法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ガールズ&パンツァー』はスポーツアニメとしてダメだと思うということ

エントリタイトルはいいすぎかもしれない。だが、それなりに楽しんで見つつも、最後まで不満が解消されずに終わったというのは本心からの感想だ。


その不満とは、主人公チームがきちんと負けないこと。初期に対外試合で惜敗したくらいで、試合が本格的に始まってからは勝ち続け、展開が単調としか感じられなかった。
特に後半の試合は最悪で、主人公チームが勝利する説得力に欠けていた。後述の負けられない事情を考慮しても、工夫で補える範囲だというのに。
圧倒的な戦力を持つ敵チームがいくつも登場しながら、主人公チームと正面からぶつからない。甘く見た結果として足元をすくわれるというパターンが連続。敵のスペックだけ高くても、映像の演出は面白くて見ばえはしても、強敵と戦って勝ったいうカタルシスが薄かった。
弱小チームが大正義アメリカや大正義ソ連と正面から戦うような無茶な構図にしないため、スポーツとしてなりたつような厳しい制約ももうけるべきだった。当初のまま、5車輌しか試合に参加できないという制約でも充分だった。


それに、主人公が競技にのめりこむきっかけは実利や人間関係でもかまわないのだが、やがて主人公が競技そのものにのめりこむようになれば、きっかけにすぎない利害関係や人間関係は競技結果と切りはなされていくべきだろう。もちろん一般的には、競技を続けることそのものと人間関係は密接なまま、より新しい人間関係に発展していくことが好ましい。
ここでの比較対象は『ラブライブ!』でもいいし、『ちはやふる』でもいいし、『バトルスピリッツ覇王』*1でもいい。大敗したら人生が終わるような戦争アニメと違って、スポーツアニメは何度も負けていい。生活に影響をおよぼすような現実の利害関係と距離がとれるから、第三者として別試合を観戦するだけでもドラマになりうる。
だから、主人公チームは何度だって負けることができるし、そうしていつ負けるかわからないから視聴者は手に汗をにぎることができる。きっかけにすぎない利害関係というメタな根拠から試合結果が予想できるようではつまらない*2
逆にいえば、『ラブライブ!』で途中から廃校問題が棚上げになったりしたことは、主人公たちの競いあう姿を純粋に描くため必要な段取りであったとわかる。
そして、大切な試合で負けることは、それはそれで印象深く面白いドラマとなる。


もちろん、1クールでは何度も主人公チームに挫折させるような余裕はとりにくいだろう。それならば2クールあれば良かったかというと、視聴者ならばごぞんじのとおり。制作が遅れたため本放送では2度の総集編をはさみ、物語が完結する前に最終回をむかえてしまった。本来の最終回は、数ヵ月後に公開する始末。
スポーツアニメの醍醐味に主人公チームの敗北展開がふくまれると仮定するならば、もっと時間と人員に余裕をもった体制でアニメを制作するべきだった。


実のところ、今回に限らず、長期構成のまずさは以前から水島努監督の欠点と感じている。シンエイ動画に所属していたころは、ほぼ各話完結で生活ギャグを描いていたから目立たなかった。
しかし2度の長編映画クレヨンしんちゃん』を監督として手がけた時、ネタを濃密に入れすぎてクライマックスのずっと前にピークがきたり、クライマックスをもりあげるために陰鬱とした展開がつづいて間延びを感じた。
そして各話完結のアクションホラーに見せて全体で大きなしかけをしていたTVアニメ『BLOOD-C』では、伏線のための不自然な描写が序盤から終盤まで延々とつづき、視聴者の脱落をまねきつつ、やすやすと真相に見当がつく結果となってしまった。
水島監督も、原作となる物語がある場合は、薄すぎたり濃すぎたりしないように展開の密度を調節できているとは感じる。逆にいえば、完全オリジナルストーリーの『ガールズ&パンツァー』で欠点が露呈したのは意外ではなかった。

*1:全体の感想はこちら。http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20120902/1346621477

*2:その意味では、利害関係と主人公たちの行為を切断したまま最終回までつきぬけた『TARI TARI』のシリーズ構成は独特で、今も印象に残っている。