法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『聯合艦隊司令長官 山本五十六 ―太平洋戦争70年目の真実―』

日中戦争が泥沼化した時期から、その出口を求めて対米開戦し、やはり泥沼化して敗戦するまでを描く。
半藤一利監修による2011年の映画作品。小滝祥平プロデューサーが主導し、成島出監督*1は企画後に仕事を請けた。日曜洋画劇場で放映された録画を視聴した。


映像は、よくできたTV特別番組という印象が強い。演技や撮影はもうしぶんないが、大作映画として売っているわりに、室内劇がほとんどをしめる。山本五十六も、作戦を立てる場面より、水饅頭や茶漬けをすする食事場面や、報告を聞き流しながら将棋を指す様子ばかりが印象に残る。
特撮も、佛田洋特撮監督による仕事は近年の戦争邦画で最高といっていい質だが、いかんせん量が少ない。オープンセットで撮影したミニチュアの質感は良く、3DCGを多用した航空戦もまずまずで、航行する艦隊*2も『坂の上の雲』にひけをとらないのだが。
そもそも多くの戦闘場面が、あくまで遠い場所の出来事として終わる。戦術的に勝利した数少ない事例の真珠湾攻撃からして、爆撃は遠景で見せるだけで、戦略目的を達成できなかったことも同時に判明する。ミッドウェー海戦でも、日本の空母が撃沈される場面はミニチュアを使ってしっかり描写する一方、米軍へ特攻する様子は高空からの俯瞰で見せるだけ。


ただし映画内容から考えれば、戦闘描写に爽快感がないのは当然だ。単に反戦映画だからというわけではない。
この映画は、もちろん山本五十六を美化しているわけだが、それだけでは終わらない。数少ない正しい判断を行えた、大きな器の人物であるとは描いているのだが、その言動は明らかに裏目に出続ける。様々な妨害や、南雲の臆病さ、日本の国力も原因だが、何よりも山本と現場に距離があったことが致命的な問題として描かれる。
太平洋戦争の経過を記憶している視聴者としては、山本は知将というより、失敗の前フリ台詞を連発する道化師という印象が残った。真珠湾攻撃の前に開戦通告を行うよう何度も確認する描写など、ほとんどダチョウ倶楽部だ。


そこで公式サイトを見ると、やはり制作者は自覚的に山本五十六を美化していたらしい。現在は確認できなくなっているので、以下の話は記憶発言になるが。
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まず、史実の山本五十六を紹介するページでは、山本が広い交友を好まなかったため、連合艦隊内部の連携をはかれなかったと批判されている。そう思って映画を見返すと、たしかに南雲中将の保身だけが作戦失敗の原因ではない。真珠湾攻撃で戦略的に失敗した後の山本は、現実の戦争から興味をなくして将棋を指してばかりで、対話や説得をあきらめているように見えてくる。
また、「撮影日誌」ではプロデューサーに対して、物語にするため嘘が入るのは当然だと、監修を担当した半藤一利がコメントしていた。その半藤は、監修者を紹介するページのコメントでも、山本贔屓がすぎては歴史研究などできないと批判されたと語りつつ、好きなことは止められないと自嘲していた。
半藤は旧来の海軍善玉論と距離をとっていたので、旧来の描写にそった映画内容を見て、監修は名前貸しかとも思ったが、なるほど自覚的であったのだ。


そもそも映画の実質的な主人公は架空の新聞記者であり、その真藤利一という名前は監修した半藤一利をもじったものだ。山本が美化されている描写は、真藤記者の主観によるところが大きい。
この映画が真藤記者の主観で語られていることは、ナレーションのようなモノローグからもわかる。中国を「シナ」と呼んだり、太平洋戦争を「大東亜戦争」と呼称したり、あくまで戦中から敗戦直後を生きた人間の視点で描いている。現代の知識で当時を語る場面は、かなり慎重に避けられている。
つまり、この作品の主張は最初からカギカッコつきであり、観客は素直に受け入れてはならない。ここまで意識的にボケているならば、「半藤おじいちゃん、いいかげん山本長官は飽きるほど美化されてきたでしょ」とツッコミを入れてあげるのが優しさだろう。

*1:ミッドナイトイーグル』や『八日目の蝉』を監督。

*2:佛田特撮監督によると、『男たちの大和/YAMATO』で大和一隻だけが画面に映ってばかりで、他の軍艦を見せられなかったことを悔やんでおり、そのリベンジだという。