法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『黒い太陽・南京』

良くも悪くも名前だけ有名なドキュメンタリー映画。なぜかGYAO!で配信していたので視聴した。15歳以上指定だが、ユーザーレビューに安易な南京事件否定論者がはびこっている状況に暗澹となる。
http://gyao.yahoo.co.jp/p/00785/v08351/
もっとも、映画そのものの出来は良いとはいいにくい。GYAO!の映像情報によると1995年の香港映画ということだが、映像の古さはいかんともしがたい。当時のハリウッド映画はもちろん、邦画にすら負けている。
スプラッターやレイプシーンが多いが、それらの特殊撮影も粗く、リアリティはない。あくまで香港映画という言葉からイメージされるような、好事家向けの大味モンド映画といったところ。


むろんドキュメンタリーとしては、疑問点が多々ある。
たとえば日本語字幕の問題かもしれないが、南京侵攻が日本全体の意図であったかのような冒頭の説明は、現地軍の暴走と本土の追認といった背景を省略しすぎだろう。
百人斬り描写を受けるようにして、日本軍将校と日本刀の思想を議論する和服の男も謎だ。「村正」と「正宗」の伝説を引いて、無駄な殺生を好まない逸話が残る後者を男は評価し、対する将校は武器として妖刀村正を賞賛する。日本刀という文化を全否定しない描写としても史実性に欠けるし、そもそも和服の男が何者なのかがよくわからない。
安全区で活躍するジョン・ラーベにいたっては、恰幅が良く髭の長い男で、知られている写真の姿と違いすぎる。ハーケンクロイツの腕章で日本兵と対峙する描写は演出意図こそわかるが*1、対する日本兵がドイツもユダヤ人に同じことをしていると捨て台詞をはくにいたっては、当時の末端日本兵の認識としていかがなものか。劇映画的な演出とわかるが、制作者が当時の人々について深く考えていないことがうかがえる。
一方で、百人斬り描写が捕虜のすえもの斬りで、邪魔にならないよう襟を押し込んでいる描写など、やたら細かい部分もある。数々の事件や日本軍人の発言も、一応は証言を再現しただろう場面も多い。南京に到着した松井石根大将が部下を叱責しつつ、それは部下を反発させて軍人としての質を見定めるためだったという真意も、現代から見て真実味はあるし劇映画としても面白い。しかし、しっかりした枠組みを作らないまま雑多に情報を並べただけでは、ところどころが史実にそっていても、リアリティは感じられない。


さて、モンド映画という観点で見ると、それなりに楽しめたりもする。刺激の多い場面が続いて、見ていて飽きるということはない。良くも悪くも予算をかけた香港映画らしさはある。望まず日本軍に協力することになった父子の顛末や、後半で内地からの手紙に喜ぶ日本兵達など、底辺のドラマには独特のモンド映画らしいリアリティがあった*2
様々な残虐な場面が資料写真に切りかわる演出は、古い手法ながら効果的。後半で、揚子江岸に並んだ無数の遺体がガソリンで燃やされる場面も、あまりの壮大さに感動に近い衝動をおぼえたほどで、一見の価値はある。
結末で、ミサの賛美歌を背景として、鎮魂する中国人と祝賀会をひらく日本軍が交互に描かれ、夜の道を幼い少年が歩み去る。このモンタージュ演出にいたっては、文芸性すら感じた。


また、映画制作者の歴史感覚が表れている資料としても、面白味があった。特に、宗教をめぐる描写が興味深い*3
全体としては、同じ仏教徒として日本人をとらえており、それに基づく楽観論が序盤でとなえられたりする。映画本編も寺院から導入するし、中盤では僧侶達の静かに虐殺されていく姿が印象的に描かれる。
イスラム教徒は信念を持った存在として描かれ、日本兵に脅されてもゆるがず淡々と葬送する。異文化の存在としてとらえているのだろう。濃霧の中を影のように進む姿は、過激な描写の多い映画において、良い映像的なアクセントにもなっていた。
そして、最終的に映画は南京大虐殺が受難劇であるかのように描いた。それは先述した結末のミサに表れている。中盤で殺される僧侶達の姿も、仏教というよりはキリスト教の印象に近い。

*1:実際、ラーベは安全区でハーケンクロイツ旗を活用していた。

*2:逆にいうと、階級の高い将校の会議などは、並べた椅子に座って延々と会話するという単調な演出で、見ていて飽きるが。

*3:ちなみに、国家神道は全くといっていいほど存在感がない。天皇すら、台詞で「陛下」への言及が一度あるくらい。