法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『母なる証明』

ひとりの貧しい母親が、知的障碍の息子を成人後も育てつづけていた。その息子が酩酊した次の日、女学生の死体が発見される。
警察は流れ作業のように息子を犯人としてあつかい、弁護士は親身になってくれない。息子自身の記憶もあやふやで、息子の悪友は怪しげな行動をとる。
それでも母親は息子の無実を信じて、助けをもとめて奔走する。やがて死体を屋上に放置していた謎が手がかりとなるのだが……


殺人の追憶*1ポン・ジュノ監督による、2009年の韓国映画
映画「母なる証明」公式サイト
殺人の追憶』では犯人の顔の見えなさを強調するようにクローズアップを多用していたが、『母なる証明』では母の孤独と矮小さを強調するようにロングショットを多用している。
誰もいない草原で母親が踊っている冒頭や、立小便する息子を母親が世話する序盤など、印象的な場面のことごとくが意味をなし、最後まで見れば作品全体を象徴することがわかる。
緻密な謎解きを支えるように、映像的な伏線が各所にあり、編集による隠蔽も巧み。事件の真相が明らかになる前後の、たたみかけるような伏線の回収がサスペンス映画として素直によくできている。


さて、物語の救いのなさは、評判を聞いて覚悟していてもこたえるものだった。
事件発生の前からして、依存的な母子の生活が痛々しい。しかも母子関係の亀裂とともに、人工的に拡大された痛みであることが明らかにされる。悪友だけはダークヒーローな名探偵のようで、好感を持てる面もあるが、母子を追いつめる面もある。
調査していくことで被害者の実像もわかっていく。認知症の祖母をささえていた女学生は、主人公の鏡像のようだ。さらに息子の、加害者の鏡像ということもわかっていく*2
そして明かされた真相は、ひとつの予想された類型ではあったが、愕然とするしかなかった。しかも愕然とした気持ちを消化する間もなく、ダメ押しが連続する。


しかし、もし警察か弁護士か悪友が主体となって再捜査したならば、わずかなりとも真相から救いを見いだせたかもしれない。当初よりは良い結末をむかえられたかもしれない。
ふりかえってみると、やはり劇中の警察に責任がないとはいえない。つまるところ“母なる証明”が必要だったのは、母子という小さな社会を守りつづけないと、大きな社会の枠組みで生きていけなかったためなのだから。

*1:『殺人の追憶』 - 法華狼の日記

*2:ならば女学生の死は「心中」の暗喩ともいえるか。