法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『星を追う子ども』

地下世界アガルタから来た少年シュンと出会い、すぐに失った少女の明日菜。病で妻を失った過去を持ち、ある組織の現場指導者として現れた森崎。
二人は地下世界アガルタにある、あらゆる願いがかなうという場所を目指し、旅を始める。


新海誠監督の長編アニメ映画で、監督初のジュブナイル作品とされている。ただし、同じく異性を失ったキャラクターとして、主人公にあたる少女の明日菜よりも、中年男性の森崎に強いモチベーションがある。タイトルは『星を追うおっさん』にするべきだったんじゃないか、と冗談半分に思った。その意味では、良くも悪くもいつもどおりに私小説的な新海作品。
物語は、神話類型の黄泉下りがベースにあり、作中でも言及される。そして、『天空の城ラピュタ』からドーラとパズーを削除したような人間関係で進行していく。森崎と明日菜の関係は、それぞれ独立したキャラクターとして成立しつつ、ムスカとシータが人間的な対立をせずにラピュタを目指したらどうなるか、という一種の二次創作としても楽しめた。
一方で異世界の少年シンは面白味が薄く、余剰に感じられた。説明役は途中で出てくる老人と森崎が分担すればいいし、葛藤する役割は明日菜にわりふればいい。
旅路のほとんどを森崎と明日菜の二人で進んでいくのだから、いっそ二人の年齢を縮めて、恋愛に発展しかねない緊張感を描いても面白かったろう。臨時教師の森崎を教育実習生くらい若く、明日菜を高校生くらいに設定して……


人間関係だけでなく、各種デザインにおいても、宮崎駿作品を思わせる部分が多い。もちろん、宮崎作品も先行作品からの引用は多い。しかし、この作品でしか絶対に楽しめないという核にないと、印象が先行作品に負けてしまう。キャラクターと違って、残念ながらビジュアルは独自の魅力を感じるほどではなかった。
作画や美術も新味はない。ただ、新海監督作品らしく手抜きはせず、全体を通して不必要そうな場面まで動き続ける。クリーチャーや銃火器、剣を使ったアクションの分量は娯楽作品として充分。新海監督らしいクッキリした背景美術も、異世界の美しさを描くには良かったと思う*1
他に演出で面白かったのが、オリボ・バービエリの手法を思い出させる撮影表現。新海監督が映画『秒速5センチメートル』でも活用していた画面の周囲をボカす手法を、被写体と視点の距離が近いカットでのみ用いて、あたかもカメラで本当に接写しているかのような印象をもたらした。過去作品と違ってビジュアルが一般的な商業アニメに近くなっただけに、撮影手法の特異性が目立つ。

*1:地上世界と地下世界とで空気感などを変えてほしかった気持ちもあるが。