法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

ぼくの考えた『ブレイブ ストーリー』

GONZOがフジテレビにとってのスタジオジブリになろうとしていた時代の、あだ花となって終わったアニメ映画『ブレイブ ストーリー』。
2時間足らずの尺に大長編ファンタジーをつめこもうとして、異世界へ行く前を大幅に削ってなお尺不足におちいっていた。ムック情報によると、脚本としてクレジットされている大河内一楼が現場へ入った時すでにシナリオが何稿も重ねられていて、かなりの難産だったらしい。
作画面ではアニメーター千羽由利子のベストワークのひとつと感じるだけに、映像のすばらしさがもったいなくてしかたなかった。


とりあえず大幅な変更はしないにしても、それでも最近に見返して明らかに削れるキャラクターが目立った。
まず主人公が異世界に行って説明を受ける老人「ラウ導師」は、まったく必要ない。主人公を導く少女の声「オンバさま」が兼任すればいい。原作小説ではたがいに知己があるらしいので、もともと対となるキャラクターであれば、同一人物の異なる面として表現することは難しくない。「黒い宝玉」がらみの「ラウ導師」の言葉にブレがあった問題も解消する。原作では「オンバさま」が少女の姿をしていることに特別な意味があるが、それをアニメ映画では描く余裕がなくて「オンバさま」のキャラクターは変更されていたのだから、別のキャラクターと融合させてもいいはず。
他に、主人公が砂漠で助けてもらったトカゲ族の運送屋キ・キーマと、猫少女ミーナのいたサーカス団も融合できる。キ・キーマが単独で旅をしていたのではなく、大道芸人団をつれて旅をしていたことにすればいい。時間がないのにサーカスを見ようとする主人公という御都合主義な流れがなくなり、助けてもらった集団内のトラブルに巻き込まれるという自然な流れになる。ただ主人公を助けるだけのキ・キーマ、たいしたやりとりもなく主人公へ好意をいだくミーナ、といった尺不足ゆえ目立つ心情の違和感も軽減しやすいはず。


あと、映画の描写であれば「女神」は登場させなくても良かったのではないか、と感じてしまった。女神をめぐる信仰問題などもないし、そもそも最後に動かない立体映像として登場するだけでは、設定説明されたほどの力を持っている存在に見えない。女神の偉大さを描写できていないので、主人公の決断が映えない。主人公は自問自答して決断すれば良かった。
いっそ「オンバさま」を女神のなれのはてとして描けば面白かったかも。原作設定でも唯一神ではないのだから、ああいう堕落をしてもおかしくはないし、もともと女神の暗黒面のようなキャラクターだし。
もっとも、ラウ導師と融合させる先述案と合わせて考えていくと、主人公は全て元女神の誘導で動きながら、最後に元女神を切り捨ててしまうというビターなファンタジーになってしまうか。そういう展開こそ児童文学っぽくて好みではあるが。