前回に書いた君は何も見ずに鶴を折れるか? - 法華狼の日記の続編として、書き残したことをいくつか。
ちなみに私自身の考えをいうと、確かに千羽鶴をハイチへ直接送る必要はないと思っている。活動を知った時、日本国内における支援啓発運動として、千羽鶴という象徴で可視化し続けるべき、などと考えていた*1。
さて、前回で紹介した全盲の折り紙作家、加瀬三郎氏が遺したインタビューを探し出したので、特に文化交流活動に関わりそうな記述を紹介したい*2
まず、日本と外国の折り紙に対する評価が、一面では逆転しているという話から*3。日本では折り紙講習で利益をえることが難しいという指摘から続けた言葉だ。
日本では、折り紙は伝承の『遊び』という観念が強いから、折れて当たり前なのね。だからあまり感動しない。ところがヨーロッパでは、折り紙作品はその色彩や幾何学的要素などから、芸術と見なされている。折り紙作家も完全な芸術家です
続けて、加瀬氏は自身の作品が海外講習時に高い評価を受けた逸話を語った。
実際に『季刊をる』各号を見ると、多数の外国折り紙作家が紹介されており、多様な造形美を見せてくれている。幾何学要素についても、大阪大学で学部長をつとめていた伏見康治氏による「折り紙は幾何学である」という連載コラムがあり、簡単ながら数学的なアプローチで折り紙の魅力にせまっている。
千羽鶴がハイチ人に理解されないという想像は、実は日本人こそが折り紙を「遊び」と見下している心情によるものかもしれない。
もちろん先進国である日本と、交流先の落差も指摘される。具体的に、折り紙に使う紙の質という形で*4。
日本の紙は品質は最高で安い。ロシアでは一五センチの紙を四つに切って折ってる。それも、こーんな大男が。
日本人は折り紙を無駄にしすぎます。私はね、練習のためにつぶすのはかまわないと思うの。それは投資ですから。けど、何もしないで破り捨てたりするのはもってのほかだ。そんなことしたら、いくら生徒でも怒ります。投資と浪費は違うんだから。覚えるための投資なら、これはいくら使ってもいいと思いますけどね
このような指摘をした上で、何に対する「投資」なのかを加瀬氏は説明する。
皆さん、『折り紙なんて稼ぎにならないことに何百時間も費やして世界中回って、何になるんだろう』なんて言いますけどね、それは考え方ですよ。個人の財産なんて、時によっては国に没収されたりもするわけですよね。けど自分が経験したものは、生涯自分のものです。
前回も紹介したように、加瀬氏は戦災体験者である。東京大空襲の時期、すでに全盲であった。大正時代に生まれ、全体主義化していく昭和初期から戦後の復興までを歩んできた。様々な権利が奪われた時代、衣食住を満足に得られなかった時代、激動を続ける時代において、「折り紙」は絵画の道を全盲ゆえに諦めた加瀬氏が手に入れた、生涯の財産だったのだろう。
あえて断言しよう、これこそが文化の力だ。文化に対して、あたかも衣食住が満ち足りていない時は優先順位が低いかのような主張もあるが、とんでもない。衣食住が満ち足りていない時だからこそ、実体ある支援とともに供給されてしかるべきものだ。
身近な支援活動においても、たとえば貧困者に対しては衣食住の提供だけでなく、心理カウンセリングも重要であることは、ずっと以前から知られているはずではないか。
日本国憲法も国民に保障されるべき権利として、わざわざ「健康で文化的な最低限度の生活」と記述している。「健康」と「文化」、その両輪あってこそ人は生きていけるのだ。
さて、前回も紹介したように、加瀬氏は世界中を飛び回って折り紙による文化交流を行っていた。その交流において加瀬氏は折り紙の折り方から教えており、つまりは折り紙が知られていない地域だからこそ文化を伝えていたのだ。ハイチに折り紙文化が存在しないという指摘は、折り紙が文化的な交流に寄与しないという根拠にはならない。
もちろん、折り紙文化が知られていない地域に魅力を伝えられたのは、加瀬氏の技量もあってのことだったろう。では、他の形での折り紙文化交流は滅多にないかというと、そうでもない。日系人が多数いる地域で折り紙文化が広まっているという記事を、二つほど紹介しよう。
http://indonews.jp/2010/01/post-3432.html
ニューデリー日本文化センターの『デリー折り紙クラブ』は、毎週、折り紙に関心を持つ人々が国籍を問わず初心者から経験者まで集まり、折り紙を楽しんでいる。参加者は日本人、韓国人、インド人などだが飛び込みも歓迎という。デリーでは、「ORIGAMI」は予想以上に広く根付いており、多くの小中学校や幼稚園でも授業にとり入れられているなど、デリー市民にとって折り紙に接する機会は少なくない。肩書きを「ORIGAMIST」と名乗る人もいる。
展覧会の模様は、地元の新聞で紹介されるなど反響を呼び、また会場では、課外授業として見学に来る生徒たちも多かった。週末に設定された体験ワークショップには多くの市民が詰めかけ、家族連れを中心に、子供から大人まで皆様に折り紙に親しんだ。(国際交流基金ウェブサイトから)
バンクーバーの日系団体企画「5千羽鶴プロジェクト」、完成迫る - バンクーバー経済新聞
バンクーバーで日系団体により進行中の冬季五輪応援企画「5千羽鶴プロジェクト」で1月9日、折られた5千5百羽余りの鶴に糸を通してつなぐ最終作業が日系ヘリテージセンター(6688 Southoaks Cres., Burnaby)で行われた。
プロジェクト広報担当の山本美穂さんは「折り紙は初めてで1羽折るのに10分以上かかる参加者も少なからずいた。バンクーバーという土地柄、他国からの移民という参加者も多くあったが折り紙を通しての五輪応援という一つのプロジェクトを共有できたのは素晴らしいこと」と話す。
日系人が多いという背景が存在するという記事だ。ここから想像を働かせてみれば、千羽鶴の意味合いがハイチで理解されるだろう期待が、むしろ増す。もともとハイチには在住している日本人がいる上に、日本などの折り紙文化を知る人々が復興支援のためハイチへ向かっているからだ。あえて楽観的な可能性をいうならば、支援者と被支援者という非対称な関係を越えられたかもしれない。
最後に、現在の日本で伝統的に存在する折り紙文化が、実は時代ごとに様々な異なる文化を取り入れていることを指摘しておこう。
下の記事で、折り紙作家にして折り紙研究家の前川淳氏が、マンガ『JIN-仁-』の描写を軸にして、江戸時代の折り紙と現在の折り紙の違いを解説している。
『JIN-仁-』の紙ヒコーキ: 前川淳 折り紙&かたち散歩
マンガ 『JIN-仁-第11巻』(村上もとか著)に、紙ヒコーキがけっこう重要な小道具として登場していた。写真のように、表紙にも描かれている。TVドラマが面白かったので、続きをぽつぽつと買って読んでいるのである。
ということで、未来人の仁が紙ヒコーキをつくるのはうまい演出である。拙著『本格折り紙√2』でもイカヒコーキはいつからあるのだろうという話題をちょっと書いたので、おっと思うものがあった。
なるほど、いわれてみれば紙飛行機は、飛行機の概念が広まってから流布したと考えるべきだろう。
概念としては、二宮忠八が日本独自の飛行機械「飛行器」を発案し、実際に模型の飛行を成功させたことはある。しかし、それは明治時代、ちょうど大日本帝国憲法が発布された1889年のこと。「飛行機」という日本語が膾炙したのは、さらに後の時代だ。
アーサー王宮に処刑されそうになったヤンキーも、紙飛行機を知っていれば危機にあわなかったかもしれない。紙飛行機を折ればいいというアイデアは、何かの間違いでタイムスリップしてしまった時に役立つ、素晴らしい生活の知恵だ。
……さて、本題に戻ろう。
・「奴さん」は、同種の造形が薦僧(こもそう)として徳川時代にもあり『欄間図式』(1734)には「奴さん」そのものと思われる図もある。しかし、それも上半身のもので、袴(ズボン)は、明治以降にフレーベル系の「折り紙」が輸入された後のものと推定できる。また、その折りに関して「奴さん」という名称が定着するのは、明治末年頃と考えられる。
・「帆かけ船」も、すくなくとも資料として確認できるのは、フレーベル系の造形の輸入以降で、じっさいにそうだった可能性が高い。
フレーベル系の折り紙とは、世界初の幼稚園を作ったとされるフリードリッヒ・フレーベルが、教育のために使用していたもの。日本の折り紙と比べて平面的かつ直線的で、幾何学的な印象がある。
こうした折り紙の歴史については、羽鳥公士郎氏による下記ページが詳しい。起源をさかのぼるだけでなく、現在にいたる発展の歴史がていねいにまとめられている。
K's 折り紙 : 折り紙の歴史
折り紙は日本独自の文化ではなかった。
13世紀にヨハネス・デ・サクロボスコ(ジョン・オブ・ハリウッド)が書いた『天球論』は、17世紀中葉まで60以上の版を重ねたが、そのうち、1490年にベニスで印刷されたものの挿し絵に、『欄間図式』の荷船と同じ絵が認められる。もしもこれが本当に折り紙の船だとすると、当時の日本の折り紙は、あったとしても礼法折り紙だろうから、日本から伝わった可能性は考えにくい。
一般に伝統と思われているものが意外と歴史が浅かったり、海外から取り入れたものだったりする一例といえよう。
折り紙は日本独自の文化ではないし、日本でしか理解されえない普遍性なき文化でもない。前回で書いたように、千羽鶴という文化が日本でしか理解されえないという発想は、二重三重に誤りを重ねている。ハイチ人が文化を解さない野蛮人であるかのような主張こそ、日本文化の価値をおとしめているのだ。
実際に折り紙を楽しんでみようと思い、加瀬三郎氏が創作した「花瓶」を折ってみた*5。
写真が下手でぼやけてしまっているが、無駄を排した優美な形状が素晴らしい。紙の面積を広く使っているため、丈夫な包装紙などで折ると、模様が映えるようだ。
しかも、折り紙に慣れていない人でも簡単に折ることができる。たまたま横にいた知人に口頭で説明すると、それだけで知人は折れた上に、折り方を記憶してしまったほどだ。まさに、折り紙の魅力を多くの人に知ってもらおうと活動していた加瀬氏らしい作品だ。
*1:ちなみに、千羽鶴運動の代案として主張された食料や水を送る活動は、遠い海外へ輸送する費用、さらに消費期限や仕分け作業を考慮すれば、むしろ千羽鶴より現場の負担になるのではないだろうか。現地の商業活動をうるおすためには、募金や支援団体への寄付が基本だと思う。むろん、代案を出した「善意」そのものを批判するつもりはない。
*2:加瀬氏のインタビュー引用全て、折り紙専門誌『季刊をる』の1993年冬号から。
*3:38頁。
*4:40頁。15cm×15cmは、一般的に最も多く見かける折り紙用紙のサイズ。千羽鶴では、それを四つに切ったのと同じ大きさである7.5cm×7.5cmが使われる。
*5:『季刊をる』1996年夏号に折り図収録。シンプルで実用的な作品のため、他の書籍でも折り方が紹介されている。