法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『太平洋戦争80年・特集ドラマ「倫敦ノ山本五十六」』

太平洋戦争より前、艦船の保有率が、米英日で十対十対七と決められた軍縮条約。それに不満をもつ海軍は、日本に不利な軍縮がつづかないよう、頑迷な山本五十六を予備交渉の場に送りこむ。しかし山本は国力に見あった軍縮は必要と考え、駐英大使と協力する腹づもりだった……


2021年12月30日に初放映されたNHKの特別ドラマ。同年に発見された資料にもとづき、米英日の軍縮条約を限界まで維持しようと奮闘した山本を描く。
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絵としての見せ場は、全体として俳優の緊張感あるやりとりにある。年齢相応の表情とかっぷくになった香取慎吾に意外なほど山本五十六らしさがあり、クローズアップされるけわしい表情も見ごたえが出てきている。駐英大使を演じる國村隼などの、わきをかためるベテラン俳優にも存在感が負けていない。
VFX描写は冒頭で廃墟になった戦後日本や、結末で艦上の山本の頭上を艦載機が飛んでいく場面など。他に当時のロンドン全景など短いカットをマットペイントで処理していたくらい。帰国した山本をむかえる場面は、韓国映画でよく見るオープンセットをつかっているようだ。


史実の山本はきびしい軍縮には反発もしていたようだが、それは序盤の堀悌吉との論争でにおわせている。
信念を持った反戦軍人として堀を配置し、あくまで山本は米国には勝てないという動機から軍縮をつづけたいだけ。もちろん日本がもてる軍事力の比率は低くても、より豊かな国を制約できる利点もあった。しかし膨張主義の海軍全体は軍縮条約そのものを破棄したいと考えており、交渉を打ち切らせようとしていた……というのが全体の構図。
もちろん、たとえ海軍の主流派が自制を選んだとしても、中国大陸で現地軍が暴走と膨張をつづけていた以上、英米との衝突はさけられなかったはずだ。その視点はこのドラマから排除されている。
しかしそれでも寓話としては完成されている。これは堀のような心底からの信念を描いたドラマではなく、交渉の一環として信念をよそおった山本の挫折を描くドラマだ。妥協して目的を達成しようとした現実主義者が、膨張をつづける軍事力になすすべもなく利用された悲劇だ。
留学経験があって英語を話せるのに通訳をあえてつかって、交渉時に考えをめぐらす余裕をつくる。日本海軍として日本の不利な比率は改善することを主張しつづけるが、相手が提示した妥協案の意味について内々で議論をする。そして相手も飲めるだろう具体的な妥協案を完成させる*1。しかし交渉がまとまることを嫌った本国に止められ、山本は何も提示できずに交渉は終わることとなった……
英米に対して一歩も引かない強気な姿勢のまま交渉が打ち切られたかたちになったため、帰国した山本は英雄視され、その流れで連合艦隊司令長官にまでのぼりつめる。交渉時に欲していた権力を、交渉失敗の結果として入手した皮肉。何もかも手遅れなことは、冒頭の廃墟になった日本の風景で明らかにされている。


自陣が不利に見えても軍事力を制約しあう意味、妥協する現実主義者にはそれゆえの限界もあること、そうした挫折の資料を残しておく意義……どれも普遍的に通用する教訓だ。それでいて説教くさくもなく、一時間超のドラマとして過不足なくまとまっていた。
ただひとつ注文をつけるなら、軍縮条約という枷をはずした米国について、日本と戦争するさなかに週刊空母と呼ばれるくらい素早く圧倒的な質と量で軍艦を増産した顛末を紹介すると、より皮肉がきわだったかな。

*1:この交渉の場でつかわれなかった妥協案が、問題の新発見資料。