法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『6.6光秒のマトリクス』

四百字詰め原稿用紙20枚ほどの短編スペースオペラ。ある程度の刺激的な性的描写、政治的に正しくない描写に注意のこと。

 『6.6光秒のマトリクス』


 ほの暗い空間で、湿った吐息が二重奏をかなでる。
 少年はコクピットハッチを見あげ、つぶやいた。
「――なあ、さっき何か音がしなかったか?」
 少年の薄い胸板に細い指をはわせて、少女がほほえんだ。
「気のせいですよ、ヨロリ様。ここにはチクロしかおりません」
「たしかに聞こえたんだ――」
 モニターには何の異常も示されていない。だが、たしかにコツコツという軽い音をヨロリは聞いた。


 数光秒の間隔で格子状にちらばる、長い円柱状の戦闘ポッド。
 宇宙空間においては極めてまれな密度だが、人間にとってはあまりに希薄な隊列。表面は鏡面のような流体装甲におおわれ、宇宙の暗闇に溶けこむ。
 搭乗者はポッド内で何年も孤独に生活し、ポタラ軍との接触を待ち続ける。


 前線につくまでの日々は単調だ。
 変化といえば、一ヵ月に一度ほど、ポタラ軍が散布した単分子マトリクスと亜光速で接触することがあるくらい。
 単分子ワイヤーを縦横上下に編み、分子結合して構成された広大な格子。それが単分子マトリクスだ。一端でもふれると、巻きつくようにポッドの流体装甲を削って食いこむ。
 その衝撃と振動をセンサーが感知し、可聴域の音波へ変換。あたかも船体がきしむような音をかなでて、搭乗者へ警告をもたらす。
「しかしさっきのは、その音とも違うな――」
 超長距離の単分子マトリクス攻撃でポッドが致命的な損傷を受けることは滅多にない。流体装甲の浅い表層で屈折し、すぐ外部へはじき出される。削られた流体装甲は表面張力で自己修復し、減速したポッドはテトラエフエンジンを稼動して巡航速度を回復する。
 ポタラ軍にとっても、敵に甚大な被害を与えることが攻撃の目的ではない。ランダムに単分子マトリクスを散布するのは、敵の流体装甲を蒸発させて戦闘時の撃破確率を上げるためと、敵のランダムな隊列を確率的に誘導して接触時期を制御するためだ。隊列を組んでいるポッドの一つ一つには興味すらいだいていない。
 ヨロリは思う。
 ――太古の昔から同じことだ――
 兵士の生と死は、戦争の指導者にとって、統計的な数字でしかない。


 出撃してから二年がたった。ヨロリ達の前衛と、クマノ本隊の距離は、すでに四光年以上は離れている。
 テトラエフエンジンによる近光速航行は、一分一秒ごとにポッド内部と後方社会を断絶させる。
 たっぷり積まれたムーヴィーやゲームのデータにも飽きてしまった。数だけは多くても、戦闘における心理面へ影響をおよぼさないよう厳しく内容が選定され、同工異曲の作品しか収録されていない。
 もてあました時間を埋めるのは、カチャリカチャリという小さな金属音。二つの部品を複雑にくみあわせたオブジェが、ヨロリの手もとで音をかなでる。
 出撃する直前、小隊長から兵士一人一人に小箱が配られた。それを開けて出てきたのが、ヨロリのいじっているオブジェだ。形状は一人一人で異なり、何に使う道具なのか誰も知らなかった。
 とまどう少年少女に小隊長が教えた。
「古い種類のパズルだ。きっと必要になる」
 治療のかいなく宇宙線で禿げあがった頭皮を光らせながら、歴戦の小隊長は笑っていた。
 手作りの知恵の輪はアナログすぎて、さほど面白いわけではなかったが、いじっている間は暇をつぶすことができた。


 作戦に不要な通信は許されていないし、そもそもその機能はポッドに存在しない。
 ヨロリの話相手となるのは、ただ一人。
 遺伝子的に調整されて作られた人工少女、チクロ。兵士一人一人に合わせた、人造のアニマ。
 チクロは、搭乗者と同年代になるまで急速に成長するよう遺伝子が調整され、思想教育も念入りにほどこされている。高い戦闘技能を知識としてたくわえ、依存的な愛情を兵士にいだく。
 人形のように整った顔は表情をくるくる変え、小さな唇からこぼれる声音は耳に優しく、宇宙をただよう棺桶へ花をそえる。


 ほとんど半裸でコクピットの壁にはりつけられたまま、チクロの時はすぎていく。ポッドの生活空間を圧迫しないために。
 搭乗者を補佐するため手足は残されているが、万が一にも反抗しないよう、いつもは肩と腰を拘束具で固定。喉につないだチューブから流動食を摂取し、脇腹のチューブから排泄する。毛や爪や垢は、皮膚表面に常駐する人為的な細菌叢で分解される。そして除去された分解物は排泄物とともに流動食として再生される。
 早く成長させる遺伝子調整のため、そして戦争が終わった後に社会の障害にならないため、チクロの寿命は八年。
 出撃してから帰還するまでが一度きりの一生。


 チクロが肉体からチューブを外せるのは一週間に一度と決められている。その時は拘束具も外れ、コクピットを動きまわれる。
 もちろん、戦闘に必要なだけの狭い空間でおこなえることは、そう多くない。
 チクロはチューブの接続部を肌の色にあわせた合成樹脂でカバーし、パイロットスーツを脱いだヨロリと抱きあう。つややかな黒髪が乱れ、体液が交換される。生殖能力を持たないパートナーとの、快楽のためだけの純粋な行為。
「愛しています、ヨロリ様」
 細菌叢の分解が追いつかないほど汗を流しながら、肌と肌を溶けあわせるかのようにチクロが密着する。
「――ああ、自分もだよ。愛している」
 そういいながら乱れた頭髪をくしげずってやると、チクロは表情をゆるませ、ヨロリの肉体に吸いついた。
「えへへ」
 どれほど陳腐な台詞でも、すぐに頬を赤く上気させ、兵士へむしゃぶりつく。搭乗者の心身を癒すことで、みずからの自由をえる。それがチクロにとって至高の快楽とされる。
 ポッドの制御部品であり、孤独を癒す相手であり、性欲を発散する装置でもある。チクロはそう作られた存在だ。


 ある日、コクピットハッチを外から叩く音がした。
 センサーを全て確認し、実際に何らかの衝撃がくわわっていることをたしかめる。まるで宇宙怪談だが、超常現象や集団幻覚のたぐいではない。
「――やはり、これは気のせいなんかじゃないぞ」
「そのようですね――」
 チクロがハッチへ顔を向け、なわばりを荒らされた黒猫のように目を細める。
 液体装甲が波打ち、それをセンサーが感知して再現した音がコクピットに響く。その音は、渚によせる波のように断続的で、攻撃というには弱く、敵意が感じられない。
 流体装甲の表層に浮かぶセンサー情報をモニターに映すと、亜光速状態を示す虹だけが暗闇に浮かび、鏡のような流体装甲表面で反射して、万華鏡のようだった。その他には何も見えない。ハッチ近辺の様子は近すぎて撮影できない。それでも、友軍の救援信号が受信できた。
 何が起きているのか確認すべき異常事態だ。
「チクロはすすめかねますが――」
 その忠告を受け流し、ヨロリはハッチを開けるよう指示した。
 二重のハッチが順番に開閉。真空の宇宙空間から、パイロットスーツを着た少年が、コクピットへ転がりこんできた。
 勢いあまって前転しながら、少年がヘルメットを外す。襟足で切りそろえた金髪がこぼれ落ち、深い青の瞳が正面からヨロリを見つめた。
 まるで少女のように幼く、兵士とは思えないほど整った顔立ち。首筋から唇までの醜い傷跡さえなければ、ビスクドールのように見えたかもしれない。
 印象に残る外見だが、ヨロリは見おぼえがなかった。それでも、パイロットスーツにクマノ大隊のエンブレムがあり、友軍であることは確認できた。


 少年はミズノと名乗り、何が起きたのか説明した。
 敵攻撃に由来すると思われる故障がポッドに発生し、修復することもかなわず、あわてて脱出したのだという。
「そりゃ――珍しいな。万が一にも存在しないような確率だ。友軍機にたどりつけたこともふくめて」
 そうヨロリは応じた。しかし無数の戦場に無数のポッドが浮かんでいるのだから、そういうことも確率的にありえるのかもしれないと思い直した。
 ミズノの表情は嘘をいっているようには見えない。
「あの、助けてくれてありがとうございます」
 ミズノは全身で感謝をあらわし、満面の笑みを浮かべてヨロリに抱きついた。
 ふしぎとヨロリは悪い気がしなかった。もしも弟がいればこんな気持ちなのかな、などと思う。
「チクロ以外と話すのは一年ぶりだよ。通信機越しじゃなく、ボディランゲージとなると二年ぶりだ」
 そんなチクロは、ミズノに不審の目を向けていた。
「――ヨロリ様、どう考えてもおかしいです」
 新陳代謝を抑えてミズノを薬物で眠らせた後、チクロはヨロリに仮説を提示した。
 ミズノのパイロットスーツには大量の血痕が付着していた。ミズノは傷を負っていたが、パイロットスーツの血痕と位置が異なる。眠らせる前にたずねたところによると、パートナーの血だという。
「ミズノは本当は人造アニマで、パートナーの少女を殺したのではないでしょうか」
 細い眉をひそめてチクロを見て、ヨロリは笑った。
「ありえないな。まだミズノの説明こそはるかに説得力がある。それに――バートナーが女性ならば、人造アニムスだ」
 パイロットスーツは操縦者の一人一人に合わせて設計されている。ポッドと接続されたまま一生を終える人造アニマはパイロットスーツを持っていない。もちろんパイロットスーツに長期間航行の成長を考慮した余裕は持たせてあるが、性別が異なっても着られるほどではないし、デザインも異なる。そもそもヨロリの部隊に少女兵士は数人しかいなかった。
「まさか、ヤキモチでも焼いているのか、チクロ。たしかにミズノは可愛いが――おまえくらいな」
「――そういうわけではありません」
 一瞬だけ喜びかけて、すぐぶっちょうづらになったチクロを見て、わかりやすい奴だとヨロリは笑った。
 しかし、苦笑いしつつもヨロリも不審をいだいていた。
 本当にポッドに故障など生まれるのだろうか――
 実はポタラ軍の策略ではないのか――
 そうした疑念が脳裏にこびりついてはなれなかった。


 ポッドがきしむような音がひびきわたり、コクピットが大きくゆれた。
「わぶっ」
 排泄のため体を固定していなかったミズノが宙に浮き、ヨロリにおおいかぶさった。
 断続的な単分子マトリクスの攻撃。その頻度が増している。
「――おいおい、そろそろどけよ」
「ご、ごめんなさいっ」
 真っ赤な顔をして、ミズノがあわてて飛びのいた。すぐ背後にあるコクピット壁にぶつかり、反射して再びチクロにおおいかぶさる。
「おい」
 無重量状態の訓練をしていないのかと思いながら、ふいにヨロリは寒気をおぼえ、ふりかえった。壁にはりつけられているチクロがむくれていた。
「何をしてらっしゃるのでしょうか、ヨロリ様?」
「俺は――何ひとつ悪くないぞ」
「そうでしょうとも」
 チクロが鼻を鳴らし、そっぽを向いた。ただの子供とかわりない。
 ポタラ軍と接触する前に自分は死ぬかもしれないとヨロリは思った。
 しかし薄いインナースーツごしに、ミズノの体型を確かめることはできた。中性的ではあるが、たしかに男性の肉体ではあった。脱がせて確認するまでもない。


 性別ははっきりした。
 だからこそ、ヨロリは疑いを深める。
 ミズノはポタラ軍が製造し、宇宙空間へ大量に放出した人造アニムスのフェイクではないだろうか――
 ポッドに搭乗する兵士を幻惑させ、ポッドに接触して破壊する工作。確率的にありえない救援成功も、無数に放出された一人だったからと考えれば説明がつく。パイロットスーツやインナースーツは、クマノ大隊の捕虜や補給部隊から奪ったものと考えられる。
 もちろん大半の兵士は騙されたりしないだろう。コクピットハッチを開けることすらないかもしれない。
 だが人工の存在が宇宙のチリになっても問題はない。ポタラ軍にとっては統計的に有意義な比率で相手を騙せれば充分だ。
 つまりこれも、確率的に期待された戦術――


 一週間後。ヨロリが予想していない動きが起きた。
 時間通りに拘束具が外れた瞬間、チクロがミズノを組みふせ、普通の人間には出せない力でインナースーツを切り裂いたのだ。
「見てください、ヨロリ様」
 息の乱れたチクロが、ミズノの首をねじりあげる。チクロを制止しようとしたヨロリは、目をみはった。
 ミズノの、肋骨の浮きあがった胸から腰にかけて、鋭利な傷跡があった。ポッドのチューブと接続するため痕跡だ。人造アニムスである何よりの証拠。
 もちろん調べればすぐ確認できたが、それだけにヨロリは迷っていた。
「このまま殺しますか? それとも話しますか?」
 会話と拷問の区別がつかない表情で、チクロがたずねた。
「待て、チクロ!」
 顔をしかめて制止しようとしたヨロリは、のばした手を止めた。ミズノの胸もとに視線を向ける。
「――本当に待てよ。おいミズノ、何なんだそれは」
 裂けたインナースーツの胸もとから、金属部品がこぼれ出た。それをヨロリはつかみとる。部品は細いコードでくくられてネックレスにしたてられ、ミズノの首にかけられていた。
 しぶしぶチクロが手を離すと、せきこみながらミズノが答えた。
「僕の――大事な人と――わけあった――ものです――」
 出撃前に配られた知恵の輪の、解けた部品のかたわれ。ポタラ軍が複製を思いつかないほど、そして複製が困難なほど、アナログなパズル。


 ミズノは、僕はパートナーに助けられたのだ――と語った。
 敵の確率的遠隔攻撃で攻撃された時、何万分の一かの確率で、ミズノのポッドは致命的な損傷を受けた。脱出するための装置は一人分だけ。ミズノのパートナーは、自分が生きるよりも、ミズノに少しでも長く生きてもらうことを選択した。
「わざわざミズノを助けたということは、パートナーは重傷でも負っていたのか?」
「――いいえ」
「きっと、長い宇宙の遠征で、とち狂ったんだろうな。けっこうよくあることだそうだ」
 ちらりとチクロを見る。人造アニマは、その愛情も植えつけられたものでしかない。あてがわれた兵士にとって愛を返す義理はない。さすがにチクロの前でそれを口にすることはなかったが。
 肯定も否定もせずに押し黙ったミズノを、ヨロリは頭から爪先までながめた。
 同性愛者の兵士に合わせて作られた、同性の人造アニマ。
 たしかに人形のように美しくはある。
 しかし、自分の命を捨ててまで助ける価値があるとは、どうしてもヨロリには思えなかった。


 半年後、ミズノは静かに生命活動を停止した。もともとポッドから切り離されて長く生きられる体ではなかった。
 出撃前の仲間の顔をヨロリは一人一人思い出し、誰がミズノのパートナーだったのだろうか――と思った。誰がパートナーだったのか、ミズノは最期まで秘密にしていた。
 ミズノの死体を細菌叢で分解して、パイロットスーツやネックレスをポッド外へ廃棄して隠滅し、ヨロリとチクロの退屈な日常が戻った。
 以前と違うのは、ヨロリがチクロを抱かなくなったこと。
「――なぜですか?」
 どれほどチクロが懇願しても、ヨロリは何も応じなかった。黙ったまま、解けない知恵の輪をいじりつづけた。
 じきにチクロは意味のある言葉を発することをやめた。チューブを通して、精神安定のための薬物がチクロへ常時投与される。
 こうなることは、あらかじめ聞かされていた。すべて予定通りの作戦行動だ。前線が近くなり、旅の終局にあわせて、チクロは完全にポッドの部品と化した。
 よだれをたらすチクロの、口もとをぬぐってやる。返ってくる赤ん坊のような笑顔からヨロリは目をそらした。
「世話する立場が正反対になってしまったな――」
 そう口にして、考えなおす。
 戦闘単位を構成する部品として、チクロとヨロリに何か違いがあるのだろうか。
 もし違うとすれば、それはどこだ。誰にとってだ。
 どれほど考えても答えは出なかった。ヨロリ自身も、答えが見つけられるとは期待していなかった。
 やがてヨロリは知恵の輪いじりを再開した。解けることのない問題を忘れるために。


 ある日、ポタラ軍の超長距離攻撃がポッドを襲った。
 いつもより高密度で、いつになく敵意に満ちた攻撃。雨雲のように濃密な散布界へヨロリは突入していた。
 こずえに張られた蜘蛛の巣のように、単分子マトリクスが流体装甲へ次々とからみつき、表層を削って蒸発させる。
 ポタラ軍の前衛部隊と接触したのだ。
 ヨロリはテトラエフエンジンを起動し、亜光速のポッドを立体的に制御しつつ、ポッド格納庫の単分子マトリクスを放出する。高速で射出する必要はない。敵との相対速度によって、ただ放出するだけで亜光速の攻撃となって敵に襲いかかるはずだ。
 ポタラ軍の散布界から逃れるため、ヨロリは加速重力で操縦席に肉体を沈ませた。


 しばらくしてポッドの加速を止め、コクピット内を無重量状態に戻す。
 ふいに、小さな金属音が頭上で鳴った。
 ヨロリが見あげると、二つに解けた知恵の輪が、コクピットをただよっていた。
 二つの部品は、内壁へぶつかるたびに小さな二重奏をかなでる。
 それを見ながら考える。
 ――このポッドが致命的な損傷を受けた時、自分もチクロを助けることを選んでしまうのだろうか――
 答えが出ないまま、解けたパズルは宙をただよいつづけた。