法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『終戦記念特別ドラマ 命ある限り戦え、そして生き抜くんだ』

パラオ共和国ペリリュー島の戦いにもとづいた、2時間超のドラマ。玉砕を否定した中川州男大佐による、持久戦の顛末を描く。
http://www.fujitv.co.jp/inochiarukagiri/
ペリリュー島の戦いは先日の『NHKスペシャル』でもとりあげていたが、録画に失敗したため見ていない。再放送を試聴して、あらためて補足する予定。
映像面ではセットやロケは悪くなく、「芸者通り」の異国情緒は印象深かったが、アクションやVFXは少なめ。機銃掃射など、小さな土煙があがるだけで威力が弱すぎる。


まずドラマ以前の問題として、始まる前と終わった後の池上彰解説が良くない。かぎられた視点でしか描けない物語の補完となるべきなのに、さらに視野がせまい。
太平洋戦争のはじまりからし真珠湾への「攻撃」で、欧米の勢力下にあった南方の豊かな土地を「占領」と表現する。さすがに植民地を解放したとは表現しなかったものの、侵略者だったという自省が欠けている。何より、日本が勢力圏をひろげていく世界地図イメージが、あたかも太平洋戦争によって朝鮮半島や中国大陸を占領したかのような映像だった*1
次に「パラオも戦争で奪った土地なの?」という問いをたて、第一次世界大戦でドイツ植民地から日本の統治下に移ったと否定する。しかし「戦争」で手にいれたことは同じだろう。統治が長くて現地に根づいていたというくらいの位置づけで我慢できなかったのか。
そして委任統治は独立させることが前提と解説するにいたって、ペリリュー島を軍の重要拠点あつかいしているドラマ本編と衝突した。独立を助けるため無償で国土の整備や教育をほどこしたと解説するが、もちろん当時の日本が見返りなく支援したはずがないのだ。
ドラマ本編でも黒木瞳ナレーションの解説があるのだから、池上彰解説はなくてもいいのだ。もちろん本編のナレーションも首をかしげるところがある。たとえば米軍のフィリピン再占領を「侵攻」と表現したり*2、ドラマ『ザ・パシフィック』に言及して便乗っぽく感じさせたり*3。それでも、あらかじめフィクションと断っているドラマの枠内なら目をつぶれる。


ドラマ本編に入ると、まともな描写もいくつかある。たとえば満州から移動してきた中川大佐に、パラオ現地の子供たちが石を投げる。そこで中川大佐は罰したりはせず、子供にとって自分は支配者だと口にする。もちろん大人にとっても支配者なのだが、当時の軍人としては自覚的で好感をもてる台詞だった。
しかし全体としては、中川大佐の行動を賞賛しようとして、あちこちに無理が生まれていた。玉砕の否定は本土防衛のための時間稼ぎにすぎないとドラマ描写だけでもうかがえるのに、中川大佐が命を大事にしていたのだと説明されても納得できない。
そもそも、過酷な環境での持久戦を兵士に強要して、降伏すれば殺さないという米軍勧告を無視して戦い、中川大佐自身は二ヶ月半の戦闘で追いつめられて自決し、日本の敗戦後も戦った部隊がいたのに、「常に冷静で合理的」*4な指揮官のドラマにしようとするのが無理なのだ。
それどころか、敗戦後まで戦った部隊を命を大事にした結果と称賛する。戦わなければならない理由などなかったことを認められないから、ドラマ全体の枠組みがゆがんでしまうのだ。
戦場の指揮官を善良に設定したいなら、むしろ自省的な人物に描くべきだ。どうしても合理的な指揮官のドラマにしたいなら、たとえば架空の兵士を主人公にして中川大佐へ期待させ、戦いをとおして失望していく展開にでもするしかない。ドラマでも、限界がきて玉砕を選んだ部隊が出てくる。玉砕しない戦いをつらぬけてなどいないのだ。


実在したとされる芸者をモデルにして、芸妓が女性兵士として戦った描写も、見ていて困惑させられた。
慰安婦が軍隊の炊事や戦闘に参加したという説にもとづいているわけだが、これで戦死したのに民間人の死傷者がいなかったと説明するなら、つまり慰安婦は軍属であったと認めるわけだろう。それなのに「愛」を動機とした自由意思で勝手にもぐりこんだと描写し、日本軍の責任を軽減しようとする。
たしかに、従軍慰安婦の証言を読むと、兵士個々人にほだされた事例や、戦闘に参加したらしい事例はいくつかある。しかし、そのような立場においこんだ社会や組織の責任が消えるわけではない。せめて民間人に死者を出してしまったか、日本軍に責任があったか、どちらかは認めなければならない。
天皇に対して過剰に襟をただす演技など、手にいれた尊厳がかりそめでしかないと感じさせる部分もあったが、もっと深く踏みこまないとドラマは始まらない。


パラオ現地人の描写も残念だった。たしかに日本軍に協力的だった側面もあったろうが、誰も彼も協力的なだけで、固有の人格が見えてこない。
先述した子供の描写は悪くなかったのだが、子供とうちとける展開もなければ、決定的に決裂するわけでもない。一過性の出来事として終わってしまった。
ちなみに民間人の死傷者が出なかったとだけ説明し、全員を島から避難させたかのように描写しているが、実際は軍属として現地人を働かせて死傷者を出したという。積極的に協力していた若者を軍属として徴用して戦死させれば、少しはドラマとして葛藤が生まれたろうに。


最後に、エンディングの途中で元兵士インタビューが入るが、戦争は良くないというだけで、日本がしかけた戦争だったとか、敗北を認めるまで時間をかけすぎたとかいった自省にはいたらない。同じようにエンディング途中でインタビューを入れた映画『ヒトラー 〜最期の12日間〜』とは、比べるべくもない。
全ての戦争ドラマに自省が必要とまではいわないが、せめてテーマとドラマの乖離に向きあう部分が番組のどこかにほしかった。玉砕を禁じる命令が命を守ることにつながらなかったことを正面から描けば、ドラマらしい葛藤に昇華できたかもしれないのだから。

*1:ドラマ本編でも、主軸となる部隊が駐屯していた場所として満州が少し描かれるものの、満州事変や日中戦争は言及されず。朝鮮人パラオにも徴用されたはずなのに、全く出てこない。

*2:よりによってフィリピンでロケしているのに。

*3:公式サイトでも「スピルバーグが制作した『ザ・パシフィック』という太平洋戦争のセミドキュメンタリーでは、10本のうち3本がこの“ペリリューの戦い”を描いたもの。それほどアメリカにとっても忘れがたい戦いだったと言える」という記述がある。

*4:http://www.fujitv.co.jp/inochiarukagiri/character.html