がめざましく、テレビシリーズで巨大ロボット戦を描くハードルも下がってきている」とid:bigburn氏が書いていたが、『アイドルマスター XENOGLOSSIA』は手描き作画でロボットを表現していた作品。もちろん日常芝居なども、良くしようとすればそれに応じて手間はかかる。

*3:先にロボットアニメ企画があって、後からゲームアニメ化企画と合体したなどという推測もあったが、知るかぎり公式にはっきりした改変理由は語られていない。