法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ウインドトーカーズ』

ジョン・ウー監督、ニコラス・ケイジ主演。太平洋戦争末期のサイパン島攻略におけるアクションとドラマが描かれる。
最前線に投入された少数民族出身兵を通信手段として守りつつ、敵の手に渡りそうであれば殺さなければならないという葛藤。ナボハ族の言葉を用いた解読困難な暗号通信方法「コード・トーカーズ」が米軍で作られ、前線で成果を上げたという史実が基にある。


暗号通信が映画の軸となることで、艦砲射撃や航空支援を要請したり、友軍の誤爆を止めさせたり、通信機器の争奪戦が描かれたり、大味な物量戦ではなく*1、ちゃんとミクロの個人戦とマクロの戦術が融合し、かつ場面ごとの目標がわかりやすく整理されているところが戦争映画として素晴らしい。
どう見てもギャグな「ホリョダー」をめぐる描写も、個人的には好感触。連呼だけで押し切ったならばさすがにやりすぎだが、小突かせる芝居を入れているので許せる。
先住民と白人兵士に友情が芽生えていく過程も、さすがジョン・ウーといったところ。それも個人の小さな描写にとどまらず、先住民と白人の軋轢と和解を延長することで、戦後の米国と日本の和解を米兵が想像するという歴史的な視野まで描いている。
二丁拳銃も鳩も出てこなかったし、ジョン・ウー映画としては比較的に抑制されていた。


しかし終盤に追いつめられた時、主人公が拳銃一丁で複数の日本兵相手に無双を演じるのは、やはりアクション映画の世界観だ。たった一人で敵地を生き残った主人公の能力が映画冒頭で描かれているとはいえ、せめて自動小銃を手にするとか、もう少し仲間を生き残らせておくとか、超人っぽく見えないよう工夫するべきだったと思う。
さらに終盤へ文句をつけると、顔がまのびした金ピカの仏像と、鳥居を置いておけば日本人の居住地っぽくなるだろと言いたげなオープンセットが少しばかり残念。アジア出身のジョン・ウーが監督するということで少しは違った日本描写になるかと思ったが、やはりどこか微妙にずれている感じがつきまとう。
中盤では台詞もあって固有性が感じられた日本兵も、終盤に近づくと顔のない兵士として描かれる。かといって対比されるべき日本人居住地の子供達も、米兵の菓子を喜ぶ描写が多用されるばかりで、個性が感じられない。せっかく先述したような歴史的視野が薄められてしまっている。バランスが難しいところだが、日本内部の葛藤や衝突をにおわせる描写もほしかったところ。
あと、先住民と侵略者の軋轢と和解を米兵のやりとりで描いた時、先に白人が先住民の虐殺を非難し、先住民が白人の虐殺を非難する描写ですませたのは、色々な限界を感じた。侵略者と被侵略者という関係なのだから、どちらも虐殺をしたなどという相対化は通用しない。論争として続けば史実に反する方向へ行ってしまいかねないし、軍隊内部の実際の関係性とは違ってしまうのかもしれないが、あくまで限定された状況を描写したものと示してほしい。これが国家に所属する軍人でなく、個人で戦う無法者の映画であれば、さほど気にならないのだが……アクション映画の世界観で戦争映画を撮ってしまったゆえの問題なのだろう。

*1:ただ、大規模な戦闘モブシーンは不得手なのか、やや大味な印象が残った。ロングショットで個々の兵士が散会しすぎていて、隊ごとのまとまりが感じられない。