法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『幕末太陽傳』

幕末の品川の遊郭に客としてやってきた佐平次がそのまま居つき、右に左に話術を駆使して、その場しのぎの折衝をしては利益をえていく。
国策で大映へ統合されていた日活が戦後に分離独立した三周年記念として、1957年に制作された作品。日活映画百周年記念でデジタル修復された版を視聴。
GYAO!で日活映画特集 - 法華狼の日記
GYAO!の配信終了間際に睡魔と戦いながら見たので全体の印象は寝ぼけているが、結末は印象的だった。


まず現代の品川*1をタイトルバックで描いてから、この映画では現在ではなく幕末の品川を描くとナレーションで説明する。1952年の映画『荒木又右衛門 決闘鍵屋の辻』が同じような導入から現実感と断絶感を演出していたことを思い出させるが、この作品においては当時流行の「太陽族」になぞらえる意図があるのだろう。時代劇のふりをした現代劇ということ。
対立する人間を仲立ちしつつ煽っていき、漁夫の利をかすめとっていく構図は、黒澤明監督の『用心棒』に先行している。「居残り佐平次」を中心に複数の古典落語をくみあわせたらしいのだが、くわしくないので引用の文脈はまったくわからない。ただ、落語好きで知られる藤子・F・不二雄の一作品を思い出したりはした。


終盤、そろそろ限界かなと思って佐平次が逃げ出そうとした時、泰然とした客に呼び止められる。
この客は特に知恵がまわるキャラクターでもないのだが、血気にはやる志士や欲望にまみれた主人と違って過ぎた欲を持たず、それゆえに佐平次はふりまわされてしまう。
遊郭とは一転して沈鬱な墓場を舞台に、コミカルなシーンが展開される。これまで自分がやってきたことを天然でやりかえされ、音をあげた佐平次は墓場から逃げ出す。地獄に落ちるぞと意図せず説教してしまう客に対して、俺はまだまだ生きるんでい!と叫びながら。
明るい音楽を乗せながらも、あたかも太陽族の挫折を予告するかのような、アメリカンニューシネマを思わせる結末だ。しかし川島雄三監督の構想では、墓場から逃げた佐平次はそのままスタジオセットを抜け出て、現代の品川を走り抜けていくオチだったという*2。映画の内と外で挫折した若者たち。この作品を最後に川島監督が日活から離れたのもむべなるかな。

*1:敗戦直後の作品なので、赤線廃止によって歓楽街ではなくなる直前という説明と、撮影された風景そのものが、貴重な歴史の記録となっている。

*2:新世紀エヴァンゲリオン』で庵野秀明監督が模倣しようとしていたそうだが、印象としては庵野監督が『ふしぎの海のナディア』で採用しなかった岡田斗司夫案のエンディングに近い。http://blog.freeex.jp/archives/51325436.html