法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ドラえもん』の軍事描写と安全保障

北海道の札幌琴似工業高校で、『ドラえもん』等を使って集団的自衛権について教える授業がおこなわれたという。朝日新聞が報じていた。
http://digital.asahi.com/articles/CMTW1407190100001.html

 川原さんと伊藤さんは、「ドラえもん」を例に話を進めた。米国は「ジャイアン」、日本は「のび太」。安倍晋三首相は集団的自衛権の行使容認で「日本が戦争に巻き込まれる恐れは一層なくなっていく」と胸を張ったが、「のび太武装して僕は強いといっても、本当に自分を守れるかな」と川原さん。生徒はみな顔を上げ、考えこんだ。

 伊藤さんは「武装してけんかをするか、何も持たずやられるのか、選択肢は二つじゃないよね」と、話し合いでの解決法を示した。

それほど私は『ドラえもん』の熱心なファンではないが、のび太ジャイアンを日本と米国になぞらえるのは、やや違和感はある。それに記事の問題かもしれないが、ジャイアンを米国に比喩するなら、のび太自身が武装する話をするよりも、ジャイアンが信頼できるかどうかという話が先だろう。
一応、のび太ジャイアンが暴力で守ろうとすることもあり、それが裏目に出ることもある。一例として、柔道十段の親戚から説教されてジャイアンが感動し、無償ガードマンに名乗りをあげるエピソード「ジャイアン反省・のび太はめいわく」を紹介しよう*1

いつもと違う感動展開になるかと思いきや、思うように正義の味方ができないのでイライラがつのっていく。ついには自作自演で危機を呼んだりする。

他にも大長編では相互に防衛で協力することも、ちょうど再映画化された『大魔境』*2のように一方の迷惑を一方がかぶることも多い。その意味であれば集団的自衛権になぞらえることも不可能ではない。
しかし、これらを具体例として持ち出したなら、おそらく記事中で言及しただろう。作品全体で考えるなら、スネ夫ジャイアンの関係が日本と米国に近いように思う。対象年齢から考えても、同じ原作者の『21エモン』や『T・Pぼん』にふさわしいエピソードが多いので、それを紹介してほしかった。
社会風刺としての時期にも注意が必要だろう。短編のほとんどは1990年以前が初出だ。何度も再録されているため気づきにくいが、1992年以降は毎年の大長編と、中編ひとつが発表されたのみ。短編全体としては保守も少なからず憲法9条堅持をかかげていた時代の作品なのだ。
http://homepage2.nifty.com/qden/ff/doraemon/list/index.html
つまり軍事衝突や独裁国家を描いたエピソードは冷戦構造がつづいていたころ発表されている。それでいて発表期間は長く、単行本には発表順を前後させて修正しながら収録されているため、時代の変化に注意しながら読むことが難しい。それを前提にしながら読解しなければならない。


はてなブックマークを見ると、全体として授業への異論が多いようだ。
はてなブックマーク - 「のび太が武装しても自分を守れるかな」:朝日新聞デジタル
ブログエントリでも授業に異論が出て、BLOGOSやYAHOO!個人記事に転載されている。どちらも具体描写を引いて比喩としての不適切さを論じようとしたものだが、これはこれで作品の基本骨格を見失っているように思える。


まずは、以前から『ドラえもん』を題材にエントリをあげていたNonreal氏*3
『ドラえもん』で学ぶ安全保障学
『ドラえもん』で学ぶ安全保障学 : 海国防衛ジャーナル

ご存知のように、ドラえもんのび太の世話係で同居人で友達です。かたやジャイアンの基本設定はいじめっ子で、のび太の直接的な脅威です。これを踏まえて、のび太を日本とすると、ドラえもんを同盟国である米国になぞらえるのは分かりますが、ジャイアンと見立てて議論するのは、のび太目線で考えると適切でない気がします。

基本的には一方的に教育して保護するドラえもん集団的自衛権における米国となぞらえるのは、それはそれで不正確だろう。米国が軍事力や発言力で日本より上の立場という考えはできるだろうし、日本が軍備放棄したり海外派兵にためらっている状況なら当てはめうると思うが、集団的自衛権宗主国から保護されるだけの権利ではない。
また、武力の必要性を感じさせるかのようにNonreal氏が下記画像を引いているのは、これはこれで誤解をまねく。


藤子・F・不二雄ドラえもん 27巻』「10分遅れのエスパー」120ページより 。)

最近にもアニメ化された*4「10分おくれのエスパー」だが、制御できない超能力を持ってしまったため悲喜劇が起こる展開だ。オチを見ても、ジャイアンを攻撃しようとしたところ、誤って別人に迷惑をかけてしまう。そこから考えると、防衛力の意義を読みとるとしても、しっかり制御できることが前提という結論になるだろう。


dragoner氏*5の下記エントリも、軍事描写が存在することの指摘としてはいいが、朝日記事への反論のために無理をしている*6
集団的自衛権問題で「のび太」の例え話は適切か? という話(dragoner) - 個人 - Yahoo!ニュース
dragoner.ねっと: 「のび太が武装しても自分を守れますか?」の答え

射撃ゲームで世界最高記録を出したのび太が、西部開拓時代にいたら有名なガンマンになれるかなと得意になった所、ドラえもんにバカにされたのに怒って、タイムマシンで1880年の西部開拓時代のアメリカに行ってしまいます。

のび太は臆病ですが、武装させると滅法強いという設定なのです。

現代では武装ができないからこそのエピソードであるし、他者を助けるエピソードであって自衛権とは違うだろう。
だからこそ現代に戻ったオチで、のび太が自分の強さを主張しても、ジャイアンに暴力で押しきられる*7

しかし見てのとおり、実際に戦ったことで生まれた自信を相手へ感じさせる結末ともいえる。
そもそも西部開拓の街についた当初、のび太は現実の銃撃に気絶し、逃げ出そうとする。武器を持っていないためではない。「おくびょう」だったからだ。
そして銃をとったのも自分のためではなく、街を守ろうと単身で敵に対峙した老村長のためだ。
このエピソードから見いだすべきは、武装してえられる力なのだろうか。


さらにdragoner氏から批判的に言及されている辻元清美議員の解釈について。
断片的な引用で情報が不足しているのはともかく*8ドラえもん憲法9条という主張は、たしかに妥当性が感じられない。キャラクター解釈に限るならば、先述したように違和感ないのだが。

日本はジャイアン(米国)にいじめられるのび太か、と言えば(ジャイアンにすり寄る)スネ夫なんです。 私は日本はのび太でいいと思う。 ドラえもんという憲法9条があるんだから。

出典:日経新聞 2002年5月23日

ドラえもん憲法9条、ですか。では、ここで他にも映画にもなった大長編ドラえもんの話を見て行きましょう。

一方、反論としてdragoner氏が引いた各作品の解釈は、意図をくみとっても誤解をまねきそうだ。

ハリウッド映画かと思うようなストーリーの数々。そう、大長編ドラえもんはキレイ事だけで済まさない、かなりシビアな話が展開するのです。

極めつけは「ドラえもん のび太と雲の王国」。雲を固定化するひみつ道具で、のび太一行は雲上に雲の王国を作ります。ところが偶然、雲上で文明を築いてた天上人の世界を発見し、のび太一行は天上人と交流を持つが、天上人は地球環境を破壊する地上文明を大雨で一掃する「ノア計画」の実行に移ろうとしていた……。

大量破壊兵器による力の均衡に、その均衡が内部的要因で崩壊して破滅に至ろうとするも、最後は自己犠牲で救われる話を子供向けでやるんですから、藤子・F・不二雄先生は本当に凄い人です……。このように、集団的自衛権の行使から、自己犠牲による世界救済までを描いているドラえもんの作品世界は、少なくとも憲法9条を絶対視する左派系の人の対極にあると思われるのですが、いかがでしょうか。

『宇宙小戦争』は相手国内の軍事クーデターに対して、亡命してきた大統領や地下組織を支援した。他国の内政に干渉した、まさに米国を思わせる行動ではある。しかし反クーデターを「軍事的脅威に脅かされた他国の元首を助ける、集団的自衛権の行使」とまとめるのは微妙なところ。
『鉄人兵団』は敵勢力の先兵を味方にしたことで、時空移動して敵勢力の誕生に立ちあい、創造主を説得することで根本から戦いを断つ。それに戦闘にも時間稼ぎとして意味はあったものの、無人地帯にさそいいれたことを「本土決戦を回避し、周辺地域での戦闘に限定することで被害を極限する明治日本の防衛戦略」とまとめられるのは誤解を生む。
『アニマル惑星』は比較的に正確で、「軍事顧問団の派遣と武器供与による抵抗」というまとめも的外れではないだろう。ただし準備していなかったドラえもん側は武装で劣り、とぼしい「道具」を使ってゲリラ戦をいどむしかなかった。最終的に救われた状況にいたっては、かなり勢力関係がいりくんでいる。
『雲の王国』にいたっては、抑止力のための武装を奪われて、攻撃を実行されて困る展開だ。ドラえもんが「自己犠牲」したのも対立者を救うためであり、結果として主張を聞いてもらえた。そこで第三者をふくむ対話で解決がなされたことを思うと、武装の必要性を読みとるのは無理がある。むしろ抑止力のつもりであっても軍備を持つことの危険性を描いたといえよう*9
さらにdragoner氏が引いていない『海底鬼岩城』など、はっきり軍拡競争の虚しさを題材にした作品もある。『竜の騎士』や『創生日記』のように、軍事衝突の無意味さを結末でつきつけたエピソードもある。どれも軍事描写そのものを拒絶する読者には好まれないだろうが、さすがに好戦的な作品とはいいがたいし、軍事力の必要性を見いだすことも難しい。


dragoner氏は比喩として『ドラえもん』を持ち出すこと自体も疑問視する。

左派系の人がなんで度々例えに出すのか、イマイチわかりません。安全保障でドラえもんを持ち出す人達に、原作に対する愛は微塵も感じられず、政治利用のためだけに作品を利用する最低の行為ばかりで、どれだけ醜い事を自分たちがしているのか自覚が無いんでしょうか。あ、自覚や愛もあったらそもそもしないか。

しかしこの批判については、4年前に私が書いた下記エントリを思い出す。
最後の・のび太がジャイアンを抑止するには? 抑止の外交 - 法華狼の日記
ただし私が最初ではないし、あまり本気でもなかった。のび太ジャイアンで抑止力の必要性を説明したid:zyesuta氏のエントリを見かけたので、それに応じて作品から興味深い具体例を紹介したにすぎない。
のび太がジャイアンを「抑止」するには? 抑止の種類 - リアリズムと防衛ブログ
このzyesuta氏のエントリも注目が集まったが、長文でありながら具体的な作品描写とは対応が少ないのに、称賛コメントが多かった。物語を政治利用することはもちろん、わざわざキャラクターを使うことへの疑義はほとんど見かけなかった。
http://b.hatena.ne.jp/entry/riabou.hateblo.jp/entry/20100308/1268057558
Nonreal氏が『ドラえもん』で安全保障を語り始めたのも、こうしたzyesuta氏のエントリを称賛し、真似たのがはじまりだ。
ドラえもんがいない世界でのび太は誰と組むべきか : 海国防衛ジャーナル

安全保障のあれこれを説明するのは簡単なようでなかなか難しいものです。そんな中、『ドラえもん』の世界をメタファー(隠喩)に用いるアイデアを思いついたのが、ブログ 『リアリズムと防衛を学ぶ』 様です。当該エントリでは「抑止」について解説されており、分かりやすいことに加えて読み手も一緒に考えてみたくなる内容です。

物語で社会を語ることを私個人は否定はしないが、4年前と今回との温度差は興味深い*10


だいたい藤子F作品の基本骨格を見ると、力押ししようとすれば足元をすくわれる。逆に、絶望して全てを投げ出そうとしても思い通りにならない。
のび太は圧倒的な射撃技術を持っているが、なかなか自身の身を守る役には立たない。大長編で描かれる大規模な戦いも、武力で劣るドラえもん側はゲリラ戦をおこなう。たとえば『宇宙小戦争』では、武力で劣りながらも市民や敵軍に独裁政権嫌悪がうずまいていることから、処刑時を狙った大統領奪還と放送局占拠による蜂起呼びかけという、きわめて正しい革命の作法を描いていた。窮地を警察力に助けられることはあるが、基本的に巨大な軍事力や圧政には個々人で対抗する物語だ。
そして各短編には単独で社会風刺を読みとれる作品もあるが、どれも解釈が一筋縄ではいかない。さまざまなことが裏目に出るばかりなので、軍事力どころか個人の知力や体力すら必要性を見いだしにくい。
いずれにせよ『ドラえもん』に限らずイメージだけで語ると、実際の作品から乖離しやすいし、読者から異論も出やすい。教訓を見いだすにしても、そうした注意は最初にするべきだろう。

*1:てんとう虫コミックス第36巻66頁、および68頁。

*2:以降も大長編はタイトルを略称する。

*3:ツイッターアカウントは[twitter:@nonreal006]。

*4:アニメオリジナル展開が意外と緻密、かつ皮肉な展開で面白かった。http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20120824/1345825295

*5:ツイッターアカウントは[twitter:@dragoner_JP]。

*6:画像の転載元がこちらのブログエントリであれば、そのむねは明記しておくべきだと思う。http://3f.ldblog.jp/archives/19590963.html

*7:てんとう虫コミックス第24巻175頁。

*8:http://web.nikkei.co.jp/sp2/nt23/20020110eiii015202.htmlというURLでインターネットに掲載されていたようだが、すでに削除されているし、主張の前後がわかるアーカイブが見つからなかった。

*9:ちなみに『雲の王国』そのものの感想をいうと、連載終盤で原作者が体調を崩したため、かなり解決が勢いまかせになっている感はある。連載時の後半は絵物語として処理され、後に原作者自身によって漫画化されるまで単行本化されないままだった。結末がどこまで原作者のコントロール下にあったかは、議論のわかれるところだろう。

*10:ちなみにid:fut573氏の解析ツールを利用すると、朝日記事についてはコメントした人間がかぶっていないようだ。http://fut573.com/compare/?url1=http%3A%2F%2Friabou.hateblo.jp%2Fentry%2F20100308%2F1268057558&url2=http%3A%2F%2Fwww.asahi.com%2Farticles%2FCMTW1407190100001.html一方で、dragoner氏のエントリとは重なっているコメントも見られる。http://fut573.com/compare/?url1=http%3A%2F%2Friabou.hateblo.jp%2Fentry%2F20100308%2F1268057558&url2=http://bylines.news.yahoo.co.jp/dragoner/20140720-00037558/