法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『イヴの時間 劇場版』

アンドロイドが身近な存在として普及した近未来。アンドロイドはロボット三原則に制約されるだけでなく、アンドロイドという立場を示す「リング」を頭上に投影するよう義務づけられている。
アンドロイドの無機質な言動を当たり前と考えていた主人公は、自分のアンドロイドが命令していない場所に立ち寄っていることに気づく。その喫茶店イヴの時間」では、人間とアンドロイドを区別せず接しなければならない。その空間で、様々なアンドロイドが生き生きとした「人間」らしい素顔を見せていた。


インターネットで公開されたオムニバスアニメを再編集し、新規映像を一部に加えて映画化した作品。
もともと少数精鋭で制作していたことで作画のばらつきが少なく、再編集映画にありがちな不統一感がない。家と学校と喫茶店を往復するような舞台の狭さも、ただ繋げただけで一つの物語としてまとまることに寄与した。
物語はロボット三原則と、喫茶店の中でのみ人間との区別がつかないアンドロイドという設定から、さまざまな人間とアンドロイドの関係を描いていく。最初のエピソードこそ予想される誤解が描かれるだけだが、次のエピソードから一気に関係や誤解が複雑さを増していく。一つの設定から独自の世界観を展開していくSFらしい満足感があった。


人間そっくりなアンドロイドが差別化されている設定は、差別問題の比喩表現として見ることもできる。実際、アンドロイドを敵視する組織の存在が物語の背景にあり、アンドロイドと親和的になっていくドラマへ緊張感を保たせる。多くの関係が異性であったり、養育関係であったりして、それぞれの立場を超えた恋愛や家族愛の物語として楽しめた。
しかし、理想的な人間としてアンドロイドが描かれる物語は、どちらかといえば虚構と現実の関係性を描いているとも感じた。実際、作中にアンドロイドとの関係に耽溺する「ドリ系」と呼ばれる人々が、オタクに対するような蔑視感情を向けられている。
主人公達がアンドロイドを対等な存在とみなしていく物語は、差別の解消と他者との対話を描くと同時に、虚構を価値あるものとして肯定したのか。いや、むしろ人は虚構を通して他者を知る、といっていいかもしれない。
茶店で起きたドラマを通して、アンドロイドを作った「父親」の姿が、映画の結末に立ちあらわれる。人は他者の心を直接に知ることはできないが、残された物を通して心にふれられる。この物語は、作品と主題の二重の意味で、虚構で現実を描いたのだ。