法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

従軍慰安婦問題において、勇気ある歴史家への支持が国外から表明されたということ

日本研究をおこなう米国学者を中心に、187名がつらなる声明が出された。声明は日本語と英語で公表され、朝日新聞などが報じている。
http://www.asahi.com/articles/ASH5723NQH57UHBI00D.html
署名につらなっているひとりであり、声明がつくられる会にもたちあっていた[twitter:@emigrl]氏によって、背景を解説する記事も出された。
世界の日本研究者ら187名による「日本の歴史家を支持する声明」の背景と狙い / 小山エミ / 社会哲学 | SYNODOS -シノドス-

なぜ「日本の歴史家を支持する声明」というタイトルが付けられているのか考えてみれば、署名した研究者たちが日本における歴史研究が政治的な攻撃に晒されていることを危惧し、日本政府や歴史修正主義者たちによるまっとうな歴史学への攻撃に対抗しようとしていることが分かるはずだ。

ただし東洋経済記事のように、韓国批判の根拠として声明をもちいる論評も出てきている。
日米歴史家、韓国メディアの"変化球"に困惑 | 韓国・北朝鮮 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

「元慰安婦の被害者としての苦しみがその国の民族主義的な目的のために利用されるとすれば、それは問題の国際的な解決をより難しくするのみならず、被害者自身の尊厳をさらに侮辱することにもなる」と書かれている。民族主義的な目的というのは、まさに韓国がしていることを指している。

ちなみにemigrl氏の解説記事は、東洋経済記事の日本語版翻訳者の事実誤認を批判するために出されたものだ。


たしかに声明では中国や韓国へ批判を向けた部分もある。そこで声明が何を否定して何を支持しているのか、全文から確認していこう。
http://www.asahi.com/articles/ASH575KGGH57UHBI01Y.html*1

この問題は、日本だけでなく、韓国と中国の民族主義的な暴言によっても、あまりにゆがめられてきました。そのために、政治家やジャーナリストのみならず、多くの研究者もまた、歴史学的な考察の究極の目的であるべき、人間と社会を支える基本的な条件を理解し、その向上にたえず努めるということを見失ってしまっているかのようです。

ここで「日本だけでなく、韓国と中国の民族主義的な暴言」と翻訳されている「nationalist invective in Japan as well as in Korea and China」だが、emigrl氏は「日本および韓国と中国による民族主義的な非難の応酬」と訳すべきだったという*2。ここだけ翻訳による言葉の順序が変わっているという指摘もある*3。誤訳というほどではないが、日本への批判がやわらぐよう翻訳されている一例とされている。
いずれにせよ、韓国と中国が単独で批判されているわけではなく、日本とひとまとめにされていることは変わらない。この声明は、日中韓という対立でどの国を支持するという内容ではない。民族主義歴史学という対立において、歴史学に立つよう求める声明だといえる。
ならば以降の声明も、何が「民族主義的」と評価されて、何が「歴史学」と考えられているか、それを読んでいけばいい。けしてオーバーな意味ではなく、この声明は世界の指標となる。


声明には、もうひとつ被害国を批判する部分があるが*4、そこで元慰安婦の被害者としての苦しみを事実としている。

 元「慰安婦」の被害者としての苦しみがその国の民族主義的な目的のために利用されるとすれば、それは問題の国際的解決をより難しくするのみならず、被害者自身の尊厳をさらに侮辱することにもなります。しかし、同時に、彼女たちの身に起こったことを否定したり、過小なものとして無視したりすることも、また受け入れることはできません。

たしかに被害の事実を国家が利用することへ釘をさしている。しかし被害の事実そのものを否定したり過小視することも、そのまま「民族主義的な暴言」というわけだ。
従軍慰安婦問題そのものも、規模と関与の度合いにおいて特筆性があると評価している。

20世紀に繰り広げられた数々の戦時における性的暴力と軍隊にまつわる売春のなかでも、「慰安婦」制度はその規模の大きさと、軍隊による組織的な管理が行われたという点において、そして日本の植民地と占領地から、貧しく弱い立場にいた若い女性を搾取したという点において、特筆すべきものであります。

この評価こそが声明のいう「歴史学的な考察」による結論であり、やはり安易に否認することは「民族主義的な暴言」というわけだ。
以降の具体的な評価においても、声明は日本の歴史学の通説を追認している。日本軍への批判そのものを「暴言」とみなすような部分はいっさいない。


もちろん被害者証言は採用するべきと評価し、証言相互や資料による裏づけがあることを指摘している。

女性の移送と「慰安所」の管理に対する日本軍の関与を明らかにする資料は歴史家によって相当発掘されていますし、被害者の証言にも重要な証拠が含まれています。確かに彼女たちの証言はさまざまで、記憶もそれ自体は一貫性をもっていません。しかしその証言は全体として心に訴えるものであり、また元兵士その他の証言だけでなく、公的資料によっても裏付けられています。

記憶に必ずしも一貫性がないこともふくめて、日本や韓国の歴史学者が過去から指摘しつづけたことだ。1995年の吉見義明教授の著作に、そっくり同じようなくだりがある*5。記憶のぶれを考慮しても重要な証拠であると考えるのが、現代の「歴史学的な考察」ということだ。
後段でも、証言への反論を目的として恣意的に資料をあつかうことを批判している。それこそが「民族主義的な暴言」であるというかのように。

被害者の証言に反論するためにきわめて限定された資料にこだわることは、被害者が被った残忍な行為から目を背け、彼女たちを搾取した非人道的制度を取り巻く、より広い文脈を無視することにほかなりません。


前後して、声明は従軍慰安婦の規模にも言及していが、やはり吉見教授の著作を要約したような内容だ*6

正確な数について、歴史家の意見は分かれていますが、恐らく、永久に正確な数字が確定されることはないでしょう。確かに、信用できる被害者数を見積もることも重要です。しかし、最終的に何万人であろうと何十万人であろうと、いかなる数にその判断が落ち着こうとも、日本帝国とその戦場となった地域において、女性たちがその尊厳を奪われたという歴史の事実を変えることはできません。

声明の前段にある「日本帝国の軍関係資料のかなりの部分は破棄されました」というくだりとあわせれば、韓国政府の見解そのままともいえる。
http://www.hermuseum.go.kr/japan/sub.asp?pid=137

慰安婦に動員された女性の総数については、未だ正確な情報は分からない。強制的に動員して慰安婦にさせられた女性たちの総数を示す体系的な資料が見つかっていないためである。一部の学者たちは、日本軍の「兵士何人あたりに慰安婦を何人おくか」という計画が示された資料や、複数の証言資料に基づき元日本軍慰安婦被害者の総数を推測している。しかし、最低3万人説から最大40万人説と、研究者によってバラツキが大きい。


また、募集段階の状況こそ評価していないが、「性奴隷」にされたことにつながる評価はくだされている。

 歴史家の中には、日本軍が直接関与していた度合いについて、女性が「強制的」に「慰安婦」になったのかどうかという問題について、異論を唱える方もいます。しかし、大勢の女性が自己の意思に反して拘束され、恐ろしい暴力にさらされたことは、既に資料と証言が明らかにしている通りです。

このことは古森義久記事*7への批判でemigrl氏も指摘している。
macska dot org » 古森義久氏「歴史学者187人の声明は反日勢力の『白旗』だった」を検証する

「大勢の女性が自己の意思に反して拘束され、恐ろしい暴力にさらされた」ことが疑いようのない歴史的事実として指摘されている。それを性奴隷と描写するかどうかはともかくとして、実態として性奴隷と呼んでもおかしくないような状態であった、という認識は変わっていない。


あくまで声明は自由な研究を賞揚する。具体例こそ示さないが、さまざまな圧力を批判する。

過去のすべての痕跡を慎重に天秤に掛けて、歴史的文脈の中でそれに評価を下すことのみが、公正な歴史を生むと信じています。この種の作業は、民族やジェンダーによる偏見に染められてはならず、政府による操作や検閲、そして個人的脅迫からも自由でなければなりません。私たちは歴史研究の自由を守ります。

外務省によるマグロウヒル教科書への圧力や、教科書検定従軍慰安婦にまつわる記述に意見がついたことや、北星学園大学につとめる植村隆元記者への脅迫は、厳然として起きていることだ。
もちろん声明にもあるように、さまざまな国家で同じように歴史認識を阻害する動きはある。だからこそ、「日本の歴史家」に向けた声明からは、指摘されるような問題が日本国内にないか、考える必要があるのだ。


そして声明は、日本政府の言葉を賞賛して、行動で示されることを期待する。

今年は、日本政府が言葉と行動において、過去の植民地支配と戦時における侵略の問題に立ち向かい、その指導力を見せる絶好の機会です。4月のアメリカ議会演説において、安倍首相は、人権という普遍的価値、人間の安全保障の重要性、そして他国に与えた苦しみを直視する必要性について話しました。私たちはこうした気持ちを賞賛し、その一つ一つに基づいて大胆に行動することを首相に期待してやみません。

これは政府が行動で示せていないとは読めても、日本を孤立させるためのものではない。日本の歴史家を支えようとする、海の向こうからの呼びかけだ。
もちろん声明で支持される「自由」や「勇気」も、やはり言葉にすぎない。それでも信じられれば力になる。

*1:以下、ことわりなく引用枠やカギカッコに入れた文章は、この声明全文から引用する。

*2:「韓国と中国の民族主義的な暴言」とは、具体的にどういう発言を指しているのでしょうか。 | ask.fm/macskadotorg

*3:A as well as Bの用法 - davsの日記

*4:個人的には、「慰安婦にされた女性らの苦しみを被害国で民族主義的な目的に悪用することは国際的な問題解決を難しくし、被害女性の尊厳を冒涜することだ」という聯合ニュースの翻訳と、「元慰安婦の被害者としての苦しみがその国の民族主義的な目的のために利用されるとすれば、それは問題の国際的な解決をより難しくするのみならず、被害者自身の尊厳をさらに侮辱することにもなる」という日本語版とで、東洋経済が「実際には」と表現するほどの違いが感じられない。

*5:吉見義明『従軍慰安婦』86〜87頁。

*6:吉見前掲書で該当するのは78〜81頁。

*7:歴史学者187人の声明は反日勢力の「白旗」だった 大きく後退した慰安婦に関する主張(1/5) | JBpress(日本ビジネスプレス)