法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

「芸術家は独裁者の無理解をおそれるべきではない。独裁者が一人の芸術家であることをおそれるべきである」

青年期の絵画を公式サイトに載せている*1石原都知事がプチヒトラーならば、街を自分色の絵画で埋めつくそうとしている阿久根市竹原市長はプチプチヒトラーといったところか。
デイリーポータルZ:日本一のシャッター街・阿久根
http://d.hatena.ne.jp/akune_genjo/
前者が慎重に毒を感じさせないよう撮影していることに対し、後者は著作権的に微妙な対象もおさめて背後関係も記述する、その対比がまた味わい深い。
くわえて、前者がわかりやすいジョーク宣伝として機能しているシャッターアートばかり紹介している一方、後者は巨大な壁画を紹介しており、隙間なく小ネタを入れる空間恐怖症ぶりにアウトサイダーアートを感じさせる。


ただ、これはこれでコンテンポラリーアートというか、良くも悪くも異世界が一つの表現として成り立っているという感じはある。醜悪という印象もまた、表現の価値を示す指標だ。個人的にもトリックアートは好きだ。
もちろん、同じ“ART”といっても、作品単体で見れば「芸術」というより「工芸」と考えるべきだろう。独裁者の指示と税金で蜃気楼のように広がっていく平面的なユートピア、それを立体にはりつけられた表層のディストピアとして写真が切り取って、初めて「芸術」に昇華された。


念のため、戦争映画の傑作が必ずしも戦争を肯定しないように、地方都市の現状を表現しきったアートも独裁者を肯定するわけではない。このシャッターアートは地方都市が自壊*2しそうな危うい現状を象徴している。
このアートを個人的に評価している理由として、地方都市に住む私自身のノスタルジーも関係している。学生時代によく通った港町のアーケード街でも似たような壁画が空き空間の一つに描かれていて、このシャッターアートで郷愁を誘われたのだ。その商店街はすでにアーケードが撤去され、港近くにあったダイエーも別のスーパーに変わって久しい。壁画もどうなったことか。
日本全国の地方都市どこでも見られるだろう光景ゆえに、阿久根市の状況は他人事に感じられない。

*1:http://www.sensenfukoku.net/art/artm.html

*2:この表現は過激すぎるかもしれないが、他に思いつかなかった。