法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

「平和と安全を求める被爆者たちの会」なる団体の主体性を問う

サイトのトップページを見ての通り、田母神俊雄氏を広島に呼ぼうとしている団体である。
戦争被害者にも様々な考えの人がおり、会の設立に被爆者が主体的に深くかかわっている可能性は充分にあるだろう。被爆者という表記がほとんど見当たらず、「被爆二世」や「被爆関係者」という記述ばかりであることは、逆に会の誠実さを示していると評してもいい。しかし、被爆関係者が参加していても、それが即座に会の妥当性を証明するものではないことも確かである。
平和と安全を求める被爆者たちの会 - 平和と安全を求める被爆者たちの会

 この会の設立を決意するに至りましたのは、昨年の日本会議広島の開催された、8月6日の「ヒロシマの平和を疑う!」田母神俊雄氏講演会でした。

 市長を初めとする様々な講演妨害のある中で、被爆二世や関係者から多くの激励のあったことから、この講演に賛同し激励する、これまで沈黙を続けていた被爆関係者が多数居ることを知りました。

 ある決意を持った被爆関係者はまず、日本会議広島の人々に相談しました。

そしてそこにも多くの被爆関係者が集っていることを知りました。

その時より、協議を重ね、このたびこの会を発足する運びとなりました。

この会の設立にあたり、日本会議広島に多大なるご支援をいただいたことに心より感謝致します。

 今はまだ、資金的にも乏しく、活動拠点は日本会議広島の事務所に間借りする身ではありますが、かならずや、会員は拡大し、独立する日の近いことを感じます。

私達と日本会議広島とは必ずしも、すべてに意見や考えが共通するものではありませんが、共同、協調して共に発展していくことを希望してやみません。

              「平和と安全を求める被爆者たちの会」事務局

一読して、日本会議の支援を受けているというところから、ほとんど内幕が読めたようなものだ。せいぜい、どこまで「共通するものではありません」といえるよう実際の言動で示せるかくらいだ。
さらに文章をよく読むと、主体がはっきりしていないことに気づかされる。「市長を初めとする様々な講演妨害のある中で、被爆二世や関係者から多くの激励のあったことから、この講演に賛同し激励する、これまで沈黙を続けていた被爆関係者が多数居ることを知りました」という文章を読むと、沈黙を続けていた被爆者の存在を知ったのは、講演に参加した者と思われる。被爆者か否かも明確ではないし、後の文章における「ある決意を持った被爆関係者」との関係性も不明瞭だ。
そもそも「ある決意を持った被爆関係者」とは誰なのだろうか。匿名性を尊重するにしても、もう少し説明のしようがあるのではないか。
ここの文責は「事務局」とあるが、このような文章では主体性を期待することが難しい。


同ページで前後するが「広島市平和記念式典で読まれない もう一つの平和宣言」なる文章が冒頭にかかげられている。
まず目を引く問題として、物語にも似た原爆投下までの歴史叙述がひどい。

 思えば、我が国人(くにびと)は千数百年にわたり、時来(きた)れば御社(みやしろ)を壊し、また作り、そして精神もまた、蘇ってきたのです。広島も同じです。古(いにしえ)に海を越えてやって来た数多(あまた)の神々もそれぞれにその所を得て先祖たちと溶け合い、懐深い心を作りました。それでも人の生きる営みは時に争いを起し、猛(たけ)き者もやがては滅びました。この姿に、人々は千年も前に悟ったのです。永遠に続くものは無いと。消えかつ結ぶ泡(うたかた)の命の、浅い夢に酔うことはないと。

東から吹き寄せた風は束の間の300年の平穏を破り、父祖たちは荒ぶる世界に直面しました。そして様々な人たちの様々な故郷(ふるさと)は取り、あるいは取られ、ついにあの日が来たのです。 

この他人事のように侵略戦争を語る記述は、戦争を起こした責任や主体を消失させてしまう*1
ちなみに、被爆者の相当数にとって侵略の責任を問うことの困難性を、私は必ずしも否定しない。当時に未成年だった被爆者はもちろん、被爆2世3世は個人として戦争への責任を持てる主体ではなかった、と少なくとも今は考えている。
しかし、戦争の主体を消し去って「あの日」を記述するならば、「あの日」を作った主体を問題視することもできなくなるだろう。あるいは、それを狙いとした文章なのかもしれない。「あの日」を作った主体を問題視することは、すなわち米国の責任を問うことであろうから。


読み進めていくと、いくつか興味深い論点もないではない。

私たちはまだ、あなた方に「安らかに眠ってください」と言える資格がありません。今の私たちには、世界と溶け合った古(いにしえ)の心に源流をもつ、その賞賛すべき高い精神を必ずしも受け継いではいないからです。しかし、私たちは忍耐を持って理不尽な死を迎える直前、「兵隊さん、仇(かたき)を取って下さい」と言われた人のいたことを忘れません。あなた方は今もなお、私たちと共にあります。どうか見守ってください。あなた方の高き心が私たちの精神に満たされたとき、そして継続する努力が日々の平和を繋(つな)ぐことが出来たとき、私たちの仇(かたき)討ちは終わります。その暁(あかつき)には、改めてあなた方に申し上げるでしょう。「安心してお休み下さい。過ちは繰り返させませんから」

この文章の冒頭部分は、栗原貞子氏が『ヒロシマ消去法』等でくりかえし「死者たちよ 安らかに眠らないでください」と碑文をいいかえた問題意識に追いついた感がある。
しかし『ヒロシマ消去法』が書かれたのは1989年のこと、その先駆となる『絶後か――長崎の友に――』は1971年の作だ。栗原氏が提示した問題意識に対する、現在の様々な疑義や批判を充分に参照しているとは思えない。
http://ameblo.jp/kawataka/archive-1-200610.html

だが、これらの詩というか言表に共通して思うのは、「安らかに眠らないで下さい」という願いは、「飽食の惰眠に忘却する生きている亡者」、「過ち」を「繰り返す」「わたしたち」に最終的に還元されてしまうということだ。生者が悪さをしないように監視し叱咤する役回りとして、死者は「生かされる」。

「安らかに眠って下さい」。それが苦痛のなかでのたうちまわって死んだ存在への、真にいたわりに満ちた言葉として発せられることがあることを、私は微塵も疑わない。だが、それが生きているものにとって都合の悪い、思い出したくない記憶を封じこめることになることがある。それも確かだ。
一方、「安らかに眠らないで下さい」という言葉も、死者は生者のためにこそ存在するのだといった錯覚を生じかねない。一歩踏み外せばこれまた傲岸不遜な態度だろう。死者が生者を赦すか赦さないか、優しい言葉をかけてくるのか憤怒に満ちた目つきで睨み呪うのか。その問いはやはり開かれておく必要があるのだ。

さらに別ページの「設立趣意書」と見比べると、平和と安全を求める被爆者たちの会の誤った歴史認識があらわとなる。
設立趣意書 - 平和と安全を求める被爆者たちの会

また、広島平和公園の碑文には過去多くの疑問が寄せられてきました。そこに刻まれている「過ち」とはいったい誰が、なぜ犯したものなのか、広島では、いまだその議論はもとより、そのような疑問を発することすら封じられる空気が支配しています。

実際には広島平和都市記念碑が1952年に建立された直後、来日したインドのパル判事の主張から論争が始まり、何度もくりかえされてきた。
1970年2月には児玉誉士夫氏が顧問の市民団体「碑文を正す会」が碑文の抹消、改正を要求したこともある。同年8月に山田節男市長が「過ち」をおかした主体が「世界人類」にあると明言し、論争は収束した。
1983年には碑文の趣旨を説明する説明板も設置され、現在となっては誤解を生む余地はない。
原爆死没者慰霊碑

碑文については主語をめぐるさまざまな議論がありましたが、広島市は碑文の趣旨を正確に伝えるため、日・英の説明板を設置し、「碑文はすべての人びとが原爆犠牲者の冥福を祈り戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉である 過去の悲しみに耐え憎しみを乗り越えて全人類の共存と繁栄を願い真の世界平和の実現を祈念するヒロシマの心がここに刻まれている」と記しています。

むろん、『ヒロシマ消去法』が説明板設置後の作であるように、碑文に対する批判は自由に行なわれるべきだ。むしろ常に批判にさらされ意義を問いかけられてこそ、文字通り動かない記念碑であっても社会運動を駆動させることができる。
しかし、あたかも碑文への批判が制約されてきたかのような主張は誤っているといわざるをえない。過去に議論された積み重ねを無視し、批判にさらされ主張されなくなっただけのことを、まるで不当に抑圧されてきたかのように主張する態度は、疑似科学歴史修正主義の典型でしかない。


設立趣意書の末尾には、下記のような「活動内容」が記されている。

1. 初めての核実験が行われた米国アラモゴート周辺だけではなく、中国ウイグル地方及びそれに隣接する諸国でも核実験の被害が続いている事実を踏まえた、さらなる核兵器の使用を回避するための研究と活動の推進。


2. 広島、長崎、および前項の被害者の救済と広報活動。


3.核兵器および平和目的の原子力利用により新たな被害者がおこりうることを想定し、その被害を最小限に留めるための研究と国民的取り組みの推進。

4. 戦争を回避し、私たちが自由で独立した国民として存続し続けるための様々な方策の研究。

さて、米国アラモゴート周辺だけの核実験被害を問題視する意見がどこにあるだろうか。少なくとも現代、広島市は核実験が行なわれる度、その国々に対して個別言及しながら批判する声明を出している。米国はもちろん「中国ウイグル地方及びそれに隣接する諸国」という限定をすることはない。
比べて「前項の被害者の救済と広報活動」という表現では、日本と米国と中国とその周辺諸国しか活動内容にふくめないことになる*2。各市民団体の活動範囲はそれぞれの問題意識によって自由に選択されるべきだが、これでは広島市よりも広い視野をもって行動していると称するのはおこがましくないだろうか。


最後に、広島市長等への「公開質問状」を紹介しよう。
http://www.realpas.com/%E5%BA%83%E5%B3%B6%E5%B8%82%E9%95%B7%E7%AD%89%E3%81%B8%E5%85%AC%E9%96%8B%E8%B3%AA%E5%95%8F%E7%8A%B6/

 私たちは、日本の反核運動が、国際政治の対立をそのまま受け入れて分裂し、互いに激しく対立して非難していた時代のあったことを知っています。「すべての国の核兵器に反対」を唱えた政党で、中国の核実験成功に祝電を送った国会議員のいたことを記憶しています。そして私たちは、「社会主義国核兵器は防衛のためだ」と主張していた「反核団体」が、ソ連が崩壊した後にはいつの間にか「すべての国の核兵器に反対」に宗旨変えして今もあることも知っています。いつも「敵」を身近に求めて来たように見える「反核平和運動」でした。

具体名すら提示せず*3、問題点が検証できない文章で他団体の過去を批判するより前に、日本会議と現在進行で協力している自己をかえりみることから始めるべきではないだろうか。
いや、根拠を出して具体的に批判できるならば、いっそ自己を棚上げしてもいいかもしれない。しかし戦争を「人の生きる営み」と合理化し、侵略を「取り、あるいは取られ」と記述する論理をつきつめれば、まともに他者を批判することは不可能だろう。

*1:昭和天皇等を免罪した日本社会においては、そう珍しい言説ではないが。

*2:事務局声明などでは他国への言及もある。http://www.realpas.com/%E4%BA%8B%E5%8B%99%E5%B1%80%E5%A3%B0%E6%98%8E/

*3:だいたい元ネタの見当はつくが、わざわざ反論する気は現在ない。