法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

TVアニメ『ドラえもん』のLGBT描写について

ドラえもん』の原作がはじまったのは1969年。作品を読めば、そこかしこに時代の限界がかいまみえる。
都合のいい結婚相手を求めて時間改変しようとする根幹設定からして、現代の感覚では通用しないだろう。


同時に、連載をつづけながら世界観のアップデートをくりかえしてきたことも間違いない。
それを象徴するひとりが、結婚相手として主人公から拒否された少女ジャイ子だ。たしかに連載の当初は幼い残酷さと、ガキ大将の兄を真似たような粗暴さをかねそなえていた。
しかし漫画家という夢をもってから違ってくる。最初は主人公を勝手にモデルにしたり、名作を真似しただけの漫画を投稿していたが、徐々にオリジナリティを獲得し、雑誌編集部から電話がくるほどになる。
人格も成熟していき、連載後半では兄の粗暴さに批判的な立場となり、主人公ともおだやかな会話をするようになった。将来の伴侶となる少年と出会ったり、その少年と同人誌を作ったりするエピソードまである。
粗暴な兄の妹思いな一面をピックアップした中編アニメ映画『がんばれ!ジャイアン!!』で、事実上のヒロインともなった。

TVアニメにおいても、連載後期の延長でジャイ子が描かれることが多い。いったん兄を連想させながらも、きちんと美味しい食事を提供するようなオリジナルストーリーもあった。
『ドラえもん』恐怖のジャイ子カレー/上げ下げくりであとまわし - 法華狼の日記

ジャイ子カレーが美味しいという真相は予想できる範囲。ジャイアンが料理を作った時には布で口元を覆っていた上に最終的には逃げ出していたし、最後の最後で試食したジャイアンが倒れたジャイアンシチューと違ってジャイ子は試食しながら味を調えていく。別の回でジャイ子は普通に家庭料理をしていた記憶もある。普通に料理ができてもおかしくない要素は多々ある。今回単独で見ても、自作のエプロンを用意していたり、生活能力の高さや手先の器用さがうかがえる。


このように原作の女性像はアップデートされてきたのだが*1、子供向け漫画ということもあってか、あまりLGBT観の変化はない。
藤子・F・不二雄作品には『バケルくん』のような老若男女に変身する物語はあり、外見や内面における同性愛を連想させる描写はあったが、あくまでヘテロセクシャルという基盤は変わらなかった。いわばLGBはなく、Tだけの作品だった。

バケルくん〔F全集〕 (藤子・F・不二雄大全集)

バケルくん〔F全集〕 (藤子・F・不二雄大全集)

ちなみに同時期の手塚治虫作品『MW』は、いったん同性愛のスキャンダラスさを演出しつつ、それ単独ならば現代ではスキャンダルになりえないという逆転を見せた。

MW 1

MW 1

さまざまな愛を描いた師の作品*2と比べると、やや遅れているとはいえるだろう。それでも、連載がつづくにつれてLGBTの“異常”をギャグにする描写が減っていった印象はある。
そしてTVアニメにおいては、“異常”をギャグにするだけの古い原作描写に、少しずつアレンジがくわえられてアップデートされてきた。
『ドラえもん』ココロチョコ/独立!のび太国 - 法華狼の日記

バレンタインデーだが、今回のアニメ化ではしっかり季節ネタとして言及。スネ夫が本命チョコかと勘違いして赤面する場面もある*1。

*1:コメディ的な描写だったが、ホモフォビアチックではないことに好感をもった。

『ドラえもん』すてきなミイちゃん/魔女っ子しずちゃん - 法華狼の日記

実は原作だとドラえもんに自身の性別が男だと伝えて終わっているんですよ。
だからドラえもんを「兄貴」と呼んで命を与えてくれたことを感謝している今回は、同性に恋愛感情を向けられて拒否しつつも敬愛の念は失わないというかたちになっているんですね。


こうしたアレンジがすでにおこなわれてきている以上、先週にアニメ化された「ジャイ子の恋人=のび太」について原作からのアレンジを求める意見が間違っているとは思えない。

『ドラえもん』でLGBT差別な表現が……この時代にまだ「同性愛はキモい」と発信するか?! | ヨッセンス

制作側のみなさん、お願いですから時代に合わせて表現を変えてください。

たとえば、同性愛と誤解したスネ夫が衝撃を受けるだけでなく恋を応援して、さらに事態を混乱させるようなアレンジをすれば、コメディとして味わいが増したのではないだろうか。

*1:メインヒロインの変遷は、かなり入りくんでいるので詳説はさける。ただ、主人公との恋愛が本当に発展した唯一の作品といっていい大長編において、結婚の強要に反発して出奔する一幕があったことを紹介しておく。『大長編ドラえもん のび太と夢幻三剣士』には、「VRMMO」の先駆としての価値もある - 法華狼の日記

*2:それゆえに当時の一般感覚よりも偏見を強化しかねない物語もしばしばあったが。一例として『地球を呑む』で、女性のみが美を追求するかのような描写は、当時としても古臭い感覚だったはずだ。