法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

日本軍慰安所の従業員日記が発見された報道について

毎日新聞によって8月初頭に報じられた。これまでにも利用したり管理していた軍関係者の証言や手記はいくつも発見されているが、従業員個人の日記が見つかったのは初だという。
http://mainichi.jp/select/news/20130807k0000m040125000c.html

 朝鮮近代経済史が専門で、慰安婦問題にも詳しい安秉直(アンビョンジク)ソウル大名誉教授が見つけた。約10年前にソウル近郊の博物館が古書店で日記などの資料を入手。これを安名誉教授が最近精査し分かった。堀和生京大教授と木村幹神戸大教授が、日本語訳の作成を進めている。

 安名誉教授は「米軍の記録が第4次慰安団を指すのは確実だ。慰安団の存在は、組織的な戦時動員の一環として慰安婦が集められたことを示している」と指摘する。ただ、安名誉教授は、韓国で一般的な「軍や警察による強制連行があった」という意見に対しては、「朝鮮では募集を業者が行い、軍が強制連行する必要は基本的になかったはずだ」との見方を示した。

日記内容を詳細に伝える記事もある。
http://mainichi.jp/select/news/20130807ddm007040157000c.html
個人的に、慰安婦が妊娠した事例が印象に残った。妊娠や出産したという証言が存在しないことを根拠に、従軍慰安婦問題を否認する主張を見たことがあるからだ*1
http://mainichi.jp/select/news/20130807ddm007040157000c5.html

 7月16日 村山氏の慰安所慰安婦だった○子は妊娠7カ月で、胎動異常があり、今日、鈴木病院に入院したが流産だった。

 7月17日 昨日、鈴木病院に入院した○子は流産後の経過が良好で、今日、車で帰ってきた。

 9月 5日 <倶楽部の稼業婦、許○祥(○江)は妊娠中だったのだが、中央病院に今夜入院し、23時半ごろ男児を無事に出産した。>


この日記は、これまでの歴史学における見解を補強する資料と考えていいだろう。
1991年に元慰安婦が実名で証言して以降、さまざまな地域から複数の証言が集まり、地域や時期における傾向が明らかにされた。そして朝鮮半島における募集は、主として甘言のような詐欺的手段でおこなわれたと考えられるようになった。たとえば1995年の吉見義明『従軍慰安婦』において各地域の徴集形態を論じた章で、下記のように明記されている*2

 朝鮮からの徴集でもっとも多いのは、だまされて連れて行かれたケースだった。

こうした見解は歴史学者だけでなく、日韓両国の政府で共有されている*3
慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話

慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。

http://www.hermuseum.go.kr/jpn/sub01/sub010102.asp?s_top=1&s_left=1&s_deps=2

朝鮮総督府 7)のような官庁が直接介入して「官斡旋」をしたり、民間業者を雇い彼らに慰安所で働かせる女性を募集させ、連行するように指示することもあった。

業者たちは、募集者を利用したり、自ら直接女性たちに近づき、就職口を斡旋するとか、 お金を稼ぐことができるよい方法があるなどとだまして女性たちを集めた。連行当時、被害者たちの年齢は大抵10代だった。日本軍慰安婦被害者の大半がこうしたことを言われてだまされたと証言しているほど、貧しい家庭の出身が多かった。

この従業員日記もまた、前借金などの手段で慰安婦が拘束されていたことや、軍によって慰安所が管理されていたことをうかがわせる記述がある。
http://mainichi.jp/select/news/20130807k0000m040125000c2.html

 また、日記には「航空隊所属の慰安所2カ所が兵站(へいたん)管理に委譲された」(43年7月19日)、「夫婦生活をするために(慰安所を)出た春代、弘子は、兵站の命令で再び慰安婦として金泉館に戻ることになったという」(同29日)などと、慰安所慰安婦と軍の関係が記されている。


しかし従業員日記を、あたかも慰安所制度に問題がなかった証拠として受けとめる向きがあった。あいかわらず連行時の強制のみにこだわったり、奴隷に休息や給金が与えられることはないという固定観念にもとづいての反応だった。
それどころか、韓国の報道では日本に責任を問える証拠と発見者が日記を評価していたことに対し、日本の報道と評価が違うという主張まである。
安秉直 - Wikipedia

2013年8月7日の朝鮮日報では、「従軍慰安婦は、徴用・徴兵・勤労挺身隊と同じく、戦争の本格化により日本が戦時動員体制の一つとして国家的レベルで強行したこと。しかも慰安婦は、募集時に自分たちがやることをきちんと説明されず、人身売買に近い手法が利用されたという点で『広義の強制動員』と見ても差し支えない」と言っている。


しかし同日の毎日新聞には、『ただ、安名誉教授は、韓国で一般的な「軍や警察による強制連行があった」という意見に対しては、「朝鮮では募集を業者が行い、軍が強制連行する必要は基本的になかったはずだ」との見方を示した』とあり、日本向けと韓国向けで分けている。 これは韓国国内での激しい言論弾圧により、『広義の強制動員』という曖昧な表現を取ったのではという声がある。

Wikipediaの編集者は、毎日新聞記事をきちんと読んでいないのだろうか。冒頭で引用したように、毎日新聞でも安教授は「慰安団の存在は、組織的な戦時動員の一環として慰安婦が集められたことを示している」と先に明言している。
BLOGOSに転載された「ニュースの社会科学的な裏側」のエントリも同様だ。
http://blogos.com/article/67823/*4

安名誉教授は、韓国で一般的な「軍や警察による強制連行があった」という意見に対しては、「朝鮮では募集を業者が行い、軍が強制連行する必要は基本的になかったはずだ」との見方を示した。(毎日jp

安秉直名誉教授は「従軍慰安婦は、徴用・徴兵・勤労挺身(ていしん)隊と同じく、戦争の本格化により日本が戦時動員体制の一つとして国家的レベルで強行したこと。しかも慰安婦は、募集時に自分たちがやることをきちんと説明されず、人身売買に近い手法が利用されたという点で『広義の強制動員』と見ても差し支えない」と語った。(朝鮮日報

なお印象は随分と違うのだが、発言としては矛盾が無い。日本軍が間接的にしろ関与していたこと、業者が募集で慰安婦を集めていたこと、募集時に十分な説明が行われなかったことを説明したのであろう。

このエントリを書いているid:uncorrelated氏もまた、毎日新聞から引用した時に「ただ、」という留保と示す表現を隠している。毎日新聞記事も全体を読めば、日本軍が間接的な関与にとどまっていたという印象は受けない。
しかも、資料発見にかかわった研究者のくわしい見解が、毎日新聞の別記事にまとめてある。そこに安教授の見解も書かれている。
http://mainichi.jp/select/news/20130807ddm007040182000c.html

 −−日記から分かることは何ですか?

 ◆慰安婦703人の「第4次慰安団」が組織されていたことだ。慰安婦募集が、日本政府の政策に基づく戦時動員の一環だったことを示している。「広義の強制」だといえる。

 −−強制連行?

 ◆「狭義の強制」と言われる、拉致のようなものはなかっただろう。業者をサポートする行政組織がしっかりしている朝鮮では強制連行の必要はないし、強制連行は(社会的な騒ぎを起こして)コストが高くなる。ただ、業者による乱暴な行為はあったはずだし、軍服のような服を着た業者が「軍人」と誤解された可能性はある。

 −−どんな女性たちだったのでしょう?

 ◆米軍調書によると、大部分は教育のない貧しい女性で、売春経験者は一部だけだ。親に売られた人身売買も多かっただろう。

 −−戦場での位置づけは?

http://mainichi.jp/select/news/20130807ddm007040182000c2.html

 ◆ビルマのような最前線では、前借り金を返済しても簡単に廃業できなかった。所属部隊の管理を受けており、旧日本軍の編成の末端に位置づけられていた。「性的奴隷状態」にあったと言える。

 −−慰安婦問題に取り組んだ契機は?

 ◆1990年代初め、慰安婦支援団体が実施する調査活動などを手伝った。だが、「強制連行」と最初から決めつけて証言集めをするような形だったので、運動からは手を引いた。

このように慰安所における拘束を重視し、はっきり奴隷状態だったと指摘している。
安教授は、かつて従軍慰安婦問題の運動にかかわりつつ、意見の違いからたもとをわかったことがある。そのため、あたかも日本軍を擁護してくれる論者と期待する向きがあった。しかし今回の報道で、慰安所制度に問題があり、その責任を日本が負っているという安教授の考えが明らかにされた。

*1:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20111221/1324477728のコメント欄における(2011/12/22 09:57)以降のコメント。もちろん私も(2011/12/23 06:00)時点で回答しているように、慰安婦が妊娠したことを示す証言は以前から複数ある。

*2:92頁。

*3:軍や官憲が直接的に連行したと疑われる証言も存在しており、それについては見解がわかれている。たとえば吉見義明『従軍慰安婦』では、軍服の日本人に強制連行されたという文玉珠証言に対して、断定できないが民間人の可能性が高いのではないかと評している。98頁。

*4:朝鮮日報のリンクは現在切れているが、URLを記録する意図で原文ママとした。