法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

それは自己欺瞞ではないか

文脈非依存で判断と主張しながら、文脈に基づいて判断する謎 - 法華狼の日記に対して、[twitter:@Kelangdbn]氏から応答があった。ざっと見た限り、指摘したことが伝わっていない様子。
「フィフィ vs. 金明秀」騒動をレビューする ~ 「あなたのお子さんが…」発言を巡って - Togetter
前後するが、まず反論に対して場を開いているかどうかという話題にまとめて返答する。

反論する方法を簡単な順番にならべていくと……エントリのコメント欄に書き込む。連続ツイートしてTogetterにまとめる。反論用の新しいTogetterをまとめる。ブログサービスを借りる……といったところか。Kelangdbn氏は二番目の方法を選んだ様子。もちろん反論が面倒であれば無視してもいい。訂正をうながす機会を放棄することと同義ではあるが。

Kelangdbn氏の考えによると*1ツイッターで公開した主張に対してブログで批判してはいけないらしい。ちょっと珍しい意見だ。ちなみに私はツイッターのアカウントを持っていない。

私が前回エントリでKelangdbn氏を批判した部分は、基本的に全て子供の話題だ。
「ニュースの社会科学的な裏側」への批判ではそれ以外の話題にも言及したが、あくまで「参考サイト」として冒頭に置けるような質のエントリではないと指摘するためだ。文脈非依存でアウトと評価できるか否かという話とは独立している。

なるほど、必ずしも肯定しない意見でも、参考資料として言及することはある。しかしKelangdbn氏は「ニュースの社会科学的な裏側」のエントリを二つ「参考サイト」として示しているが、Togetter内で言及されているのは4月25日のエントリ一つだけ。

また、上記のように「やはりここで指摘済みでした」と肯定的に評価している以上、「ニュースの社会科学的な裏側」が示したのと同じ文脈に依存して主張しているとみなさざるをえない。
一方、Togetterにまとめられているツイートでは、Fumiaki_Taka氏のエントリも言及されている。それなのに「参考サイト」に並べられていない。このことは前回エントリの注記でも指摘した。
ただ「議論内で登場したURL」を「まとめ導入部に載せた」のではなくて、意識的にKelangdbn氏が選んで掲載していると指摘せざるをえない。

「文脈を抜きにすることで金教授が誤ったという意見がある」という文章に対して、かかりうけがわかりにくいという意味で「滑ってる」というならば、Kelangdbn氏の批判は理解できる。
一方で、参考サイトとして示されたサイトを批判することを滑っているという意見は、よくわからない。Kelangdbn氏が誤っているかどうかとは別個に、Togetterに登場する意見を批判することはできる。


ついでに、Togetterにまとめられている[twitter:@pig_1981]氏のツイートにも反論しておく。

必然性がないことと問題があることは同一ではない。必然性がなくても問題がないフレーズだとKelangdbn氏を批判することはできる。くわえて私は前回エントリの冒頭で、フィフィ氏自身が自身の子供を持ち出して論点にしていたと示し、言及する必然性があることを指摘した。
さらにいえば、必然性があると示すことは、たいてい文脈を示すことと同義だと思うのだが。


ところで、念のためにKelangdbn氏のツイッターを見てみると、Togetterにまとめていないツイートを見つけたのだが。

このようなツイートは、文脈非依存でアウトだと思わないのだろうか。

*1:「反論エントリ」という表現と「反論が一方的に言いたい放題」という表現から、私が一方的に言いたい放題していると解釈すべきだろう。ただし、相手に通知できない状態でKelangdbn氏が一方的に言いたい放題しているから自分の説得力が落ちる、という解釈も一応できなくもないか。