法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

日韓合意については、日本政府が過ちをおかしたか、合意そのものが過ちか、今のところ二択だと思っている

2015年12月の日韓合意そのものは、従軍慰安婦問題の全体を収束するものではありえない。あくまで二国の政府間合意であり、無視された地域などでは新たな動きを呼びおこしている。
台湾初の慰安婦記念館がオープン 文化相もエール | 社会 | 中央社フォーカス台湾

世界人権デーの10日、台湾初の慰安婦記念館が台北市内にオープンした。開館式には台湾の元慰安婦のほか、鄭麗君・文化部長(文化相)も出席し、人権が傷つけられた歴史を無視したり忘れてはならないと強調した。同部は記念館に対して補助金を出している。

[寄稿]台湾初「慰安婦」記念館開館の意味 : 社説・コラム : hankyoreh japan

馬前総統は「慰安婦」という単語は不適切なので、引用符号を付けなければならないと話した。イ・ヨンスさん以外の被害者が耐えなければならなかった状況に対する正しい言葉は「軍隊性奴隷」であるためだ。彼はまた「慰安婦」問題は国際人権と女性の権利問題を象徴する問題であり、国際社会のみならず日本政府もそのとおりに認識しなければならないと強調した。

もちろん日韓においても、個人のあらゆる言論活動まで制約するものではない。仮に一方の政府が合意にからんで批判されるべき状況になったとして、政府と一体でない市民まで影響がおよぶとはかぎらない。


それでは民間ではなく政府の明確な動きとして何があったかといえば、まず2016年2月、国連女性差別撤廃委員会における杉山晋輔外務審議官の主張があげられる。
http://www.asahi.com/articles/ASJ2L7JGBJ2LUHBI02H.html

日本政府が発見した資料の中には軍や官憲による、いわゆる強制連行というものを確認するもの、確認できるものはありませんでした。

 慰安婦が強制連行されたという見方がひろく流布された原因は、1983年、故人になりました吉田清治氏が「私の戦争犯罪」という本、刊行物の中で、吉田清治氏自らが「日本軍の命令で韓国のチェジュ島において大勢の女性狩りをした」という虚偽の事実を捏造(ねつぞう)して発表したためであります。この書物の内容は当時、大手の新聞社の一つである朝日新聞社により、事実であるかのように大きく報道され、日本、韓国の世論のみならず国際社会にも大きな影響を与えました。

 なお、「性奴隷」といった表現は事実に反します。

後段で日韓合意の内容として「軍の関与のもとに多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題」とまでは認めているものの、具体的な被害の事実は否認している。もちろん杉山審議官は国連各委員から批判されたし、合意そのものにも厳しい視線が向けられた。
杉山審議官の発言は歴史学的な見解にも反している。合意以前の2015年5月、複数の歴史学会や歴史教育団体が、下記の声明を出していた。
「慰安婦」問題に関する日本の歴史学会・歴史教育者団体の声明(16団体) | Fight for Justice 日本軍「慰安婦」―忘却への抵抗・未来の責任

第一に、日本軍が「慰安婦」の強制連行に関与したことを認めた日本政府の見解表明(河野談話)は、当該記事やそのもととなった吉田清治による証言を根拠になされたものではない。したがって、記事の取り消しによって河野談話の根拠が崩れたことにはならない。強制連行された「慰安婦」の存在は、これまでに多くの史料と研究によって実証されてきた。強制連行は、たんに強引に連れ去る事例(インドネシア・スマラン、中国・山西省で確認、朝鮮半島にも多くの証言が存在)に限定されるべきではなく、本人の意思に反した連行の事例(朝鮮半島をはじめ広域で確認)も含むものと理解されるべきである。

第二に、「慰安婦」とされた女性は、性奴隷として筆舌に尽くしがたい暴力を受けた。近年の歴史研究は、動員過程の強制性のみならず、動員された女性たちが、人権を蹂躙された性奴隷の状態に置かれていたことを明らかにしている。

杉山審議官の主張は、あらかじめ日本の歴史学会から批判されたものにすぎない。日本政府や関係機関も認めてきたことを、的外れな根拠で否定しているだけだ*1
しかし日本政府は国連での主張をとりさげたり杉山審議官を更迭することはなく、そのまま現在も外務省サイトに掲載している。
女子差別撤廃条約第7回及び第8回政府報告審査 (2016年2月16日、ジュネーブ)(質疑応答部分の杉山外務審議官発言概要) | 外務省
募集段階での直接的な強制を否認する主張にいたっては、閣議決定した答弁書を外務省の歴史関連ページにわざわざ収録している。
衆議院議員辻元清美君提出安倍首相の「慰安婦」問題への認識に関する質問に対する答弁書(平成19年3月16日閣議決定)(抜粋) | 外務省


ここで2015年12月の日韓合意をふりかえってみると、二国の政府がたがいに非難や批判をひかえると明言されていた。
日韓両外相共同記者発表 | 外務省

日本政府は,韓国政府と共に,今後,国連等国際社会において,本問題について互いに非難・批判することは控える。

杉山審議官の国連における主張が「本問題について」の韓国への非難になると考えるならば、日本政府は早々に日韓合意をやぶったと解釈せざるをえない。
それとも形式として韓国政府を批判せず、日本国内の一報道機関に責任を転嫁して間接的に被害を否定すれば合意に反しない、という意図だろうか。


合意を重視したいならば、国連での日本政府の過ちが合意に反しているとみなすか、国連での日本政府の過ちすらふせげない合意とみなすか、どちらかを選ばなければなるまい。
現状で日本政府が合意を誠実に履行していると主張することは、被害者や歴史をふみにじる外交的なかけひきが形式的に成立したというだけのこと。それが実際に国際的に通用するかは国連委員会の反応を見ても難しそうだが、とりあえず「誠実」という表現が人道性や公正性にほどとおいことが明確化されれば、合意へ無意味な期待がされることもなくなるだろう。
一方で、合意に人道性や公正性を求める立場から日本政府を批判するのも、ひとつの選択肢ではある。日本政府が歴史的な事実を否認し、被害者をかさねて傷つけていることには変わりないので、どちらを選択するにせよ自由な個人が日本政府を批判することは道義にかなうだろう。

*1:合意内で表現としてもちいられていないことだけが根拠の「性奴隷」についても、日本政府もテイクノートしたクマラスワミ報告書で詳述され、アジア女性基金も否定せずにもちいている。クマラスワミ報告書と吉田清治証言と性奴隷認定の関係をめぐるデマ - 法華狼の日記「性奴隷」という表現を日本政府として拒絶したいなら、アジア女性基金を日本政府の成果として喧伝してはならない - 法華狼の日記