法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

本格的な返事は後日 その5

id:NaokiTakahashi氏は、きちんと相手の文章を読んでいるのだろうか。藁人形論法としか思えない部分がいくつもある。少し悩んでいたのだが、やはり反論しておく。
まとめよう、あつまろう - Togetter
まず『屋根裏の遠い旅』に関連した返事。

あと別記事部分だけど>知識を持つことが有利にはたらくばかりというような安っぽい仮想戦記に比べ、特異な知識が良いようにも悪いようにも作用する経過をきちんとふまえた展開は、ずっと現実味がある。<こういうつまらないアテコスリで思想で作品を捌きたい欲望ダダ漏れなのがまずいんだと思う。
NaokiTakahashi
2010-06-10 14:03:44

関連づけて語りたい場合、私は基本的に明示して言及する。当該エントリは「安っぽい仮想戦記」、それも『屋根裏の遠い旅』と重なるような近現代戦争を舞台とした作品を想定し、それ全般を比較対象として批判したのだ。もし「まおゆう」への当てこすりと思っているなら全くの誤読だ。
むろん冒頭の起伏のなさに限定するなら関連する話題ではあり、結末の処理で関連する文句もあるのだが、これまで言及した範囲だけでも私が「まおゆう」を批判している点とは異なることは理解できるはず。
あと、娯楽小説の感想で「現実味」という評価軸を用いることが、「思想で作品を捌きたい欲望」だから「まずい」とNaokiTakahashi氏が思うのは意外だよ。現実味がない作品が全て駄目というつもりはないが、現実味があることが高評価に繋がるということも普遍的にあるのではないのか。

>しかし同じ強盗犯が善良な人質を殺しつつ善良な動機を語れば、壊れた人間描写となってしまう*9。<暴君と言われる織田信長にだって身内に優しい瞬間はあるだろう。個人的な信頼で結ばれる家臣はいたし、そこに愛着を持つ家族もいるだろう。
NaokiTakahashi
2010-06-10 13:48:56

補足。一貫してない人格、破綻した倫理性、最近受けているコンテンツの共通点だ(コードギアスにしろ麻枝のAB!にしろ同じような指摘がある)。その最先端で書いているのが西尾だ。殺人鬼が一方で妙に人間的で自制的、倫理的にふるまう不思議な作品が今ウケている。
NaokiTakahashi
2010-06-10 14:16:11

たとえ残虐きわまりない殺人鬼であっても、読者は彼らのつかの間見せる人間性に共感出来る。手垢のついた例だが、不良がたまに子犬を拾えばいい人に見える、ということだ。物語はそういう危険な装置なのだ、ということくらいは知っておくべきだ。
NaokiTakahashi
2010-06-10 14:19:07

当該エントリ*1の注記で「たとえ話なので例外はありうる。それなりに作品として成り立つ描写にしたてられる人もいるだろう」と書いたとおり。そもそも議論の途中で、わかりやすく記号的な悪として設定された夜神月が正義と受容されていた話をしたではないか。むしろ私は、「まおゆう」の魔王へベタに好感をもって受容している層へ「当てこすり」と思われる可能性を考慮し、あえて踏み込まなかったつもり。
なお一つ注意するなら、「一貫してない人格、破綻した倫理性」だからこそ「最近受けている」のか、「一貫してない人格、破綻した倫理性」にもかかわらず「最近受けている」のか、そこも考える必要はあると思う。

>人間は自分だけの大切な内面を持つことで、周囲から強要される間違いと戦う意思を持てるのだ<などという教訓をフィクションから学ぼうとするのは、その事実からただ目をそらしているだけのように思える。キャラクターは書かれた部分しか持っていない。人間と同じ内面など持っていない。
NaokiTakahashi
2010-06-10 14:21:35

勇者が説得された理由として「魔王の人格に共鳴しているように見える」*2と主張した後に、キャラクターには内面がないという話をされても説得力がない。
そもそも『屋根裏の遠い旅』は主人公の一人称視点で描かれた物語であり、まさに「書かれた部分」においてキャラクターの内面が描かれている。疑うなら作品を探して、中へ目を通してはいかがだろうか。


次に、「まおゆう」で魔王が勇者を説得できた理由を描写から読み込んだ話について。

なぜ勇者が魔王の話をおとなしく聞く気になっているのか。まず、この作品の登場人物が役割名で呼ばれていることに注意しよう。彼らはフラットキャラクターなのだ。勇者は「無抵抗な相手を殺せない」。「お前らなんか信用できない」とか言って一人きりになろうとする第二の犠牲者のようなものだ。
NaokiTakahashi
2010-06-10 13:23:31

思考実験として面白いし、重要な指摘をふくんでいるとは思う。
しかし勇者の台詞は「アホ云うな」「なんかむかつく」といったことさら頭を悪く見せる口調が目立ち、私がライトファンタジーに持っている印象とは当初から異なっていた。役割名が反映した言動として描くなら、意識的に類型的にファミコンゲームのようにひらがな台詞で統一するとか、もっと良い演出はあったのではないかと思っている*3

そして、フラットキャラクターとしての類型的な反応から少しずつ逸脱を始める会話。各国の情勢についてレクチャーを受けたとき、勇者が口ごもり言い返せなくなっているのは、思い当たる節があるからだ。勇者は魔王の述べる理屈の理解は浅そうだが、人間の権力者側について思うところはあったのだろう。
NaokiTakahashi
2010-06-10 13:25:49

勇者が口ごもった描写は、その読解で最終的には正しいと思う。
ただし序盤を読むだけでもわかるが、口ごもり言い返せなくなるのは思い当たる節がある時だけではない。思い当たるような知識がない場合でも、議論で押されたキャラクターはやがて言葉数少なくなり、「……っ」「――っ」となる。思い当たる節がある場合と、そうでない場合の描写を区別するべきだったのではないか。
ついでに主要キャラクターの多さから考えれば、論破された場合にこそ饒舌となるキャラクターなども存在するべきだったと思う。ほとんど台詞で進行する物語というのに、あまりに各キャラクターの口調が似通っている。無口を特徴とするキャラクターさえ、内心を強く伝える時は饒舌だ。会話でしか描写できない以上、情報量を上げようとすれば饒舌とならざるをえない事情もわかるが、たとえば論破する相手が自らの間違いを気づいて饒舌に語るとか、様々な変化をつける方法はあっただろう。

まおゆうに至っては、そもそも作中でライトファンタジー一般のリアリティレベルを溶解させていくところを楽しむ作品なのであって、ミステリ的な「フェア」さを期待する方が間違いなのではないか。
NaokiTakahashi
2010-06-10 13:38:22

もちろん本格ミステリの極北的な「フェア」さを求めるのは極論ではある。
しかし娯楽作品一般に拡張しても、一度でも後づけ設定で困難を回避してしまうと、後の困難も同様に後づけ設定で回避できると思えてサスペンス性が感じられなくなるということはある。作中人物が驚いている姿から共感を求められるだけよりも、読者も信じていた前提をひっくり返されれば作中人物へより共感しやすいということもある。
他方で、次々に新しい設定を出され、読者としてひきずりまわされるという楽しみも物語にはあるだろう。こうなると争点は受容側の価値観であって、作品が何を描いてどう読めるかという点では争いがない。
先述した「だからこそ」と「にもかかわらず」の問題でもあるだろう。はたして「まおゆう」はリアリティレベルが溶解しているから高評価されたか、それ自体が論争の対象だ。私の知る限りでは、「まおゆう」は魔法や架空文化の代替として経済学や現実の歴史を参照した*4ことで、リアリティレベルが上がったことが評価の一因と思っていた。つまり「にもかかわらず」の評価だ。この場合は、リアリティの低さを指摘することも、批判の方法論として間違ってはいないだろう。
後に、いわゆる「決断主義」を欲する需要から好評をもってむかいいれられたのではないかという指摘も読んだ。これは「だからこそ」の評価だろう。個人的にも、「まおゆう」は少し装いを変えた決断主義ではあったと思う。この場合は、「決断主義」の位置づけから考えて、政治的に批判されるのも当然の流れだったろうと思う*5


そして「後期クイーン問題」に対する把握について。

エラリークイーンのシリーズにおいて、キャラクターとストーリーに厚みを付けるためのものとして恐らくは導入されたのであろうこの要素を、法月はそのまま踏襲している。笠井もそのようなものとして法月の論を受けて次へ展開している。別に一般化しても構わないが、僕は「藪の中」の話はしていない。
NaokiTakahashi
2010-06-10 13:58:27

後期クイーン問題も「苦悩する名探偵萌えに過ぎない」以外の読みがあるのだと理解してほしいもの、と以前に書いたとおり。
そもそも「後期クイーン問題」の話題は私が持ち出して、ある程度の説明をしながら主張として展開してきた*6。それを批判したのがNaokiTakahashi氏という順序がある。「後期クイーン問題」という言葉自体の理解が最初から異なっていたというのであれば、それは単にNaokiTakahashi氏が筋違いの話をしてきたというだけでしかない。


最後に、「まおゆう」等と本格ミステリを比較した部分について。

>『サイコロジカル』は上下巻にわたる長編というのに事件らしい事件もほとんどなく、せいぜい中編程度の脱出トリックがメインだったところが<その理屈でいくと「哲学者の密室」だってアウトじゃないのか……?
NaokiTakahashi
2010-06-10 13:51:41

私が笠井作品を高評価したのは、今のところ本質直観というエクスキューズの先駆性についてだ。
少なくとも『哲学者の密室』をミステリの密度という観点から高評価した記憶はない。最初にナディアが推理するまでの展開は実際に平坦だと思っている。ちなみに『このミステリーがすごい!』の座談会でも導入が弱いという批判があり、中盤の冒険小説部分を冒頭へ持ってくるべきではないかという指摘がされていたことを記憶している。『サイコロジカル』と比べれば、キャラクター小説らしさが薄いだけ、作品要素がミステリに奉仕している率が高いとは思うが。
そもそも、『女王国の城』など本格ミステリとして評価している作品でも、密度の薄さや導入部分から事件発生までの遅さを批判したことがある*7。「まおゆう」関連で初めて持ち出した評価基準*8というわけではない。

いや、「本質直観」で納得してくれる人なら、多分魔王のプレゼンで一発で落ちるよな、と。
NaokiTakahashi
2010-06-10 13:16:52

さて、Lが世界最高の探偵である、ということに、何か納得のいく説明があっただろうか。根拠があるとは思えない「何パーセント」という数字に一喜一憂する幼稚な大人達の描写は、逆転裁判の戯画化された法曹関係者と変わらない。
NaokiTakahashi
2010-06-10 13:29:30

「一発で落ちる」という解釈をしている時点で誤読という他ない。わざわざ前回、「本質直観」が登場した後にナディアの推理がなされたことも指摘した。
笠井作品において「本質直観」は奇人の奇説として退けられ、相応の紆余曲折をへて真相解明描写へ繋がっている。『DEATH NOTE』のLやニアも同様。それぞれの作者はそれなりに納得されるよう描写を費やしているし、納得できない読者の場合でもエクスキューズを受け取ることができるよう描かれている。
Lの心理的な推理に納得いく説明は作中でもされていないと思っているし*9、「何パーセント」といった説明は基本的に見込み捜査であって、せいぜい夜神月を威圧する効果しか作中でも持っていなかったと思っている。私がLを比較として用いてきたのは、周囲から納得がいかない反応がなされ、離反する人物も作中に現れるところであって、推理に納得がいく描写がされているという主張をしていたわけではない。

仮想戦記がバカにされうる側面と程度において、本格ミステリだって同様にバカにされうるものなのであって、そんなに「社会派」ミステリが好きですか、と。俺は「社会派」とだけは呼ばれたくないけどなあ。正直。
NaokiTakahashi
2010-06-10 14:04:59

私が初めて「まおゆう」自体の内容へ言及したエントリを読み返してほしい。
「まおゆう」の啓蒙話法は、確かに問題をふくんでいるかもしれない - 法華狼の日記

以前にもネットの一部で、『プラネテス』のロックスミスという超越性を持ったキャラクターをめぐる論争があった。それに関して超越性の到達不可能性と、それを自覚しつつ物語に着地させる技法について、簡単に書いたことがある。
『プラネテス』問題〜名探偵ロックスミスは死者を代弁する〜 - 法華狼の日記
本格ミステリも好む私にとって、「まおゆう」で指摘されている問題は、「名探偵」が持たされている超越性をいかにして着地させるかという問題と通じていると感じる。

私は「まおゆう」が批判されている理由の一つに本格ミステリと通じる要素を見いだしたのであって、批判されている理由を本格ミステリが克服していると主張したわけではない。ゆえに私は本格ミステリ作品がとってきた手法、その「まおゆう」との差異を、「エクスキューズ」と呼んできたのだ。
「まおゆう」が批判されている論理でもって本格ミステリも批判できるということを示して共通性を見いだそうとしても、私の主張を支えこそすれ、根本的な反論にはならないことを理解されているだろうか。

*1:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20100609/1276123089

*2:http://togetter.com/li/27771

*3:2ちゃんねるVIP板界隈で受容されている異なる「勇者」イメージ、あるいは私が全く知らない著名作にイメージ元が存在するのかもしれなくて、それを知らないことが理解を妨げていたのであれば私の問題でもある。

*4:正確には少し違うが、導入部の受容としてこう記述する。

*5:その政治的な批判を私が支持するという話では必ずしもない。ここではとりあえず予期されるべき批判だったという程度の意味。

*6:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20100122/1264175670この「まおゆう」話題で参照したエントリを見てのとおり、私は法月倫太郎個人の懊悩ではない観点から後期クイーン問題を持ち出している。

*7:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20090513/1242255578

*8:この私の評価基準を共有するべきという話ではない。

*9:そもそもヴァン=ダイン作品等の犯人心理を重視するタイプの推理は、本格ミステリの観点からもよく疑問符がつけられている。