法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

NaokiTakahashi氏に「サムゲタン回りの左翼による歴史修正」の「元凶」と名指しされたので、時系列を確認しておく

対象となったのは、TVアニメ『さくら荘のペットな彼女』の騒動にまつわるエントリ。

わざわざ応答するべきではないとも思ったが、アカウントに鍵をかける予定らしいので誤認について指摘しておく。


まず、名指しされたエントリは2012年11月24日以降にアップロードしたもの。
『さくら荘のペットな彼女』サムゲタン選択的批判という問題 - 法華狼の日記
誤差はあるが、1日以上遅れたなら明記しておく方針。騒動のはじまりはもちろん、反論がはじまった時よりも遅れていた。だからこそ下記のように、先行する批判や反論の論点まとめのようなエントリになった。

n_euler666氏も指摘していたが、この場面を見れば、仁が素直に病人へ粥を出すような性格でないこともわかる。
サムゲタンにもちゃんとした演出意図があるという話 - WebLab.ota

この作品では、さくら荘に新しい仲間をむかえた時、鍋料理を出すという約束がある。先に紹介したnanoha3氏の説明も、これを前提としている。ただ病人食を出したという話ではないのだ。その各話における描写はalphabate氏が指摘していた。
さくら荘のペットな彼女がサムゲタンを出した意味は確定的に明らか - 藤四郎のひつまぶし

実は名指しされたエントリ以前の11月14日から、騒動に言及していた。しかし読んでのとおり、この時点でも複数の騒動批判が存在しており、それに対して他作品などの補足情報を書いただけだった。
『さくら荘のペットな彼女』に一噛み - 法華狼の日記

2012-11-13
実のところ、当該話数はまだ視聴していないので、これまでの話数を視聴し続けた者からの情報提供として。

私は『さくら荘のペットな彼女』を最速放映から1週間以上も遅れて視聴していた。だから視聴する前に騒動によって先入観をもたざるをえなかったことが悔しかったし、視聴してみて批判の多くが明示された描写を無視していたことに驚いたものだ*1
私のエントリを一例と名指ししたならまだわかるが、「元凶」という表現はちがうだろう。エントリの影響力を見ても、はてなブックマークではn_euler666氏が27users、alphabate氏が72usersと多いし、washburn1975氏は135usersと90usersの私を超えている。


そもそもNaokiTakahashi氏は11月24日どころか11月14日より以前の11月13日に、下記のようなツイートをしていた。

私が言及する以前からこのような認識を表明していたのだ。つまり修正されていたのはNaokiTakahashi氏の記憶だろうし、その責任はNaokiTakahashi氏にある。
それに「どう見てもこれの一環」と示しているURLが、「電通サムゲタンうまいで」露骨なステマTwitter大荒れ」という陰謀論タイトルのNAVERまとめなのは、何の冗談だろうか。ゲームライターとしても仕事をしているNaokiTakahashi氏が、メディアが流行を生みだすだけで後追いすることがないという発想に欠けていることが信じがたい。ちなみに『さくら荘のペットな彼女』はメディアファクトリーが主軸の製作委員会でアニメ化されており、電通との深いつながりは私は知らない。


最後に、私を「元凶」と名指ししてのNaokiTakahashi氏がおこなったツイートのつづきについて、簡単に応じておく。
まず大前提として、私は既存の反論に目をとおし、その多くの流れにおいて原作改変といった批判理由が後づけだと確認した。たとえNaokiTakahashi氏個人が説得的な批判をおこなっていたとして、だとすれば気づかなかったことは残念だが、それで必ずしも私が反論したような批判が正しくなるわけではない。NaokiTakahashi氏が私を批判したいならば、当時の批判の大勢がNaokiTakahashi氏と同じような主張であったと示さなければならない。

「鍋パーティー」は第1話の台詞であり、第6話の台詞は「特別な鍋」だ。
さてエピソードの構成そのものが改変されていることを認めるならば、サムゲタンへの改変が批判の対象になるのはおかしいと気づいてほしい。NaokiTakahashi氏の理屈でも、批判されるべきは特別な鍋を出す改変そのものになるはずだろう。
原作からの改変は第6話にかぎっても複数ある。11月24日のエントリタイトルで「選択的批判」と書いたり、エントリ本文で「特筆して批判するには、原作改変という理由だけでは説得力がない」と書いたのはそのためだ。だから「サムゲタンに限らない原作との差異を嫌悪する視聴者はいるだろう」とも留保したし、前後の描写が付随して変わることを問題視したnanoha3氏には「賛同するかどうかは別として、じつに男らしい説得力を感じる」と評価した。

天才が悪意なく秀才や凡才を傷つけ、秀才がやつあたりを凡才にぶつけ、凡才が天才に嫉妬から反発する。そんな作品に対して、なぜこのような感想をいだくのか疑問でならない。特別な鍋をつくった秀才と、「弱みを見せてくれたから」という天才、そのふたりとも原作からして凡才に喧嘩を売るような言動ばかりだったではないか。ふたりが悪ノリで体調の悪い少女を送りだした描写にはなぜ引っかからないのか。
それでもふたりが「特別な鍋」であることを語ったのは主人公に対してであり、その描写を通じてスタッフは視聴者に説明した。誰も倒れた少女に正面から喧嘩を売っていない。

反論が断片的だった2012年11月13日の時点では、読解について「深い物語上の意義を素晴らしい深読みしあうのは別にいいんだけどさあ」などと否定的な表現をつかい、電通の陰謀を優先させていた。それが具体的な描写で明らかなことをまとめたエントリに対しては、「暗黙に示す原作のほうが優れている」と主張するのは何なのか。
はっきり説明されている読解でも具体的に指摘されるまで「深読み」と考えて気づかない視聴者ばかりなら、会話のきっかけになるような料理に変更して、台詞で明示するよう改変したアニメスタッフの判断はただしかったのではないか。

*1:あまりに驚いたので、このような与太エントリを衝動的に書いてしまったほど。『さくら荘のペットな彼女』第6話について語る承前としての与太 - 法華狼の日記