法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ヒロシマという言葉』

ヒロシマというとき
やさしい言葉は返ってこない


ヒロシマというとき 返ってくる言葉は
ナンキン スマラン バターン マニラ カミカゼ ヤスクニ ヒロヒト ムシャ パールハーバー
あらゆる反発そして 反日 反米 反共 利用するためのリフレイン


敵味方ではなく 国というくくりでなく
ナガサキも オキナワも すべての空襲も 戦死者も 俺も 僕も
忘れるな ヒロシマという言葉であらわせない全て


やさしい言葉をもとめて
全てをつぐない武器にわかれをつげても
ふみつけにされた怒りを消せと命じられるはずはない
ヒロシマというとき
あふれる血と炎の記憶 そのきずあと


やさしい言葉をもとめるためにでなく
全てをつぐない武器にわかれをつげなければならない
だからいつまでもヒロシマという
言葉は みずからにも突き刺さらんがため 全力で投げられるべきブーメラン


http://home.hiroshima-u.ac.jp/bngkkn/database/KURIHARA/hiroshimatoiutoki.html
上記ページで紹介されている詩『ヒロシマというとき』が原爆詩人の栗原貞子氏によって作られたのは、1972年のこと。
原爆を投下した主体である米国と、侵略戦争を起こした主体である日本の責任をともに問い、世界人類を主語にすることで国境にとどまらない射程を持つ碑文が広島に建立されたのは、1952年のこと。
ヒロシマが求める平和は本来、自らの立ち位置も常に問い続けるものだった。


それがもし同じ言葉をくりかえして進歩がないよう感じるならば、新たな言葉で過去への応答が目指さなければなるまい。
謝罪を引き出すための精算でなく、精算そのものが過去への謝罪となる。違うだろうか。