法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『さくら荘のペットな彼女』について批判者が気づかない、原作者脚本との関連性

前回のNaokiTakahashi氏に「サムゲタン回りの左翼による歴史修正」の「元凶」と名指しされたので、時系列を確認しておく - 法華狼の日記に対して、NaokiTakahashi氏がtumblrで反論をアップロードしていた。
題名未設定 — その反論はいろんな意味でダメダメ。*1
NaokiTakahashi氏の批判が妥当であれ、当時の批判の大勢が妥当になるわけではないという大前提を無視されたので困っていたのだが、再反論を待っているようなツイートをしていた*2ので、簡単な応答しておく。
ついでに、これまで原作改変批判者が無視していたことについて指摘しておこう。少なくともNaokiTakahashi氏は明示された描写に気づいていない。これまではTVアニメは途中の1話分だけを見て評価することも許容されるべきと考えて、あえて指摘してこなかった。


まず、私以外の反論について。

他の連中って、韓国文化を否定した、ネトウヨだ! と脊髄反射してるか、あるいは、美味しそうなおかゆを描くのは(アニメーターには)難しい、みたいな、興味なかった人まで懐疑側に回しちゃったアレな発言だけだったでしょ。

それぞれの主張を正確に書くべきだと思う。
前者については、とりあえず私が参照したなかで「ネトウヨ」という言葉をつかっていたwashburn1975氏は、ちゃんとAmazonレビューを引いて個別具体的に批判していた。
2012-11-13

第一「油でギトギトした精進料理」って何だよ。お前「精進料理」も知らねえのかよ。

Vol.3は第7話から第9話収録予定で、「例の改変」はこの回じゃねえよ!

後者については、「お出汁香るシンプルなお粥を美味そうに描くのは至難の業です」*3というのが正確な表現。文章と映像の媒体のちがいを重視したエントリでも書いたが、変更理由の推測として不合理とは思えない。
『さくら荘のペットな彼女』異なる媒体を駆け抜けろ - 法華狼の日記

指摘されていたのは、ただ粥を描くことが難しいという話ではなく、出汁で炊くという珍しい粥を表現することが難しいという話だ。ただの粥を出せばいいというのではなく、調理した少年仁の能力を見せる場面である。つまり粥からサムゲタンへの改変は、嗅覚を説明できる媒体から嗅覚を表現しにくい媒体への変化にあわせ、適合する料理へ変更したともいえるだろう。

媒体に適した小道具に改変する類例をあげると、OVAジョジョの奇妙な冒険』で、北久保弘之監督が原作のロードローラータンクローリーに変更した事例がある*4。たとえサムゲタンに改変しなくても、地の文で書かれた香りを映像に移すには、何らかの変更が必要なところだろう。原作では一般的な粥と外見が同じ「シンプルなお粥」だったのだから。

貴方こそがこの論点における批判批判派の論理的な支柱だと見なした、と言う話です。だから、時系列について色々言われても、あんまり関係ありません。

そう主張されても、前回に「先行する批判や反論の論点まとめのようなエントリになった」「複数の騒動批判が存在しており、それに対して他作品などの補足情報を書いただけだった」と書いたとおり。11月24日の私のエントリに「支柱」を見いだそうとしても、その多くは先行する「支柱」を引いたものにすぎない。



次に、NaokiTakahashi氏の不思議な読解について。

天才が悪意なく秀才や凡才を傷つけ、秀才がやつあたりを凡才にぶつけ、凡才が天才に嫉妬から反発する。そんな作品に対して、なぜこのような感想をいだくのか疑問でならない。特別な鍋をつくった秀才と、「弱みを見せてくれたから」という天才、そのふたりとも原作からして凡才に喧嘩を売るような言動ばかりだったではないか。ふたりが悪ノリで体調の悪い少女を送りだした描写にはなぜ引っかからないのか。

つまり、法華狼氏はあの一連の描写が、天才による自覚のない無神経、あるいは秀才(仁が秀才であるかは疑問だが)による自覚的な八つ当たりである、としているのだ。

していない。「一連の描写」より不快な描写があったはずだと私は指摘したのだ。NaokiTakahashi氏は「凡才が天才に嫉妬から反発する」という部分がどこに当てはまると思っているのか。
さくら荘のペットな彼女』は、原作からしてNaokiTakahashi氏のいう「こいつら感じ悪い」描写が頻出する作品だった。挫折した新入りを才能ある先輩が歓迎するという、余裕が不快に感じかねないくらいの第6話など比べ物にならないほどの。
なのになぜ第6話の、それも歓迎の一部分だけを嫌うのか。そして歓迎の一部分が不快であれば、なぜそこでの会話が改変されたことではなく料理が改変されたことが問題視されたのか。その選択的批判を私は一貫して疑問視している。

こういう描写が俺達に嫌われても何もおかしくないだろう。それのどこがどうネトウヨ的だというのか。

「俺達」といわれても、私が批判した相手にNaokiTakahashi氏はいなかった。それに私は「ネトウヨ的」という表現をつかっていない。


最後に、『さくら荘のペットな彼女』はどのような作品だったかについて。

ここで行われている「さくら荘の鍋パーティー」は無神経な煽り、あるいは八つ当たりの嫌がらせである、ということになってしまったのだ。それ台無しじゃね? さくら荘が一気にとてつもない悪意の伏魔殿になってしまうわけだが、このエントリ以前に君はそんなことを考えていたのかね? と。

キャラクターの悪意とスタッフの悪意は違うもの。先述したように、無意識に傷つけることもやつあたりすることも、私は別の場面を想定していた。
しかして不快感をもたせる作品なのかどうかといえば、最初から青春の苦しみを描いた、一種の「悪意」に満ちた作品だったことはたしかだ。TVアニメ第2話まで視聴した時点で、監督の来歴をふくめて感じていたし、そういう感想エントリを書いた。ここで別作品を連想しているように、芸術や才能をあつかう物語に対して珍しくない読解だろう。
『さくら荘のペットな彼女』第1話 ねこ・しろ・ましろ/第2話 絵を描いてきたの - 法華狼の日記

才のない主人公が進路にとまどっている描写も、他の天才の制作過程がリアリティを失わない程度に描写されているからこそ、共感して見ることができる。

しかし、いしづかあつこ監督が自主制作アニメで若くして名を上げたことを意識して見ると、「貴方も、さくら荘の住人側じゃん!」感が半端ない。羽海野チカハチミツとクローバー』を読んだ時の感覚が、より激しく深くなって感じられるというか……

それでは、『さくら荘のペットな彼女』が最初からそういう作品だということは、私ひとりの印象にすぎないのだろうか?
そうではない。「天才が悪意なく秀才や凡才を傷つけ、秀才がやつあたりを凡才にぶつけ、凡才が天才に嫉妬から反発する」エピソードとして、私は特定の話数を想定していた。原作者が脚本を担当した第3話だ。
ストーリー - Episode|『さくら荘のペットな彼女』アニメ公式サイト
ましろの天才ぶりにあてられて、さくら荘にいるべきかどうか決めかねている空太。その態度を仁はきびしい言葉でつきはなしていく。その場から空太が逃げた後、ふらりと教師がやってきて、仁の批判は自身の投影にすぎないことを指摘する。この第3話の時点で、秀才が後輩に見せる如才のなさと、隠された鬱屈が示唆されていたのだ。
秀才に対する「やつあたり」という表現は、教師の台詞からそのまま引いたもの。挫折した後輩を歓迎することに悪意を見いだすなら、なぜはっきりやつあたりが描かれた第3話で脱落しなかったのだろうか。
そして第3話で「やつあたり」と指摘されたことが、第6話で後輩をオーディションへ送りだす展開へとつながる。第3話があったからこそ、教師の妨害を仁が止める行動に後輩の応援という以上の意味が生まれる。

そう、第6話で描かれた秀才の行動は「やつあたり」そのものではない。「やつあたり」と指摘されたことを見返そうとする動機があった。この作品は原作者をふくめたスタッフがよく連携し、ストーリーの連続性を高めてTVアニメ化していたのだ。

*1:以下、直前にリンクをおかない引用枠内の文章は、原則としてこのtumblrから引用する。また、太字強調は原文ママ

*2:Naokitakahashi (@naokitakahashi) | Twitter「法華狼くんの再反論がないなあ。」

*3:『さくら荘のペットな彼女』に一噛み - 法華狼の日記で当時のツイートをふたつ引用した。

*4:ジョジョのOVAではロードローラーがタンクローリーに変更された事が語り草になってますけど。あれはおそらく「原作はあのままでいいけど映像としては承太郎が時を止め返した状況を視覚的に解らせ尚且つカッコいい画面を作るほうがいいな、例えば燃え盛る炎の中でDIOと共に炎の揺らめきも一緒に止まり、その中から現れる承太郎・・・おおイイぞこれでいこう。となるとロードローラーだと辺り一面炎になるような爆発は幾ら何でもしないだろう。承太郎を押し潰せて尚且つ大爆発もしてくれる物と言えば・・・」タンクローリーだッッッ!・・・とこんな感じで変更となったのではないでしょうか? | ask.fm/LawofGreen「普通に考えて「動いているものを配置した方が、承太郎が時間を止めた時に見た目に解り易い」というのと、むしろこの後の方が重要なんですけど「バトルシーンのクライマックスの画面の色味を赤系統に振る為」というのが一番大きな理由です。」