法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

現実の特攻の評価において、虚構の特攻に感動したことを持ちだした謎

id:rag_en氏という人物がいる。少し前に、yellowbell氏の『GATE 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり』感想に対して、下記のようなコメントをしていた。
はてなブックマーク - 「圧倒的な物量と優秀な装備で、旧態の戦術や貧弱な装備の軍隊を蹂躙する」とい... - すず黄 - すず黄 - はてなハイク

rag_en 『現代兵器で旧式軍隊をフルボッコ→ネトウヨ文学だ!』の理路のブッ飛びっぷりが半端ないのだけど(しかも“ネトウヨということばはあまり好きではない”と自称)、そこに「一部界隈」の「根」があるんじゃろか。

もちろんyellowbell氏は、rag_en氏が読みとったような主張はしていない。
http://h.hatena.ne.jp/yellowbell/299886360277505885
「圧倒的な物量と優秀な装備で、旧態の戦術や貧弱な装備の軍隊を蹂躙する」だけの段階では、あくまで「仮想戦記でよくつかわれる舞台装置」と書いている。作品への個別評価として「素朴」とつけくわえているだけだ。
最後に「ネトウヨ文学」という言葉を出しているが、「ポリティカルなフェーズ」や「日本以外全部沈没を思い出すカリカチュア」という根拠をはさんでいる。それぞれ根拠として具体性に欠けるという批判ならば理解はする。しかし新しいジャンル「ネトウヨ文学」へ位置づける根拠は「ポリティカル」にあり、古いジャンル「仮想戦記」とむすびつけている「蹂躙」は別個と気づくべきだろう。


それでもフィクションの感想について誤読するくらいなら、さして問題はないかもしれない。
しかし現実の歴史認識に同じような読解力でコメントされると困る。知覧とアウシュビッツの交流がとりやめになるという話題で、rag_en氏は下記のコメントを残していたのだ。
はてなブックマーク - はてなブックマーク - 特攻とナチスの虐殺は違う 鹿児島南九州市・知覧、「アウシュビッツ」との連携見直しへ 遺族らから反対意見相次ぐ(1/2ページ) - 産経ニュース

rag_en リーンホースJr特攻シーンとか、個人的には「ぐっ」ときたんだけど、この手の方々にかかると「忌まわしきシーン」みたいな扱いなんのかな。/『「絶対悪」の設定』問題。

最初に指摘すると、「忌まわしき」という表現は、自民党関係者がアウシュビッツと比べて否定した表現だ*1。つまりアウシュビッツが「忌まわしき」ものだという含意がある。
『「絶対悪」の設定』とrag_en氏はコメントしているが、ならばまず自民党関係者を批判しなければおかしい。そして「絶対悪」が決定できないというならば、忌まわしさの比較でアウシュビッツと知覧をならべることを拒絶できない。


次に、自己犠牲に感動してしまうことと、それをさせた社会が忌まわしいと評価することは矛盾しない。
感動ゆえに批判できなくなるのだとすれば、そのような問題は解消されにくいからこそ、より意識的に批判するべきという考えだってできる。


また、しょせんrag_en氏の感想は「個人的」なものでしかない。たしかに『機動戦士Vガンダム』のリーンホースJr.特攻は広く高評価されており、検索すると下記のような紹介記事が多く引っかかる。
「機動戦士Vガンダム」のリーンホースJr特攻を演出的に振り返る
しかし私には名シーンだと思えない。BGMでもりあげようとしていたが、退艦シーンなどの段取りに時間をかけすぎてエモーションが失われ、重要エピソードのわりには作画も良くない*2
何より『機動戦士Vガンダム』では何度となく特攻が描かれ、作品における命は軽いものとなっていた。戦いを意図的にむなしく描こうとしたのか、うつろな物語しか制作者が描けなくなっていたのか、わからなくなるくらいに*3富野由悠季監督が「失敗作」と位置づけた*4のも当然と思えるくらいだった。
同シリーズの自己犠牲エピソードで比べるならば、『機動戦士ガンダム0080ポケットの中の戦争』に表現力でも問題意識でも遠くおよばない。それが私の当時からの感想だ。


そもそもrag_en氏のもちだした特攻は、知覧の特攻とは構図が異なる。
リーンホースJr.とは、末端の兵士が操縦する兵器ではなく、レジスタンスの将兵が乗る旗艦なのだから。

特攻を決めて最後までつきあったのは、艦橋にいる上層部だけ。あえて老人ばかり残り、若者は退艦させられた。主人公をはじめとした子供を戦争に利用した人々が*5、その責任をとるように死んでいった。
もちろんリーンホースJr.の艦長らは、勝利のために命をなげうったのであり、目的を捨てて子供たちを守るような贖罪ではなかったかもしれない。しかし継続的な作戦として兵士に自爆攻撃を強要したこととは違うのだ。


とりあえずrag_en氏には虚構と現実の区別をつけてほしい。
区別ができてこそ、現実を虚構でなぞらえたり、虚構を読みとくため現実を援用できる。
最初に引用したような、他人の作品評価を揶揄するコメントは、まず自分ができることをやってからだ。

*1:その発言もふくめて、知覧とアウシュビッツ、特攻とホロコースト、それぞれ何が似ていて何が違うのか - 法華狼の日記でいくつか書いた。

*2:そもそも作品全体の作画が、当時のTVアニメにしても良くなかった。影を少なくしたデザインからして、立体をとりづらくして質感をなくしてしまっただけ。OPEDと序盤のレイアウトが良かった他は、作業用機械「サンドージュ」が出てくる第24話が重要エピソードでもないのに美しかったくらい。後半のGAINAX作画回の世評は高いが、スケジュールの押している様子が画面からうかがえて、いわれているほど印象に残るものではなかった。

*3:おそらく両方なのだろうと思うが。富野監督の発言を見ると、スポンサーの要求をかわしきれずに作品へ嫌悪感をこめたような話が何度もある。

*4:『それがVガンダムだ』富野由悠季監督インタビュー本文抜粋 - Togetterに『それがVガンダムだ―機動戦士Vガンダム徹底ガイドブック』の抜粋がある。なお、富野監督が自作を酷評するのは『機動戦士Vガンダム』だけではない。

*5:主人公がレジスタンス参加を決めかねていた前半、どのように仲間にするか老人たちが考える描写をわざわざ入れていたほどだ。後半でも敵組織の指導者の批判として、少年兵をつかうレジスタンスを異常と明言している。また、レジスタンス指導者の影武者も特攻につきあったが、そのような行動をとるようになる以前の性格や立場で、敵対する宗教国家だけでなくレジスタンス側にも問題があることを示していた。