法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『映画ドラえもん のび太の宇宙小戦争 2021』を観て、藤子・F・不二雄は予言者ではなく神さまだと思った

新型コロナが蔓延するなかの平日の小さな映画館とはいえ、子供や家族はおらず、自分以外の観客は大人ふたりぐみがいただけ。受け手の立場でも一年延期しながら期待外れだろう興行収入を気にしないではいられなかった。


物語については、鑑賞前のエントリのコメント欄で書いたように、ウクライナ侵攻よりもミャンマークーデターに近い印象がある。
タイトルに違和感が出るほど上映がのびた結果、民主化闘争を描いた『のび太の宇宙小戦争 2021』が重みを増して悩む - 法華狼の日記

そもそもが国内の軍事クーデターを描いた作品なので、ウクライナ侵攻よりも、たとえばミャンマークーデターのほうが構図としては近いんですよね。
ですから昨年に予定通りに公開されていても、ミャンマーウクライナの報道量の違いなどを考慮しても、やはりタイムリーな作品という印象になったかもしれません。
結局のところ、「他にも想起される状況は以前からいくつもあったし、ウクライナ侵攻さえなければフィクションとして距離をとって鑑賞できるわけではない」ではあるのです。

藤子・F・不二雄の大人向け短編作品に、『大予言』という作品がある。

実際に超能力をもつと思われる大予言者が、誰でも確認できる報道で暗黒の未来が予測されていること、そしてその受容に絶望していく物語だ。
もうひとつ、今回の映画より先にリメイクされた『大長編ドラえもん のび太と鉄人兵団』には、侵略者の歴史を聞かされた少女が落胆する台詞がある。

「まるで人間の歴史をくりかえしてるみたい。神さまもがっかりなさったでしょうね」と……その言葉を侮辱と感じた侵略の尖兵は少女に敵意を向ける。
藤子・F・不二雄ミャンマークーデターやウクライナ侵攻を予知したわけではない。チリクーデターをモデルに物語をつくって、それが数十年後も同時代的に受容されているだけ。
そういうことなのだと、まずは認めなければなるまい。


しかして今回のリメイクで、ひとつ大統領のキャラクターの変化が感じられ、より現代の問題に向きあっているとは思われた。
教育課程を終えれば大人としてあつかわれるピリカ星。主人公たちと同世代でありながら、パピという少年は大統領になり、クーデターに追われる立場となった。
原作や旧作のパピは敬語でしゃべり、反クーデターでもりあがる主人公たちと距離をとり、地球へ来たクーデター側が拘束した少女と自身を人質交換し、そのまま去っていく。精神年齢が高く、あらかじめ人格は完成されていて、責任をもつ権力者として無関係な市民の犠牲をこばむ。
新作のパピも人質交換しようとはするが主人公たちに救出される。大統領になった背景も、多芸多才な善人かつ責任を背負う性格で、それで望まず権力者に押しあげられた結果という。そしてパピはクーデター側に単身で投降して、機会をとらえて市民の蜂起をうったえた。
パピが立派な指導者ではなく迷える政治家になった変化もまた、ミャンマーを思い出させる。軍事クーデターが起きる直前、民主化運動をひきいたアウンサンスーチーは国内の少数民族迫害を軽視して内外で失望されていた。
あの日、スーチー氏の演説に各国外交官は黙り込んだ:朝日新聞GLOBE+

演説の中でスーチー氏は、「9月5日以降は掃討作戦は行われていない」と明言。だが、国境を越え、バングラデシュへ向かうロヒンギャは増え続けていただけに、疑いの目が向けられた。

演説が終わり、帰途につく大使らに感想を聞こうとしたが、「ノーコメント」ばかり。ミャンマーとの関係、スーチー氏の評価をどうするか。大使個人で判断するのは難しい。多くが眉間にしわを寄せてすぐに会場を後にしていた。

原作は反クーデターが成功した後に盛大に祝う描写もなく*1、協力者にすぎない主人公たちはピリカ星を去る。旧作は反クーデター後の描写は変わらないが、巨人として復興を助ける主人公たちの姿がエンディングで描かれる。そして新作では反クーデターの成功を喜ぶ群衆からパピは遠ざかり、薄暗い路地裏にいる。
さらに新作では末端の兵士のひとりが反クーデターに協力する一瞬まであった。民主化運動の主役は市民ひとりひとりであって、象徴の指導者ではない。それどころか民主主義が失われた時の権力者であれば、それを命令した立場でなくても、看過した責任があるのだ。
新作はクーデターに追われた大統領を遠い国の被害者として描くのではなく、責任と主体性をもつ身近な少年として描いている。今回のリメイクには残念なところも疑問なところもあったが*2、少なくとも現代に描くべきものを見せてくれたという感想はもてた。

*1:ちなみに数年前に描かれた『大長編ドラえもん のび太の大魔境』では、権力を回復した王子を国民が祝うパレードが描かれる。戦いに助力した国民は王子のそばになく、他の国民に混じって祝っている。

*2:くわしい感想は後日の予定。