法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

イベント参加の記憶

一般論として、そのイベントが参加者の互助的な性質を持つものであれば、誰にとっても参加障壁が下がるように動くことが理想だとは思う。
私が過去に参加したイベントは地域交流や人権啓発を謳ったものが多いこともあってか、障碍者団体のブースを良く見かけたし、気に入った商品を購入したこともある。その時に、「空気」のような言語化されていない規範、それも「常識」に基づいて行動すると、その意識の外にある存在に対処できない。たとえば車椅子が移動する時の空間の大きさなどが意識から抜け落ちる。この時の無理解は、参加障壁を生むだけでない。障壁を下げる努力や工夫が、背景が理解できないと「迷惑」と感じかねない。参加者相互で作り上げるイベントならば、常に予想外の出来事を包摂できるよう意識し、動くことが理想なのではないか、とも感じる。
また、イベントというものが日常から離れた祝祭である以上、異物を排除するという選択は、イベントが社会から排除される論理を追認しかねない。社会運動において、ある種の妥協が、運動内部の衝突と断絶を生むこととも類似している。


なお、過去にも書いたことだが、私もイベントに参加した時はうまくいかないことが多くて*1、あまり他人へ説得力ある意見を出せる立場ではない。枕に顔をうずめて何もなかったことにしたいことが山ほどある*2
また、予想外の出来事に直面した個人だけが責任を負うような方向性も、あまり望ましくないだろう*3

*1:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20101018/1287437879

*2:思春期か。

*3:数年前、図書館をホームレスが利用する時に女性優先席をもって隠微に排除しようとする政策が批判され、私も比較的に批判派だった。しかし同時に、現場の図書館員にのみ負担がかかることが正しいとも思えなかった。