法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

ビンラディンと排外主義

日経ビジネスオンラインに、ビンラディンイスラム世界でえていた立場について、池内恵准教授から聞き取った記事が掲載されていた。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20110510/219890/

 つまり、既存の体制には反抗的だが、実は保守的で伝統的規範に過剰に適応している側面も併せ持つ。筋道立って表現できないが、言っていること一つひとつは、結構、納得がいくこともある。社会的な地位は低いが、大金持ちでカッコいい。

 つい手が出てしまって、様々なトラブルを起こすこともあるが、心は純真である、という評判も立ち、教育のない若者が心酔する対象としてはちょうどいい。ちょっと目立ったことを言ったりやったりすると、無責任な世間やメディアから称賛される。そんな存在だったのである。決して、本筋の政治指導者、宗教指導者として見られていたわけではない。

不満を持っている若者の気分を集めていくところまでは新左翼や既存の社会運動と類似しているが、生活保守の側面を持っていたところが独特だったらしい。

 もう少し具体的に分析すると、まず、ビンラディン容疑者が掲げる「反米」には深い思想性が乏しい。イスラム指導者が掲げるジハード(聖戦)論を用いて、「異教徒=米国とユダヤ」、といった単純な図式にして呼びかけたところ、中東の一般市民や、世界全体の反米意識を持つ人が勝手に共感してしまった。

思想的な裏づけがない反米ゆえ、逆に共感を集めやすかったようだ。
ビンラディン自身の生い立ちも不遇で、富豪であっても社会への不満を持つ立場だったことが説明されている。

ビンラディン容疑者自身の生い立ちはかなり複雑だ。父親は無数の妻を次から次へと迎え、地位の低い妻は資産を与えられて離婚されていく。ビンラディン容疑者が生まれてすぐ、シリア出身の母親は離婚され、別のイエメン系とみられる男性と再婚した。

 しかし、この継父もビンラディン容疑者が幼いころに亡くなった。その後も大富豪のビンラディン家の末端の一員として、大金を与えられて過ごし、欧米の華やかな暮らしにも触れた。経済的には不自由なく育ったビンラディン容疑者だが、サウジという国の中で自分の居場所が欲しい、認められたい、という思いを抱いていたのではないか。

そして同時多発テロの成功で人気が高まりながら、その反動で立場を悪くしていった経過も説明される。

 ビンラディン容疑者の人気がピークに達したのは、2001年の米同時多発テロ「9・11」の頃だ。言い換えれば、米国の象徴だった世界貿易センタービルが倒壊した時に、多くのアラブ諸国の人々が、ある種の「カタルシス」を感じた。市民感情としてあった反米意識は、ここでガス抜きされた。

 同時に、9・11は3000人近くの市民を一挙に殺害した歴然とした犯罪だから、アラブ諸国の人々はどんな非難を受けて、報復を受けるかと怖れおののいた。米軍のアフガニスタンへの攻撃に対しては不当だと非難しつつ、「アラブ人に責任はない」「9・11はそもそもユダヤの陰謀だ」といった説が、アラブ諸国のメディアで盛んに論じられた。ビンラディン容疑者とテロを生んだアラブ諸国の社会や政治の問題を自ら問い直すことを、各国政権も市民も避けようとした。

ここまで読んで、近年の日本で問題となっている社会運動に似ていると感じた。
若者の鬱屈感を拾い上げて仲間を集め、同時多発テロによって人気がピークに達した後、イスラム社会の立場を悪くした存在として厄介者扱いされていった経緯。いわば世界規模の在特会だったのではないか。
ただし、社会運動へのかかわりは身近な不満への反発に始まっても、それ自体は何の問題もない。始めた運動を理論なり実地なりで意味づけ続けることが出来なかったのに、共感だけで暴力的に膨張していったことが問題なのだろう。
そして在特会と同様に生み出した社会から切断処理され、背景の問題はなかったことにされていく。ゆえに続けて語られる、サウジアラビアの独占的な王族支配も興味深い。

 そもそも、ビンラディンの過激思想と呼ばれるものは、サウジ政権が体制を支えるイデオロギーと位置付けてきた、ワッハーブ派イスラム原理主義の基本的な考え方に過ぎない。

 そして、ビンラディン容疑者の怒りの根底には、サウジの体制批判がある。すなわち、ビンラディン殺害の話題に触れることは、「反米」の背後にあるサウジの体制批判を蒸し返すことにもなりかねない。

 「サウジ・モデル」を使って湾岸アラブ産油国が自国内の民主化運動を抑圧する動きを、米国は一応黙認しているように見えていた。

サウジアラビア政権の思想はビンラディンの思想的な背景であると同時に、その現実における不徹底さがビンラディンの不満を生んだ。
この関係も、日本社会に薄く広がる排外主義と、その薄さに憤っている在特会との関係を思い起こさせる。

ビンラディン容疑者の父がイエメンを出たのは1910年前後で、もう100年も前のことだ。それにもかかわらず、イエメン系移民の“使用人”の子供に与えた国籍など、政権の都合次第で取り上げて良い、というサウジの態度は、近代の国民国家とは思えない考えだ。だが、それがサウジという国の成り立ちであり、そのような不条理な体制に憎しみを募らせたのが、ビンラディンの憎悪の思想の根幹なのである。

サウジアラビア政権は反米の代わりに、イエメン出身者への偏見を再生産することを行った。排外主義という意味合いでは、何一つ問題は解消されていない。


オバマ政権の意図を想像した5ページ目の指摘も気にかかった。

 オバマ政権はビンラディン殺害によって、ブッシュ前政権が残した対テロ戦争を終わらせることができる。実際に世界各地のテロが減るかどうかとは別問題だが、米国の政策としての対テロ戦争は終わらせられる。

これもまた、米国にとって今のビンラディンには利用する意味も意図もなく、ただ臭いものに蓋をしたかっただけの暗殺ということだったのかもしれない。