法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『STAND BY ME ドラえもん』

ある日、勉強机のひきだしから青いロボットがあらわれた。彼はドラえもんと名乗り、主人公の悲惨な未来を見せて、子孫のためにも望ましい結婚相手を用意してあげるという。
はじまりは強制的な命令で未来から送りこまれたドラえもんだが、何もかもダメな主人公を助けるうちに、少しずつ愛着をもっていく……


VFXスタジオとして有名な白組が制作した、全編3DCG長編としては初映画化の『ドラえもん』。八木竜一と山崎貴の共同監督で、2014年に公開された。日曜洋画劇場の初放映で視聴した。
映画「STAND BY ME ドラえもん」公式サイト
キャラクターは3DCGだが、家屋や小物にミニチュアを活用しており、特撮映画のように映像を楽しむこともできる。手法としては八木監督の前作『friends もののけ島のナキ』で使われたものの延長で、NHKで放映がはじまった『サンダーバード ARE GO』と同じ。
漫画デフォルメされたキャラクターを、トゥーンシェードでアニメ調にせず、立体として破綻なく造形していたのは感心した*1。俯瞰の夜景の美しさや、住宅地の猥雑さなど、ノスタルジックで広々とした風景は見事。ただ未来世界の質感は軽すぎて、どこかで見たようなカメラワークもふくめてCG臭く、実在企業の看板も悪目立ちしていた。


内容としては、原作者が生前に単行本に選んだ短編をつなぎあわせ、一本のストーリーにしたてあげている。
ピックアップされたのは、ドラえもんとの出会いと別れの枠組みとなるエピソード「未来の国からはるばると」「さようなら、ドラえもん」「帰ってきたドラえもん」と、のび太としずかの恋愛をえがいたエピソード「たまごの中のしずちゃん」「しずちゃんさようなら」「雪山のロマンス」「のび太結婚前夜」。他に、楽しい時間をすごした場面として、いくつかのエピソードを断片的に映像化している。
自然にひとつのストーリーするなら、後述するように単行本未収録エピソードをつかうべきではある。しかし原作者が選定した単行本版だけつかうという基準も一面では悪くないし、有名なエピソードで観客にアピールするという商業的な発想も理解はできる。
そこで感動エピソードだけならべるのではなく、秘密道具でしずちゃんを洗脳しようとする「たまごの中のしずちゃん」を入れたのは、いっそ好感をもてた。のび太の人間としての愚かさが頂点をきわめ、出木杉の学業にとどまらない正しさを印象づける重要なエピソードである。それを不都合なものとして無視しないことが良かったし、秘密道具を転がしてしまう坂でキャラクターの状況を映像で表現したのもうまい。問題は、入れた後のフォローがあまりに不足していること。


映画オリジナルとなるポイントはふたつ。ドラえもんによる来訪も帰還も強要されたものであることと、のび太が雪山で未来のしずちゃんを助ける方法。
まず前者だが、ドラえもんに内蔵されたオリジナル設定「成し遂げプログラム」が、あまり意味をなしていない。最初は強制的に現代にきたドラえもんが、のび太と少しずつ仲良くなり、強制的に未来へ帰ることをこばむ……という展開を支える意図だけならわかる。しかしそこでオリジナル設定をつくる意味がないのだ。
そもそも現代に来るのも未来へ帰るのもセワシの命令なのだから、無理やりタイムマシンに乗せられる描写だけでいい。実際に単行本未収録だった最終回のひとつ「ドラえもん未来へ帰る」では、号泣するドラえもんが無理やりタイムマシンに乗せられていた*2。設定で強調したかったのだとしても、原作にも行動を強制する「強いイシ」「スケジュールどけい」といった秘密道具があるのだから、それを組みあわせれば良いだけだ。
また、原作の「さようなら、ドラえもん」は、ドラえもんが未来に帰る理由を語っていない。そこであらかじめ帰る条件が設定されていたというオリジナル設定は理解できる。しかし後述するように、偽りによって達成できたことにしてしまったため、私利私欲で過去を変えたことがあからさまになった。
次に後者だが、しずちゃんに最初から最後まで助けられる原作とちがって、のび太が未来の自分と協力して助かるという改変そのものは悪くない。しずちゃんが倒れる展開は原作からある描写が伏線なので納得できたし、タイムループをもちいたSF的な展開のおもしろさもある。ダメなのは、のび太が人間的に成長したかのように改変した結果、そもそも私利私欲でヒーローを演じようとした問題が忘れられていること。
「たまごの中のしずちゃん」では、他人の心をあやつることが痛烈なまでに批判された。しかしその反省であるはずの「しずちゃんさようなら」は狂言自殺のようなかたちで同情を買うことになり*3、「雪山のロマンス」ではヒーローのふりをして結婚相手になろうとした。のび太のやさしさをえがいたエピソードがひとつもない。
詐欺が真実になる展開は好きだが、最初からヒーローであったかのように対価をうけとるだけでは納得しがたい。のび太が成長していくストーリーにするなら、やはり原作のようにヒーローを演じた愚かしさが皮肉られるべきだった。


そもそも、歴史改変して先祖の結婚相手を変えようとする導入は、原作がギャグSFだから許されたこと。
だから連載をかさねるにつれ、人の心をあやつる問題が何度となく批判されるようになり、望まぬ結婚相手だったジャイ子をフォローする描写も増えていった。結婚相手が望む相手のしずちゃんに変わった原因も、のび太の成長によるものというより、のび太の愚かしさが哀れみを受けたという要素が大きい。
今回の映画は、ジャイ子が漫画家になるエピソードをひろいつつも、断片的な描写にとどまっていた。ジャイ子ジャイ子で幸せになった未来を見せているのだが、それでも未来のアルバムに映った子供はなんだったのかという疑問は残るし、原作でも微妙だったタイムパラドックスの説明は完全に無視される*4
ここは歴史改変することの道義的な問題ともども、しっかり描くべきところではないか。たとえば「さようなら、ドラえもん」でジャイアンのび太とケンカする理由は、原作の唐突な夢遊病とはちがって、テストの成績争いが原因となっている*5。そこでジャイ子のび太の関係をケンカの理由にすることはできなかったろうか。ジャイ子のび太に恋をしているとジャイアンが思いちがいするエピソードも原作にはある。そこで結婚だけが女性の幸せではないことや、結婚相手を選ぼうとする男性の身勝手をえがけたろう。

*1:ただ、よりによって主人公の眼鏡が、ちょっと映画と解釈があわなくて違和感がつきまとった。制作側も造形に悩んでいたようで、レンズ面を全て白目にするバージョンなど、いくつもの検討をかさねていた。

*2:そのエピソードをふくむ感想はこちら。『ドラえもん(1)|藤子・F・不二雄 大全集』 - 法華狼の日記

*3:のび太が会う相手を母ではなく父に変えているのは、「のび太結婚前夜」につなげるにあたって良いアレンジだと思う。のび太を知るには不十分な描写にとどまるが。

*4:原作ファンの考察において、写真は偽物という説も有力である。それを応用して、未来のジャイ子が別の夫とのあいだに写真と同じ子供を産んでいる描写を入れて、それをセワシが撮影するオチでもあれば、SF的なつじつまはあったろう。どちらにしても感動的なドラマに落としこむのは難しいところではあるが。

*5:ケンカの原因から、複数のエピソードを途中ではさんでいるため、ケンカがはじまる理由が感覚的によくわからない。