法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『かぐや姫の物語』が3月13日に地上波ノーカット放送されるとのこと

通常より1時間早くから放映されるそうだ。
『かぐや姫の物語』がテレビ初放送!完全ノーカットで - シネマトゥデイ
ところで、社会的な性役割から逃れた女性が主人公な原作を、アニメ化する時のアレンジの傾向性が、少し前から気になっている。


児童文学にオリジナル描写を加えてふくらました宮崎駿監督の『魔女の宅急便』。婚姻描写の原型が見られる古典を翻案した高畑勲監督の『かぐや姫の物語』。
2作品のミッシングリンクとして、『魔女の宅急便』監督を降板した片渕須直監督の、『竹取物語』を思わせる求婚が発端の『アリーテ姫』がある。
どれも映像作品として素晴らしいもので、物語の評価も悪くない。だが、全体として主人公の女性が弱くなる方向にアレンジされ、逆に男性は切り捨てられる存在ではなくなっている。


男性監督ゆえ、とっかかりとなる視点人物を置きたいのか。女性のバイタリティを描くことが、男性作家には一種の簒奪だと感じてしまうのか。それとも紆余曲折や葛藤を描こうとして男性の役割りをふくらませ*1、一周まわって先端性が欠けてしまうのか。
念のため、アレンジが全て問題意識の後退とは思っていない。たとえば『アリーテ姫』で主人公をさらう男の結末は、切断処理しやすい原作よりも、アニメ映画版は男性観客として共感せざるをえない。より辛辣で痛くアニメ化したと感じている。

*1:TVアニメの劇場版のように、いったん紆余曲折を描いた物語をそぎおとして映像化した場合は、より先鋭化する場合も少なくない。